『マスゴミ』論

 既存の放送・新聞・雑誌等の媒体を総称して“マスコミ”と言いますが、テレビは軒並み視聴率を落とし、活字媒体は軒並み販売部数を落としている。この不甲斐ない現状からネット界隈では『マスゴミ』と揶揄されている訳ですけれど。

 では何故そうした大手マスコミは『ゴミ』と化したのか?
 これは都知事選以降の大手マスコミによる石丸伸二氏へのバッシングを見ると明らかであります。
 彼は都知事選の開票特番にて「あなた方の“その手”には乗らんよ」という姿勢を貫きました。
 これを持って「態度が悪い」だの「論点が噛み合わない」「議論にならない」だの言われた訳ですが、何故彼がそうした態度に出たかと言えば、

 始めに結論ありきのインタビューだったから

に他なりません。
 報道とは事実を伝える事、ありのままを伝えるのが本質です。謂わば【ノンフィクション】でなければならない。
 しかしながらテレビ各局はそれぞれ事前に意図、言い換えるなら結論ありきの筋書きを描いてそれに向けての『誘導尋問』を行っていた。
 筋書きがあるならもはやそれはノンフィクションでは有り得ない訳ですし、それでもノンフィクションだと言い張るならそれこそが“やらせ”に成り下がる訳です。
 過去に何度も“やらせ”で痛い目にあっていながらも、特にテレビ各局はそれを止めようとはしない。
 だからこそ石丸氏は「その手には乗らんよ」と態度に表した訳です。
 これは彼が主張している事が正しいか否かの議論とは別の文脈であります。

 ありのままではなく視聴者に向けてキャッチーな場面を“作って”見せるのは演出と言えば聞こえは良いけれど、報道というものに視聴者であり読者であるユーザーはそれを求めてはいない事を気付くべきです。
 イスラエルとパレスチナとの紛争を報じるにA局はイスラエルが正しい、B局はパレスチナが正しいという意図を持った描き方、切り取り方をするべきではないのです。
 どちらが正しいかという結論はユーザーに委ねるのが報道の本質なのですから。

 言い方を変えるなら、魚介であれ野菜であれ、素材だけを提供し調理方法や味わい方などは“お客さん”に任せればいいのです。

 そこを勘違いしているうちはユーザーからの信用を表す“数字”は取れない事を気付くべきなのです。

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