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第2回ケア塾茶山 『星の王子さま』を読む(2017年10月11日)

ゆっくりと読む

西川:京都のほうで『星の王子さま』を読むという勉強会を、毎月第2水曜日7時からということで始めさせてもらいました。第1回目は9月にしまして、今日は第2回目です。
 ゆっくりと読むっていうか、それでできるだけ一緒に考えていきたいなあと思ってます。大阪でも「ケア塾たまてばこ」っていうので、これは主に鷲田清一さんの本をずっと読んできてるんですけど、それはどっちか言うたら僕が一人語り、ただ読んでただぶつぶつしゃべるというスタイルなんですけど。まあ前回もそれに近かったかもしれませんけれども、ケア塾茶山では、できるだけ参加した人たちと一緒に話をしながら考えていきたいなと思ってます。
 ちょっと広報に何か文章欲しいということで書いたんですけど。まあこの『星の王子さま』ってね、ただ読んだだけではどうしてもこう届かないところに、なんか大切なものがある気がします。それで、それ一人で読んでもちょっとね、やっぱ難しいかなあと。みんなと話をしているうちに、まあ誰の言葉がきっかけになって、自分のもつれてた考えがほどけていくか…っていうかは、それは分からないですよね。とにかく自分とは違った読み方っていうか、感じ方、思い方っていうものに触れることが。
 案外分かりやすそうで分かりにくい本なんですね、この本ね。だからそういう意味では、僕が一人でしゃべると、まあ一つの意見は聞けるわけですけれども、もっと、せっかくですから、みんなそれなりに大変な思いしてここまで集まってきてくれてますので、話をしていけたらなと思ってます。何を話し合うかについても僕から問いかけたりしますけれども、みなさんの中で「ここ、ちょっと考えたい」っていうのがあれば、また言っていただければと思います。
 それで、スピードはゆっくりというか、とにかく一字一句残さずに読むつもりではおりますので。前回は本当に献辞のところだけで終わりましたけれども、今日もそんな感じになるかもしれません。速く読むとか、早く理解するっていうことじゃない。自分の分かり方だけでスッと通り過ぎてしまわない。今日の読むところも大切なところですけど、人は分からないことになかなか耐えれない、とにかく自分の手元にあるもので片づけてしまうっていう癖があります。それをできるだけ、普段はそうしないと日常生活なかなかやっていきづらいところがあるんですけれども、大切なものを見つけようと思うときには、はたから見てたらばかばかしいぐらいゆっくり読むっていうようなことも、時には必要なんじゃないかなっていうふうに思ってます。

震える友人を慰めるために

西川:前回のちらっとだけ振り返りですけど、5ページの「レオン・ヴェルトに」っていうところで。
 レオン・ヴェルトのこととかまだ僕そんなに詳しくは知らないですけど、この中でものすごく有名なのは、

おとなはだれだって最初は子どもだったのですから(でも、そのことを覚えているおとなはほとんどいません)。

っていうこのフレーズなんですけれども。
 これも大切なことだとは思いますが、僕は三つ目の理由のね、

このおとなは今フランスに住んでいて、お腹をぺこぺこにすかし、寒さにぶるぶる震えています。そんな人はどうしても慰めてあげなくてはいけないからです。

っていうふうに書いてありますけど。
 レオン・ヴェルトはナチスに占領されたフランスにユダヤ人として居て、もともと平和主義的なジャーナリストですから、フランスの植民地政策なんかにも批判的な人だったんですけれども、この彼がナチスから逃れるようにしてフランスの片田舎で身を隠してひっそり生きてるわけですね。サン=テグジュペリはフランスから出てアメリカで、アメリカの参戦を促すっていうかたちで、なんかそれなりにフランスの今ある状況を変える、そういう政治的な活動をしようとしたわけですけれども。
 まあド・ゴール派ともヴィシー派ともって二つに分かれたわけですけど、ド・ゴールというのはロンドンに行って「レジスタンス運動をしろ」と一生懸命言った人ですけど、フランスにいないわけですね。ヴィシーっていうのは映画の『カサブランカ』でも出てきますけれども、ナチスの傀儡政権[*1]なんですね。フランスに留まっているけれどもナチスの言いなりになってるっていうことで。この二つの政治的な対立がものすごく激しかったわけです。アメリカでもやはりド・ゴール派とヴィシー派みたいなのがいて、サン=テグジュペリはその両派から攻撃されるんですよね。政治的にド・ゴール派でもないしヴィシー派でもないというかたちで。そういうこう、非常に微妙な立場にいた人なんですけれども、彼結局はフランスに戻るわけです。フランスに戻るっていうか、軍隊にもう一度入ってフランスに戻るっていうかたちになるんで、フランスの戦線に戻るっていうことになるんですけれども。

