【体験談】 強迫性障害を克服 した No.04-3 ボコロロさん

【実話】強迫からの脱出 No.04-1 ボコロロさん
【実話】強迫からの脱出 No.04-2 ボコロロさん
でおしえて頂いたように、パソコンの起動も一苦労、ネット注文もキャンセルOKのものしか買えなかった。さらにさらに「いや待てよ、4がダメなら4の2倍の8、いや4の倍数全部ダメじゃないか!?」状態でどんどん強迫観念が増えて行く一方だったボコロロさん。そんな状態からどのようにして回復していったのかを体験記を見てみましょう。みなさんにも治すコツを感じ取ってもらえると嬉しいです。


■プロフィール (ボコロロさん)
年齢:40代
家族構成:既婚
治療年数:強く出だしてからは約3年、改善に向かってからは約1年
住んでいる地域:関西
■効果があったと感じる治療
自己治療:ネット検索して自分の考え方を変える必要性に気付いて、自分を変えた

自己治療で参考にしたサイト
「侵入思考」「白クマ効果」
「野良犬の対処法」
「隣人の生活音が気にならなくなる方法」
投薬経験のある薬(うつのときも含めて覚えているものだけです):ドグマチール、パキシル、ジェイゾロフト、ジプレキサ、デプロメールなど



■回復に向かうまで

強迫性障害はかなりの人が苦しんでいるにもかかわらず世間一般に意外と知られていない病気です。私も「強迫性障害」という言葉すら知りませんでした。また熱中しやすい性格が災いしてか無意識のうちにルールや儀式をどんどん“新規開拓”していくのです(これ営業職で活かせたらさぞかし好成績が出せるかもしれません)。

そして苦しくなってきて自分の奇怪な行動をネットで検索して「強迫性障害」のことを知り、心療内科の先生に相談して強迫性障害だと診断されるのですがその時はもう時すでに遅しです。

うつで診療内科に縁があったので強迫になってからも通院もしました。薬も処方してもらっていましたが効いた実感はまったくありませんでした。いま思えば心のどこかで先生も薬も信用していなかったのだと思います。「たしかに先生はいろんな知識を持っていらっしゃるでしょうけど実際に強迫性障害になったことないでしょ?」みたいな。

※投薬経験のある薬(うつのときも含めて覚えているものだけです):
ドグマチール、パキシル、ジェイゾロフト、ジプレキサ、デプロメールなど



■回復へのアクション

自分が強迫性障害だとわかって最初にしたのは「強迫性障害は治る」といった類の本を読むことでした。たいていは「強迫観念を迎える気持ちでのぞむこと」「不安は時間が経てばなくなる」というようなことが書いてあります。役立ちそうな文章をコピーしていつも目につく場所に貼ったりしてがんばりましたがぜんぜん良くなりませんでした。というか怖くて実践できませんでした。

強迫性障害からの脱出のきっかけになったのは、2年くらい苦しんだころ、頭から離れない強迫観念がつらくていつものようにネットで対処法などを検索していてとあるサイトの記事で知った「侵入思考」というキーワードでした。
http://kyou89.fc2web.com/hanyou/han_02sikumi.htm

人が一日のうちに思い浮かべる思考の一部に“本人が意図せずに浮かんでくるイメージ=侵入思考”があるというのです。これを知って「そうか!人間として生きる以上これは仕方のないこと、消そうとしてもムダなんだ」と思いました。いままでは不吉なイメージを「浮かばないようにする」「完全に消してしまう」ことに全精力をつぎ込んでいたのですが、そもそもそれ自体が「不可能なこと」なのだと気付き、強迫観念は「受け入れる」しかないと考えを変えることができました。

同時期に「白クマ効果」についてもネット検索中に以下のサイト
http://ocd-net.jp/column/c_75.html
を発見し、知識として得ることで、そういう脳の効果を客観的に捉えることができるようになり、不吉なイメージを考えないようにしようと強く思えば思うほど不吉なイメージを考えてしまうというのは人間の自然な脳の働きなのだとわかりました。

儀式を行わず我慢していれば強迫観念は完全に消え去ってくれる=ゼロになるものだと思い込んでいました。強迫観念は「消し去るもの」ではなく「あるがままにしておく」というふうに考え方を変えることで最初の壁を乗り越えることができました。いまになって当時の本を読み返すと結局は同じことが書いてあるのですが、私の場合考え方を変えるきっかけには「侵入思考」というキーワードが必要だったようです。無責任な表現になるかもしれませんが、強迫性障害からの脱出のきっかけはやはりひとそれぞれタイミングがあるのかなとも思います。

