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「愛は勝つ」に背中を押されて

ある、晴れた日

急に頭に「愛は勝つ」が流れてきた

太陽の光がキラキラ光って見えて
私はこれでいい、と背中を押された気分だった

それから毎日のように聴いていたら
数週間後にKANさんの訃報が入り、とても驚いたものだ


私は過去に何度も
自分はアダルトチルドレンなのか?とネットなどで調べたことがあります。
でも、それほど当てはまる感じはしないし
生きづらさは感じていないし
まあいいか~と忘れて暮らしていました。
(最近見たら、だいぶ項目の幅が広がっていて、当てはまることが増えていました(笑)

自己肯定感は低くないし
どーせ私なんて、とか
どーせ私が悪いんでしょ、なんて思ったことなくて。

むしろ何か言われたら
だったらお前がやれよ
と思う…「私は悪くない!」と思うタイプ。

怒られないように、顔色伺って育ってきたのでしょうね。
いい子でいたい、いい子だと思われたい、ってやつかな。

だから、目上の人って苦手。
評価されてるみたいで。
大人になってからはだいぶ自由に、むしろ嫌われるように生きてみよう、と
気を遣うことを減らしてみたりもしました。


のりさんのこちらの記事を読んで、考えました。

私はいつも、
誰かが喜んでくれるのがうれしい
という想いがあって
マッサージの仕事もこの想いだけでやっていると言っても過言ではない

ただ
感謝されたくてがんばっているわけではない
のです。

結果的に感謝してもらえて、いえいえとんでもない、と恥ずかしがりながらもうれしいというだけ。
そのためにがんばっているわけではないのです。

そうは言っても自分のことを大事にできていないじゃないか
やりたいこと我慢して
仕事しなきゃと休みもせず
そうやって過ごしてきた日々に限界がきて
むしろ限界は通り越していたのだけど
どうすることもできなくて

感染症の流行が追いうちをかけていた

それはどちらかというと責任感で
不義理なことはしたくない
という想いからくるものでした。

世間体(親に対する、も含む)を一番気にしているのかなあ。


2023年の大きな変化、転機となったのは
カメラを買ったこと。

想像以上に夢中になれて

あー遊ぶの楽しい、出かけるの楽しい
と思えた

自分を満たすとはこういうことか、と知ることができて
仕事しなきゃ、という重い思いを忘れられる時間ができて

自分を犠牲にして、人のために過ごしていた自分が恥ずかしく思えていたけれど

「愛は勝つ」の

♪ 愛する切なさに少し疲れても

という歌詞に、
そう!愛するって簡単じゃない、疲れることもある、
そうか、それでいいのだと
自分の想いを肯定できた。

♪ 君の想いが誰かに届く明日がきっとある

♪ どんなに困難でくじけそうでも信じることさ

やっぱり、誰かのために
私の手を使おう
身体を使おう
とシンプルに思えました。

どうせいつか死ぬんだから
誰かのために生きたって損はしない。

痛いならさするし
できないなら手伝うし
困ってることがあったら何でも言って
という経営理念で、がんばることにしました。

マッサージの仕事に加えて
暮らしの不便を補うことができたら。

生活に不便を感じている…主にご高齢の方には
宣伝が難しいのだけど、それもちゃんと楽しもうと思っています。

楽しんでいればきっと協力者が現れるはずだし
私1人が100人に呼び掛けようと思うと大変だけど
2人で50人、5人で20人と輪を広げていけるよう、地域を巻き込んで協力者を増やします。

じわじわと根っこを伸ばして
忘れた頃に知らないところで花が咲くこともある。
かもしれない!ということにニヤニヤしながら。

コロナのおかげで、なんでもオンラインオンラインという風潮になり
そうしなければこれからの時代ではやっていけない
と思い込まされ(笑)ていたけれど
私には合わない。

売上のために単価を上げなきゃ!お客さん増やさなきゃ!も合わない。
お金のために働くというのは違う。

↓ もやもやの集大成… ↓


私は
人との関わりを大事にしたい。

シンプルに。

手を触れ
手を貸し
顔を見て
AIにはできないこと、アナログ、原点回帰で
2024年を迎えます。


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