 [*1] 傀儡政権:ある領域を統治する政権が、名目上には独立しているが、実態では事実上の支配者である外部の政権・国家によって管理・統制・指揮されている政権を指す。内政も外交も自己決定が完全ではなく、支配者の利益のために支配者に操作・命令され統治される。

 彼がいったい、このフランスに残してきた20歳ぐらい上の友人であるレオン・ヴェルトのその苦境をどんなふうに考えて、それに対して自分がどんなふうな責任を感じていたのか? その人を慰めるだとか力づける…、まあいろんな意味があるかもしれませんけど、とにかくその「見捨ててはいない」っていうそのメッセージとして、この『星の王子さま』は書かれている部分があるんですよね。じゃあ、レオン・ヴェルトだけじゃなくて、レオン・ヴェルトを代表とする祖国フランスの人たち、それからユダヤ人の苦しみみたいなものに対して、サン=テグジュぺリはいったいどんなふうな責任を感じていて、いったいどういうふうにそれを慰めるっていうか、どんなふうに行動すべきだと考えていたのか? 慰めなければいけないのに、この本を捧げているわけです。この本のいったいどういうところがレオン・ヴェルトの苦しみだとか悩みだとか、ナチスに占領されている祖国フランスの人たちに対して、どういう慰めの物語になるのか? これをやっぱり読み解かないといけないかなって思います。
 『星の王子さま』をバラとの恋愛物語と読むこともできるし、それから少年の成長物語として読むこともできたりだとか、いろんな読み方できるんですけれども、この献辞の中に書かれてある「慰めてあげなければいけない」という言葉。これ、サン=テグジュペリが本当に亡くなる寸前に書かれた本なんですけど、「子ども向けのクリスマス用のプレゼントに」ということで。まあ彼としては唯一これだけなんですけど、子ども向けの本と言われているのものはね。でもそこに込めたメッセージっていうのが、やっぱり彼が一番こう苦悶した戦時中の自分のあり方と密接に関係しているんだろうとは思います。僕もそれほど第二次世界大戦時の、フランスの複雑な政治的な状況は分かりませんけれども、そこらへんはどっかにあるんだっていうことはやっぱり意識するべきかなと思ってます。
 で、年の離れた友情ということで、実際にレオン・ヴェルトとサン=テグジュペリの中にあるわけですけど。このパイロットが不思議な少年っていうか星の王子さまについて物語るっていうのも、これ友情の話なんですね、ずいぶん年の離れたね。だからそんなことも考えてみると、ちょっとまたいろいろと考えることがあるんじゃないかなあってことを思ってます。

参加者の自己紹介

西川:さて、今日は第I章第Ⅰ節のところから始めますけれども。まあ最初にちょっとみんな軽く自己紹介しましょうか。
 西川勝です。今日は朝早くから起きてJRの和歌山駅まで行ってですね、それから大阪矯正管区[*2]の役人の人たちに連れて行ってもらって、和歌山刑務所、女子刑務所ですけど、の参観というか見学に行ってきました。それで見学が終わってから、向こうの刑務所の所長と一緒にごはんを食べて、1時間ほど雑談というかちょっとしゃべって、それから帰ってきたんですけれども。
 兵庫県、京都府、奈良、和歌山、大阪の少年院だとか刑務所だとかの収容されている人たちが、余暇の時間に文芸作品作ってるんですね。で、そのうちの、僕は俳句と随筆を担当することになって。まあ審査じゃないですけど、どれがいいっていうのを選んで印刷物にするわけです。全部刷るわけにはいかないんで、いくつかを僕が選ぶということで、僕が俳句と随筆ってエッセイの担当になったんで。そういう関係で、文芸の審査員をする4人ぐらいのメンバーが、どういう状況でどういう場所でそういう作品が作られているのかっていうことを、まあ多少でも知ることがあったほうがいいやろうっていうことで、刑務所をこう。こないだは加古川へ行ってきましたし、今回は和歌山行ってきました。あとまた京都の刑務所にも行く予定です、来月。大阪がなかなか忙しくて行けないみたいですけど、行ったりするんじゃないかと思いますけども。うん。まあそれを話せばまた長いんですけど。

