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『スペシャリスト』なのか?『ゼネラリスト』なのか?

『スペシャリスト』なのか?『ゼネラリスト』なのか?

先日、弊社塾長山田との食事中に私たちは『スペシャリスト』であるべきなのか『ゼネラリスト』であるべきなのか。という話を投げかけました。どちらの要素も必要で明確に分けられるものでもない唐突な質問でしたので、その場では答えはでませんでした。記事を書きながら考えさせていただきながら、中学受験の特色を踏まえ、ココロ・ミルとして、私自身としての価値観をお伝えできたらと思います。


『スペシャリストが陥りやすいセクショナリズムの罠』


現行の中学受験制度は国語、算数、理科、社会の4教科が一般的です。ココロ・ミルでは教科分けをする科目担当制よりも、社員1人で4教科を担当し、1人の子供に対してできる限り少人数で担当することを目指しています。多くの学習塾では算数なら算数、国語なら国語。1科目に特化する科目担当制を採用している場合が多いです。1教科に特化したほうが4教科に特化した場合よりも講師の習熟度は4倍上がるように思えますし、算数のスペシャリストが算数を、国語のスペシャリストが国語を教えることが最善にも思えます。

ではなぜココロ・ミルでは1人で全教科を担当する方向を目指しているのか。

それは1教科のみに着目した指導は子供にとって最善なことではないという考えからです。問題点として挙げたいことは【セクショナリズム】という視点です。1つの部門に閉じこもり他部門を排斥するといったマイナスな意味をともなった言葉でありますが、中学受験の教科ごとにもセクショナリズムが起きることが1つの問題となります。

担当教科をピカピカに磨きあげるということは責任感を伴った素晴らしい仕事に思えるかもしれません。しかし、他教科の進行状況を無視し、担当教科にのみ着目していては、必ずしも良いことであるとは断言できません。極端な話、算数を100点取れたとしても国語、理科、社会が0点ならば志望校に合格することは難しいのです。

では1教科に特化することは悪いことなのかというと、そうとも言い切れません。私としては『選択と集中』という言葉を意識しています。ここで具体的な事例を出し説明したいと思います。


『得意なことで勝負する』

着目したいのは中学受験における配点と合格最低点です。配点、合格最低点は学校によりますが、

算数100点

国語100点

理科50点

社会50点

合格最低点180点

といった配点をする学校を仮定したいと思います。

暗記は苦手だが、思考力が高い子ならば算数の思考問題、理科の物理化学問題といった部分を磨き、社会の暗記は必要最低限に留めておく。

算数80点

国語50点

理科40点

社会15点

合計180点

といった算数と理科で合格点を取りにいくことを想定できます。


全教科バランスよくできる子ならば、

算数60点

国語60点

理科30点

社会30点

合計180点

といった想定をすることができます。極端に単純化した話ではありますが、同じ学校を目指すとしても子供の性格、能力によってアプローチが変わるのです。ですのでこちら側が用意したやりかたを全ての子供にあてはめることはできないのです。


『子供にとっての最善の取り組みはなにか』

日頃子供に指導を行う際に社員が共有している価値観は、子供の合格に対してできる最善の取り組みはなにかです。全教科を完璧にやり込めば受かる、これは間違いのない話です。しかし時間には限りがあり、子供毎のやる気、モチベーションにもムラがあります。得意な科目、苦手な科目に対する生産性もまったくもって違うことも現場で体感しています。

学力が上がらないから勉強量を増やす。子供のやる気が落ちているから勉強量を減らす。どちらも十分なことではありません。指導側が行うべきことは、やるべきことを選び抜くことです。

成績の上がらない国語の読解を繰り返すことなのか。社会の暗記を闇雲に繰り返すことなのか。算数の難解な問題に挑み続けることなのか。状況によって解は違います。常にできることは考え抜くことです。


『指導法は子供がベース』

私たち教える立場の人間がするべきことは、一方的な情報を子供に伝えることではありません。算数の難解問題の華麗な解法を伝えることではありません。国語の物語の隠されたテーマを読み伝えることでもありません。目の前で教えている子供にとっての最善の方法を選び抜くことです。
例えば、国語の読解において、文章を読んでから解き始めるか。文章を読みながら解くか。皆さんも頭を悩ませた経験はあるのではないでしょうか。私個人としては決まった正解はないと考えています。読むことが速い子は読み終わってから解き始めても問題はありませんし、読むのが遅い子に関しては読みながら解くことが最もいい場合もあります。書くことが得意なのか、言葉を抜き出すことが得意なのか、選択肢を熟考することが得意なのか。子供の性格、能力によって問題に対するアプローチは変わってきますし、適正な指導法も決定されます。


『目指すべきは子供が自信を得ること』

合格最低点を目指す合格至上主義はいかがなものか、苦手教科を矯正することも必要ではないかとご指摘いただくこともございます。ですが、目の前の目標に対してやりきり壁を乗り越え、自信をつけてもらうことが私たちのミッションだと考えています。

自分のエゴをぶつけるのではなく、子供(相手の)の立場で物事を考え抜く、という精神をココロ・ミルの現場指導で磨き続けていけたらと考えています。

タイトルの話からは大きく脱線いたしましたが、総合的な判断と仕事をするという意味では『ゼネラリスト』であり、中学受験における『スペシャリスト』であるべきですし、結局は子供に対していい影響を与えられるならばどちらでもいいのではないか。という結論で締めさせていただけたらと思います。

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