タイミングといえば、ちょうど闘病中に健康診断で「血糖値」で引っ掛かかりました。即糖尿病という数値ではなく糖尿病予備軍的な空腹時高血糖という枠の一番低い数値で、再検査では正常値を示し事なきを得たのですが、腎臓内科の先生から当時服用していたジプレキサという薬は血糖値を上げる働きがあるから気をつけなさいと言われました。効果の実感がないまま気休め的に服用していた薬で糖尿病の危機にさらされ、「何としてでも薬を減らしてやる!」と決意したことも強迫からの脱出の手助けになりました。

それからはいっそう「あるがまま」「エクスポージャー」を実践し、心療内科の先生にも「大丈夫です、薬減らしてください」と半ば無理やりお願いし、半年くらいかけて投薬はやめました。その勢いで半年後には通院も終えました。こちらも強引に「もう大丈夫ですから、次回の診察はなしでお願いします。しんどくなったらまた来ます」みたいなことを先生に言った記憶があります。

あとは年齢です。40歳代にもなると精神的にも体力的にも衰えを感じます。儀式をするにも体力的にムリがくるのです。また残りの人生を考えたときに、強迫性障害のまま人生を終わるくらいなら、怖くてできなかったエクスポージャーも「イチかバチかやってみてやろう」という気にもなれたのだと思います。私の場合の強迫性障害からの脱出はこれらのことがタイミングよく重なってできたのかもしれません。もし私が20歳代でまだこの先に長い未来があったとしたらやはり恐怖への突入は挫折したかもしれません。



■改善した今、振り返ってみて、どれくらいマシになりましたか?

いまは儀式はほぼしなくなりました。「あえてしないようにしている」というほうが正しいかもしれません。少しネガティブな表現になりますが、強迫の壁を乗り越えても強迫観念自体はなくならないのです。目の前にある大きな大きな壁を乗り越えたらその向こうは何もジャマするものがない地平線が広がっていると思っていたら、実際は無数のハードルが並べてあった・・・そんなイメージです。でもそのハードルは最初の壁よりははるかに低く、飛び越えても避けても蹴り倒しても、時には手前で一息ついてもいいのだと思います。


壁を乗り越えた今でも日々強迫観念の精神攻撃を受け続けています。強迫観念の攻撃は例えるなら台風のように大型のものもあればたいしたことないもの、逸れてくれるものなどいろいろあります。また自身のバイオリズムによっても対応できるときとできないときがあります。私はたいていは「あるがまま」=不安なイメージをそのままほうっておくことで対処します。


それでも時折無意識にいままでの習慣からその不安をつかんでまじまじとながめたり、こねくりまわそうとしているときがあるのですが、そうしている自分に気付いた時点でそっとはなすように心がけています。水中でつかんでいたゴムボールをそっと離すイメージです。ボールはそのままふわふわ浮いておりそのままにします。たしかに「あるがまま」よりも、苦しい儀式をしてなんとか強迫観念が消え去ったときのあの「頭の中のクリア感」のほうが気持的には勝るのですが、「あるがまま」がいちばん「人間らしい」と信じて対処しています。この「あるがまま」の姿勢は強迫性障害に対してだけではなく、いまでは私の日常生活、人生にも活かされてきました。もともと何事もきちんと解決しなければ前に進めない性分だったのですが、「そのときどきで考えて対処すればいい」「いま自分にできることはだいたいやったからあとはもうどうしようもない」と考えて不安とうまくつきあうことができるようになってきました。そうして自分の回りにふわふわ浮いている「あるがまま」状態の不安(先ほどの例でいうとゴムボールですね)が増えれば増えるほどいちいちかまっていられなくなり「もういいや」って感覚にもなれるものです。


それでも時には「あるがまま」で対応しきれない強力な強迫観念と出会うときがあります。そのときは「突入」です。これがいわゆる「エクスポージャー」というものだと思うのですが、強迫の精神攻撃を受け入れあえて自らダークサイドに堕ち、「自分は悪だ!それがどうした?かかってこいや!」と強迫に向かっていきます。


ときどき電車の中とかでゴムボールを離す動作や「かかってこいや」の身振りが思わず出てしまうことがあって恥ずかしい思いをすることがありますが、苦しい儀式をしてしまうよりはマシだと思っています。「エクスポージャー」は本で読んだときは「絶対できっこない」と思いましたが、決死の覚悟でやってみると意外にラスボス級強迫観念も“しゅん”となるものです。信じられないくらいに。



最後に、

闘病中の後輩へ伝えたいことを

【実話】強迫からの脱出 No.04-4 ボコロロさん

で伝えて頂きます。


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