 [*2] 大阪矯正管区:法務省矯正局が所管している日本に8つある矯正管区の1つ。滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山の各府県にある刑事施設・少年施設の監督。

 もともと僕、精神病院の看護師してましたけど、もうそっくりですよね、刑務所って。精神病院に本当そっくりです、本当にいろんな面で。今日は、女子刑務所ですから所長が女性の人で。なんかねどう見てもね、どっかの看護部長さんにしか見えへんねんな、本当に。本当に看護部長さんみたいな感じの人で。
 覚せい剤の人が半分以上であとは窃盗とかですけど、高齢化が進んでまして、86歳からということで。女子刑務所は男性刑務所と違って、犯罪傾向の進んでる進んでいないだとか、懲役の刑の長短によって分けてないんですよ。もうみんな一緒なんです。外国人も入ってるんですね。作業をやっているところとかも見せてもらいましたけど、もうおばあさんだらけです。それでおばあさんたちの再犯率がすごくって、3日後に入ってくるとかね。要するにこれ少年院とかでもそうなんですけど、少年院とか刑務所とか出てからの社会復帰の手立てがほとんどないんですよ。居場所がないんです。仕事もないんです。就労支援だとかそういうこともやってるんですけど、なかなかそれがうまくいかなくて。
 ひょんなことですけど、エンパワメント協会[*3]あるやんか、あそこから「今度、事例検討のアドバイザーになってほしい」って言われたんですけど。それも加古川の少年院を出て、居る所がなくって、あそこの関係のグループホームかなんかに入って、犯罪歴のある知的障害の子どもとどう接していいのかっていうことで、スタッフ自身がものすごく困惑してるっていう。要するに社会に戻るときに、社会っていうか地域のサポートがないとどうしようもないですけど、障害者を専門的にサポートする人も、いったん少年院入ったとかっていう犯罪歴が入ると、一気になんかやっぱりね、いろんな意味での不安だとか戸惑いが多くなるみたいで。
 高齢者のもうほとんどね、犯罪しようにもそんなパワーないやろ、みたいな人までが。やっぱり地域の中で住む場所も、仕事ももちろんないですから。再犯防止のためには、職業・仕事を持つことと居場所があること、この二つが必須なんですけど、この二つが用意できない。それで、刑務所は刑期が終われば出ていきますから。「自立できるまで置いといてあげる」っていうような福祉施設ではありませんからね。…みたいなかたちで、まあいろんな社会の問題っていうのが本当に、罪を犯したと言われている人たちですけれども、そういう人たちのところに積み重なって押し寄せてきてるんやな、みたいなことは感じてます。

 [*3] エンパワメント協会:NPO法人エンパワメント・プランニング協会。2002年発足。「支援と関係性」を活動テーマとし、知的障害のある人との関わりについて、実践をもとに共に考え当事者や支援者のエンパワメント(内在する力を引き出しあう)を図り、誰もが自分らしく生きていける社会をめざして活動している。

 ただ、僕が以前勤めていた精神病院よりはかなり自由があるというか。日用品の注文なんかでも、石鹸頼んでも3種類の中から選べるって。僕らの時の日用品って、石鹸と言えば石鹸ですからね。で、コーヒー言うたら缶コーヒーですからね。何年経っても銘柄は変わらない、みたいなね、そういうやつでしたけど。今、刑務所の中では石鹸と言ったら、殺菌用のやつと、それから無添加の石鹸と、それから花王石鹸と、3種類ぐらいに分けてそれで選べるようになってたりだとか。まあそういう意味ではいろいろと人権的な配慮っていうのは進んでるし、刑務所の中もまあまあきれいでしたね。でも、いいとこ見せてるんだとは思いますが。まあそんなことでした。はい。
 今日はそんなことをしながらちょっと早めに着いちゃったので、出町柳からうろうろ歩いていろいろと懐かしい場所とかを見つけてました。はい、じゃあ軽く。

A:Aといいます。最近リバティおおさか[*4]に行ってきて。私宅監置[*5]っていう言葉があって、まあ座敷牢ですよ。呉秀三[*6]っていう先生が全国の座敷牢の調査研究をして発表された論文が90年前に出されて、それに関するパネル展示と、研究されてる愛知県立大学の橋本明[*7]いう人の講演があって、それを勉強しに行かせてもらってました。

