”正しく怖がる”ことはできるのか?
新型コロナウイルスに関しては日に日に感染者数が急増し、日本でも緊急事態宣言が出されるのではないか…という瀬戸際を迎えています。
とはいえ、私はやはり「正しく怖がる」ことを続けたいと考えています。
一方でこの「『正しく怖がる』なんてない」と主張される方もおられますので、私なりにこの「正しく怖がる」ことについてちょっと考えてみました。
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私が考えている「正しく怖がる」ということを言い換えると
不安も恐怖も認めつつ、なるべく冷静に判断しよう
ということです。
数日前にテレビを見ていましたが、その中でインタビューに答えていた若い方はこんなことを言っていました。
「かかったら、かかったときに考えるかな」
一方で、このところスポーツ選手の感染も増えてきていますが、それらに対するニュースサイトのコメント欄ではこんなことが書かれていました。
「日頃から鍛えているアスリートでも感染するんだから、自分が感染するのは不安で仕方ない」
これらは私からすると、どちらも「正しく怖がっている」とはいえません。
前者は言い換えれば 無関心 です。
後者は言い換えれば 過剰な不安 です。
無関心が起こるのは「他人事が自分事になっていない」とか、「不安や恐怖が強すぎて否認している」など、いろいろな背景は考えられるものの、いずれにしても適切な対応とは言い難いですよね。
また過剰な不安に関しても同様に、適切な対応には結びつきにくいように感じるのは想像に難くないと思います。
だからこそきちんと現実を直視して、なるべく冷静に判断し、行動することが大切なんだと私は考えています。
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正直にいえば、私自身も今でも怖いですよ。本当に。
そしてそう言った不安や恐怖などの感情は非常に強力なもので、頭ではわかっていても、つい感情に煽られた行動をとりそうになることもあります(品薄になったカップ麺の棚を目の当たりにして、いますぐ必要じゃないのにカップ麺を買おうとしたり…)。
でも、そうやって感情に煽られて行動しても、あまりいいことはありません。
もちろん無関心では、自分勝手すぎます。
だから現実をきちんとみて、なるべく冷静に判断し、行動したいと考えています。
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