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配信活動を通して思ったこと。ネットとリアルの関係性について

こんにちは。たかちです

本日は、私がやっている配信活動を通じて少し思ったことを雑記させていただきます。

私はツイッチとユーチューブという配信サイトで動画を投稿したり、ストリーミング活動をしたりしています。主にゲームやお絵描きをしています。

そんな中で思ったことがあります。

ネットで伝えられる(あるいは自分に伝わる)情報量や感情や作品は、現実で作り出す情報や感情、作品よりは体験が気薄なものになってしまう。

ということです。

私のツイッチやYouTubeの実況者仲間さん、また関わりがあるファンの方々には少々言いづらいことを書いています。

なのであえてツイッター上には告知だけしようと思います。


このネットの特性については、そう思うきかっけがありました。


先日のこと、しばらく配信活動から遠ざかっていて久しぶりにパソコンでお絵描きしている様子を配信で流しました。

終わってみて少し体調不良に襲われて、そして感じたのは、さっきまでいた世界はなんだったのだろう。ということです。


最近は体調が悪く、眠っていることが多くてクリエイティブな活動はあまりできていませんでしたが、

本を読んだり散歩をしたり、食事を楽しんだり歌を歌ったりして日々を過ごしていました。

バーチャルな世界とはツイッターを少し覗くくらいであまり関わっていませんでした。


そんな中で久しぶりにパソコンで絵を描くために画面を見つめて、バーチャルな世界に何時間かいたのですが、疲れてしまいました。

私の配信ではコメントしてくれる人は多くないのであまり人と触れ合う機会はないですが、それの有無はプレッシャーで疲れないか疲れるかくらいしかなく、今回の話したかったことの本質とは関係はあまりないように思います。そして、そのプレッシャーは私はあまり感じない方です。


私は散歩にいきます。昼過ぎ、あるいは夕暮れ時に近くの公園に行って気分転換をするのですが、そこで感じる空気、セミの鳴く声、またはすれ違う人々、目に写る景色。

それに触れ合っていると心が落ち着きます。


私は歌を歌います。

自分なりに音程を探して声を音程に合わせ、綺麗に歌う努力をする。

うまくメロディーが響いた時には達成感もあり、楽しいです。


それに比べて、配信活動を通して得るものは、どうでしょうか。

確かに出来上がった絵をピクシブやツイッターに上げて反応をもらえるのは嬉しいです。

しかしそれらのコメントやいいねといったシステムは、プラットフォーム側が顧客維持のために用意したコンテンツの一つでしかないように思えます。

コメントをくれる人とは確かに繋がりました。ツイッターで知り合った配信仲間さんとも確かに繋がっています。

ですが、自分がコンテンツを作ったり発表したりするときは上手くネットと付き合っていかないとダメだな、と感じました。


基本的に現実で作り出したもののパワーは、ネットで生み出されたもののパワーより大きいです。

どちらかというと、私は現実で物を考えたり、現実で物を見たり、生み出したいと思いました。

人と現実で会って話したり、食事したり、遊んだりすることのパワーは計り知れない影響を私に与えてくれます。対してネットから得られるパワーは気薄なものとして感じられてしまうのです。

いつもツイッター上で絡んでくださっている人や配信されている実況者の方をどうこういうわけではありません。

実際に配信活動やネットでのお絵描きが楽しく感じられる時もあります。

そしてなにより、ツイッターで絡んでくださっている方々からパワーをもらっています。配信されている方の配信を見てパワーをもらっています。

なので、ネットとリアルを行き来するときは、私はリアルよりで、ネットも大切にしつつ、だけどある程度の距離を置く。という考え方です。


以上ネットと現実の関係性についての私見でした。


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