 [*4] リバティおおさか:大阪人権博物館の愛称。大阪における同和問題を中心とする人権問題に関する資料を『なにわ』の庶民の生活、文化とのかかわりの視点から見つめ直して、蒐集し、保存するとともに、これらを常時一般に公開することによって、同和問題をはじめとする人権問題の生きた教材、学習の場を提供している。
 [*5] 私宅監置:日本にかつて存在した、精神障害者に対する制度で、自宅の一室や物置小屋、離れなどに専用の部屋を確保して、精神障害者を「監置」することである。明治時代~昭和時代中期頃までの精神医療は精神障害者の治療よりも隔離・監禁することを主な目標をしていたが、当時は精神科病院や精神科病棟は不足していた。そのため私宅監置が行われた。
 [*6] 呉秀三:くれ しゅうぞう。1865-1932、江戸生まれ、医学者、精神科医。東京帝国大学医科大学教授、日本における近代的な精神病学の創立者。クレペリン学派の新しい精神病学の普及を通じて、精神病患者の監護法を改めた。
 [*7] 橋本明:はしもと あきら。愛知県立大学教育福祉学部教授。専門は精神医療史、精神保健福祉論。「近代日本精神医療史研究会」を組織し、日本各地における病院外の監置患者や神社仏閣における伝統治療に関するフィールドワークを行っている。

西川:今日?

A:いや、この前終わったんです、7日やったかな。で、座敷牢って要は結局厚労省の管轄と違うて、警察の管轄らしいんですね。なんかそう言うてはりましたけど。

西川:その当時の法律でしょ?

A:当時のね。で、いろいろ勉強してて。で、最近の、その先生が学会でアメリカ行かはって、ピッツバーグへ。そこの地域はもう精神病院はもう廃止して、「ない」って。精神科の障害者のかたね、精神疾病とか知的障害のかたどうされているか言うたら、結局ほとんどの人刑務所へ行ってるらしいです、犯罪を犯して。だからほら、最近イタリアのね、「マットのない町[*8]」とか言って映画でもてはやされて、僕まだ観ていないし観たいんですけど、詳しく分からないので、ちょっと疑問をずっと胸に持ちながらおるんですけど。「精神科病院のない街って実際のとこ、そうや」ってね、アメリカの例を聞いたんで、「ひょっとしたら刑務所行ってんのちゃうんかな?」とか思ったり疑ったりとかしてます。そういうことがありました。Aでした。

 [*8] マットのない町:映画 “C’era une volta la città dei matti...” マルコ・トゥルコ監督、イタリア、2010年。邦題は『むかしMattoの町があった』。イタリア精神保健改革の父と呼ばれる実在の精神科医フランコ・バザーリアにスポットを当て、1978年に施工された世界初の精神科病院廃絶法「バザーリア法」誕生までの道のりを、精神障害患者たちとの交流を交えながら2部構成で描いた伝記ドラマ。

西川:呉秀三はね、「日本の精神病者は二重の不幸に見舞われてる」って、「精神病者になってしまったこと、なおかつ日本でなったっていうことで、二重の不幸に見舞われてる」って言うんですけど。その状況が大きく変わってるかどうか、まあ難しいところですけど。はい。

A:50年前、1970年代までは事実上存在して。法律上は1950年には廃止されてたんですけど、

西川:今は家族と言えどもDVで、それをやったほうが捕まりますよね。そういうのはあるとは思いますけど。はい。ありがとうございます。

B:Bと申します。よろしくお願いします。ココペリでヘルパーをさせてもらっています。介護力がアップすると聞いてここに来ました。介護力をアップしたいんです。どうぞよろしくお願いします、みなさん。

西川:介護力って何なのかっていうのがねえ、大事なところですけどね。はい。

C:Cと言います、よろしくお願いします。プリンターが壊れて、ネットカフェに行ってプリントしようとしたら、「入会金は50歳以上は要りません」と言われて、ちょっと嬉しいような複雑な気分の今日でした。はい(笑)。

西川:それ、ネットカフェに行かんでもコンビニでできるんちゃうんですか? 最近。

C:プリンターが壊れて。USBに入れていったらいいんでしょうけど、もう1回最初から打とうと思ってね。どうせ行くんやったら飲み物もタダやしと思って、そこでやって。プリントアウトしようと思ってそこに滞在しようと思ったら、入会金はただでした、50歳以上は(笑)。

長見:何というところですか?

