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写真で大事なのは “光” だと言われるけど・・・

ブランディング Photographer & Videographer の Kokoro です。

写真は、光で描くものだと言われます。

世間一般的には、明るい写真の方が好まれる傾向にありますが、
私自身は、あまり明るい写真は好きではありません。

特に女性のポートレート写真では、明るく飛ばしたような写真をよく見かけるのですが、そういった写真には魅力は感じません。



明るくすることで、例えば顔のシワとか、くすみとか、そういった女性にとっての敵?ともいうべき存在を消してしまったり、目立たなくすることができます。

レタッチで、Photoshopを使うと何でもあり状態で、別人を作りだすことも可能ですからね(苦笑)。

私が写真セミナーでプロの方が、 Photoshopを使ってレタッチする様子を見させて頂いたときの衝撃は凄かったです。

心の中で思わず

「 詐欺やん!!!!」って、呟きました。



なので、私は基本的にはレタッチはほとんどやりません。

ほとんどの人は、自分の顔とか体型とか、よほどのナルシストではないかぎり、自分自身の容姿に何かしらのコンプレックスを持っている人が多いと思います。

自分の目がいやだ、とか

自分の低い鼻が嫌い、とか

自分の〇〇が嫌い・・・

みたいなやつです。



でも、そういったものって自分自身が一番気にしているだけで、
他人から見たら、自分が思っているほど気にならなかったり

むしろ、それが味とな利、特徴となって、良い意味で印象に残るということが少なくありません。


私が思うのは、自分自身を完全に受け入れることができている人の輝きって凄いものがあるということです。

ありのままの自分を受け入れている。

日本人の多くは自己肯定感が低く、自分に自信がない人が多いですよね。

かく言う私も、めちゃくちゃ自己肯定感が低いです。

未だに、自分という存在を受け入れることができずに、日々もがいている最中です。



自己肯定感が低いと、写真を取られることが苦手であったり、嫌いという人が少なくないです。

私自身も、写真を撮るのは好きなのですが、
誰かに写真を撮られることが苦手です。

むしろ、撮られたくない・・・。



客観的に、自分自身を見たときに
写真に写る自分自身を受け入れられないんです。

そんな私だからこそ、撮れる写真があります。

それは、被写体となる人の “良い” 部分を写し出すということです。

その人自身の “良さ” を写真に写し出す。



ただ、ここでいう “良さ” というのは表面的な、見た目、ビジュアル面での “良さ” ということではありません。

本質的な部分での “良さ” です。

それは目で見たものを写真で切り取るということではありません。



写真を撮るときに最も大事にしているのは、撮影の時ではなく

撮影をする前の準備です。

準備で9割以上、良い写真を撮ることができるのかどうかが決まる、といっても過言ではありません。

撮影前にコミュニケーションをとって、関係性を深めるという過程を必ずふまえるということです。

関係性を構築できていなければ、撮影時に被写体の “良い” 部分を引き出すことができないからです。

関係性さえ構築できていれば、相手の “良い” 部分を引き出し、写し出すことができるようになります。



これまでの記事でも、関係性の重要性については何度も書いていますが、関係性によって、写真の結果が大きく変わってきます。

撮影前にしっかりとコミュニケーションをとり、撮影の方向性を定める。

方向性が定ったら、お互いの意識が同じ方向に向くので、あとは意識がブレないようにお互いの共同作業で最高の一枚が撮れるように撮影をしていく、という流れが大事だと思っています。



カメラマンは、自分の好きな写真が撮りたい。

被写体となる人は、自分の好きなテイストの写真を撮って欲しい。

お互いの目指しているゴールが異なると、方向性がズレてしまって、撮影中にも一体感が感じられず、分離してしまうことになります。

そのような状況に陥ってしまうと、撮る側も、撮られる側も、つまらない。

それでは最高の写真は撮れないし、生み出せないですよね。



最高の写真が撮れる条件があるとしたら

それは一体感でしょうね。

どれだけ一体感を感じながら、撮影という時間を共有できるのか。

それは、写真を撮る側と撮られる側という、人と人との関係性だけではなく、その場、その瞬間という環境因子との一体感も含めての一体感です。



一体感を、どこまで深められるのか、ということが
私自身のPhotograper としての永遠のテーマです。

それは、写真を撮る時だけの話ではなく、日常生活においても同じなのです。

日常と非日常とを分けない。

これが大事で、写真を撮る時にだけは意識するけど、それ以外の場面では全くやらない、ってなってしまうと

いざ写真を撮るときに、「さぁ、やろう!」と意気込んだところで、急にスイッチを切り替えてやれるかどうかといったら、できません。

普段、当たり前のようにやっていること(日常と非日常とを分けない)だからこそ、いざ集中したときに、より発揮できるようになると思うのです。

一体感の得られない状態は、違和感や気持ち悪さでしかありません。



写真でいうと

最高の写真を生み出すというのは、撮る側と撮られる側の共同作業で、最高の写真が撮れるように意識を合わせていくということです。

そこに一体感があれば、最高の写真を生み出すことができます。

何となく写真を撮る、写真を撮られる、という関係性では、最高の写真を撮ることはできないのです。


はじめの書き出しから、話が広がっていっていると思われているかもしれませんが、ここからがピークとなる話で、まとめでもあります。

自分の好きな写真のテイストは、もちろんあります。

ただ、趣味ではなくお金を頂いて写真を撮るときには、自分のフィルターは挟みません。

自分の好きな〇〇な感じの写真が撮りたい、というのは挟まないようにしています。


その場、その瞬間で、良い一瞬を切り取る。

光の状態も、常々変化していきます。

被写体となる人の表情も変わるし、外的因子(温度変化や音など)の影響も受けて、感情の変化もあります。

常に状況が変わっていく中で、それを何かしらの型にはめ込むのではなく、最高の瞬間を切り取ること。

そこに意識をフォーカスしています。

最高の瞬間とは、ここまで何度も書いてきた一体感です。



光を読み、光を受けてできる影。

光ばかりを捉えるのではなく、影も捉える。

冒頭で書いた光だけで描くのではなく、光と影のコントラストでいかに立体的に写し出せるのか。

平面的な写真を、どれだけ立体的に三次元的に、被写体を際立たせることができるのか。

言葉で表現すると、こういうことになります。

写真で表現したい主役は、被写体となる人です。

そこに光と影で、どのようにその人自身の本質的な “良さ” を引き出し、写し出せるのか。

それが、私自身の写真における永遠のテーマです。



ただ明るく飛ばしたような “のっぺり” とした平面的な写真は撮りたくありません。

魅力を感じないし、きれいだなとか、かわいいな、とは思っても
記憶には残りません。



その写真を見て、被写体となるその人自身が
自分自身の “良さ” に気付き、受け入れることができる。

自分自身の魅力に気付き、好きになる。

自信を取り戻す。

そういった写真を撮ることで、自分自身を受け入れ、輝きを取り戻して欲しいと願っています。

まだ見ぬ、あなた自身の内側に眠っている、封印している輝きを
写真という手段で引き出し、気づいてもらう。

そんなPhotographer であり続けたいと思っています。



ということで長くなりましたが、最後まで読んで頂きまして
ありがとうございました。


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あなたとのご縁を楽しみにしております!
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