ずっと名前呼びしてたのに突如「先生」としか呼べなくなったわけ
こんにちは。ゆうです。
このnoteをみつけてくださってありがとう。
本日は、講座での気づきを徒然に。
(ちょっと長いです)
この講座では
「頭ではなく体感で理解すること」
を重視します。
そして、
「先生」ではなく
「まゆりさん」と呼ぶルールがあります。
今回、突如、
「先生」としか呼べなくなりまして。
雑談でも「先生」と言ってしまうんです。
きっと潜在意識に何かあるな~と、
じっくり自分を観察しましたよ。
実は今回から
講座の録画がなくなりました。
ですので、
宿題の「講座内容のまとめ」のためにも、
今後の振り返りのためにも、
それはそれは頑張ってメモを取りました。
お気づきでしょうか?
ここで講座を受ける目的が
「体感で理解する」から
「講座内容のまとめ」「振り返り」
=「頭で理解する」へと
すりかわっていることを・・・
ワタクシこのとき全く気づいてません。
すると、
無意識のうちに、意図した通りに、
体感(右脳)ではなく、
頭(左脳)で理解し始めたんですね~。
こうなるとどんな意識の変化がおこるか?
体感をとるために
まゆりさんの横に並んで感じよう
という意識はなくなります。
頭で理解するために
上から下に合理的に情報を流す
という意識になっていたんです。
だから
「先生」としか呼べなくなっていた!
名前呼びって 横の関係性、
先生呼びって 縦の関係性でしょ?
人はカーナビ。
無意識だろうと
自分が設定した目的地に向かう。
ちなみに、その日の私は
話の整合性をとるための質問
=本質的ではない質問
が増えました。
きっと誰かの学びになってるぞ!
そして気づきがあと2つ。
その1
私は、
頭で理解する学びは、
学習効果を高めるため
人に教えるつもりで学ぶクセがあります。
ということは?
私、この日は、
「今の自分」にフォーカスしてなかった~。
古神道でいうところの
「中今(なかいま)」にいない。
中今にいるためには
理屈ではなく体感をとる意識が
大きな助けになっていたんですね。
その2
「メモがないと記憶に残らない」
と疑いもしなかった!
そこには、こんな私がいますよね。
この時間内で
体感で理解しきるぞ!
と決めきれなかった私。
まだどこかで慣れ親しんだやり方
=頭で理解をしたい私。
私なら体感で理解しても
最高に学べるよ!
という自分への信頼が薄い私。
行動を観察して
こういう自分を
自分で見つけられるって、
理解が深まってきた証!
お陰様で次に活かせます!
「なんで先生と呼んじゃうのかな?」
という一つの疑問が宝の山でした。
「体感する」「中今」「自己信頼」
という言葉に
また一つ実体験が肉付けされ、
言葉の解像度があがった実感があります。
これが本当の理解・学びなんだな~。
関係するみなさん、ありがとうございます。
本日は長文をお読みいただき 心からありがとう
あなたの今日の小さな歓びは?
善き一日を!
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