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SDGsがみつからないの…

先週からいっきに気温が下がって寒くなった今週水曜日。

SDGsがみつからないの…。

(;´・ω・) まさにこんな神妙な面持ちで告白されたので,大丈夫?なんて声をかけてしまったけれど,SDGsって見つけるものだったっけ?ちょっと分からなくなってしまった。

SDGsとは,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓ってる(外務省のHPより)。

日本でこのSDGsのロゴをみない日はもはやないのではないかと思う。大学生も小学生も企業も行政も研究機関も,みんな何か思いを巡らせている,SDGsについて。みなさんはいかがでしょうか。

そんなご時世に,本日同僚よりいただいたお言葉。

彼女の実家は,フィリピンのローカルなエリアにあるそうだ(詳しくはしらないのですが…)。彼女いわく,ローカルなエリアとはいっても,スーパーやコンビニやレストランもあるし,タピオカミルクティーショップもある。ほとんどの人がスマホを持っていてFacebookやインスタ,TikTokなどのSNSで情報収集している同世代が多いそうだ。

先日,彼女は地元の友人とオンライン通話しながら,丸2年も帰省できていない地元の街の風景を懐かしんでいたそうだ。そこでふと気づく。あれっ?SDGsがみつからない…。

そもそも,街の風景の中にSDGsなんてみつからないのではないか…?で思考は完結しそうだが…

ここからが彼女のすごいところ。地元の友人とSDGsについて意見交換をして,地元で見つけたらなんでもいいので写真を撮って送ってねとお願いをして,その場を後にしたらしい。

Unfortunately, I haven't noticed anything. :
I've heard of this from another student and I haven't noticed any of these signs in my city before and after I learned of SDG. (私信:Skypeのメッセージ,2021年10月16日)

後日,このようなSkypeのメッセージを地元の友人が送ってくれたそうだ。この話を聞いて,なんだかすごく悲しいような苦しいような,本当に何とも言えない気持ちになってしまった。まったくもって残念なんかじゃないよってお伝えしたい。

メッセージの共有に間断なく,「環境に配慮していないって思われないかな?((;´・ω・)」と彼女がポツリと発言。もう本当にギュッと胸が苦しくなってしまった。

言っていたじゃない。日差しの強い地域だから,洗濯カゴはプラスチック製じゃなく(すぐボロボロになっちゃうから),ラタン(熱帯雨林地域の林にに自生するヤシ科の植物)を地元の方々は考えて愛用していること。そして,そのようなラタン製品は,地元の素材を使って地元のおばあちゃんがハンドメイドして路上で販売していたりすること。同じくマニラ麻(アバカ)のものは湿気にも強くて雨季にも使えることとか。ゴミ問題を考えて「折パケ」しているんだとか。色々と教えてくれたじゃない。わたしには見えるよ「目標12」のロゴが。でもきっとそういうことではないのだろう。

彼女にビシッ!とお返事することができなかった。SDGsの本質を見ていない自分がいたんだなと痛感した。なんなら,自身の研究報告において,本研究の結果はSDGsの〇〇にも貢献しうる…などと言っていたことも思い出した。

SDGsアクションは免罪符じゃない。

先日,20〜50代のいわゆる現役世代に「環境配慮行動」に関するヒアリングをさせてもらった。「なぜ,私たちは環境に配慮した行動をとるのでしょうか」の問いに対して,『罪滅ぼしかな〜』というコメントをいただいていたことを思い出した。

そう。きっと世界中どこにいたって,みんなそんな感じのモヤッとした思いは抱いている。何かしたいししなきゃと思っている。たぶん…。

SDGsの貼付の有無のみで何かあさっての判断をくだしそうになっていないだろうか?そういう思考につながってしまうような情報発信があふれているのも事実ではないか?

SDGsってなんなんのだろうか。たぶん,これはひとつのコミュニケーションツールであって,絶対的な目標にしてはいけないものなのだろう。

例えば,ヨーロッパの研究によると,消費者がひとつの商品を選ぶためにかける時間は「15秒」もないそうだ(Grunert, 2011;Journal on food system dynamics)。この製品はどこからきて・どんなふうに製造されていて・材料はなにで…など15秒では伝えきれない。そこで,色々とヒントを与えてくれる存在がSDGsや認証エコラベルだったりするのではないか。

SDGsがないからって環境意識がないわけではない。逆はどうかはわからないけれど…。

考えてるヒトは考えている。それが暮らしの中に敷衍していて無意識に身についていることだってある。知らないだけで名前のついてないSDGsが世の中にはいっぱいある。

とりあえず,多様なヒトにいろんな視点で意見を聞きいて自分たちの視野を少しでもひろくもつ努力を続けたいと思う。

あっ🤭コレって2030年を過ぎたらなんて呼ばれるのだろう…。



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