C:快活CLUB。

長見:快活CLUB。へえー、ただなんですか。

C:300円ぐらいですけどね。

長見:でも中は高いでしょ? 中の料金は。

C:でも1時間300円ぐらいですよ。

西川:すごいね、やっぱ。俺ネットカフェって行ったことないもん。

C:行く必要ないからじゃないですか?

西川:行ってみたいと思ってるんですけど、昔から。

C:みんな横でカチャカチャカチャって、キーボードの音とかすごいしてますよ、やっぱり。

西川:なるほどね。今、何て言うか、釜ヶ崎で活動をよくやってますけど、日雇い労働者って昔は寄せ場[*9]っていう所があったから、そこに集まらざるをえなかったんですけど、今はみんな携帯で集められるんですよ、手配師から。だから顕在化しないんですよね、日雇い労働者の実態が。特に若い人たちは、みんなネットカフェに寝泊まりしてる。うん。電話があったら直接現場に行くっていうかたちで、そういうね、昔みたいにトラックとかそんなん来て、「一日なんぼや」言うてバーッて連れていかれるみたいな、目に見える収奪の姿が見えないんですよ、今。見えない、見えなくなってる。不幸がね、いろんなかたちで見えなくなってる。精神病者がいない街って言うけど、街にいないけど施設に入れられてるとかね。
 僕の同僚で池田光穂[*10]という人類学者がいたんですけど、「認知症のいない島」っていう論文を書こうとしたんですって。ほんなら確かにいないんやけど、みんな本土の精神病院に入れられてたっていうオチがつくような研究があったりとか。今、自分たちの社会というのは非常に、いわゆる狭い意味での市民社会というのはどんどん清潔志向というか清浄志向というか、目に見えるかたちの不幸がどんどんどんどんなくなっていってるんですけど。まあ、そういうのはあるかなって。ネットカフェの話なんかでも、そんなん思いましたけどね。はい、どうぞ。

 [*9] 寄せ場:日雇い労働の求人業者と求職者が多数集まる場所のこと。
 [*10] 池田光穂:いけだ みつほ。1956年大阪府生まれ、文化人類学者。大阪大学COデザインセンター・社会イノベーション部門教授、同センター・副センター長。専門分野は医療人類学、コミュニケーションデザイン。

D:Dです、こんばんは。すごいおいしそうなお料理が並んでる。

西川:食べてくださいね。しゃべる人以外は(笑)。

D:ぬか漬けをずっと前から憧れてて、やっと始めたところで、美味しく漬けられるようになるのが夢です(笑)。ちょっと試行錯誤してやってます。結構、短時間ですぐ漬かったりとかして面白いなと思って。また濃く漬かったときには、刻んでマヨネーズで和えたりするとまた美味しいとかって調べてて。ちょっとずつやっていこうかなと思ってます。

西川:はい。釜ヶ崎で一緒に活動やってる宮本さんていう若い人いるんですけど、あの人が「天地返し」っていう言葉大好きでね、それぬか漬けの秘技らしいですよ、ひっくり返すっていうのね。「天と地をひっくり返すみたいなことの中でぬか漬けが美味しくなるんや」みたいなね。「自分たちの活動も、そういうこう先生と呼ばれてた人たちが先生じゃなくなってちゃんと話を聞く生徒の立場になったりとか、天地をひっくり返したほうがやっぱり世の中って腐らなくてすむ」みたいなことをよう言うてます。若い人ですけど、立派な人なんですけど。はい。

E:Eと申します。演劇の関係の仕事をしておりまして。別に仕事に何とかってことで来たわけじゃないんですけども、たまたま西川先生をパネラーでいらしたのを聞きまして。で、どんな方かなって思って。ネットでお友だちとつながってるんですね、知り合いが。自由律俳句っていうのも一回舞鶴に行きまして、たまたまこれもネットで見て、何をされるのかも分からずに来ましたが、すごく興味を持っています。よろしくお願いします。

西川:演劇ねえ。今度僕ね、11月から芝居の練習するんですよ。今までね、平田オリザ[*11]と同僚になってもしなかったんですよ、演劇。でも、釜ヶ崎の「ひと花笑劇団」[*12]といって、65歳以上の生活保護を受けてる単身生活者の人たちが主に中心になってる演劇サークルみたいなんあるんですけど、そこで「西川さんの役を作ったから。3月にシンポジウムがあるから、そのために毎週水曜日練習しに来てください」みたいなね。11月から始まるそうです。毎週は無理かもしれんけど、まあまあ鍛えられようかなと思って。また。はい(笑)。

 [*11] 平田オリザ:1962年東京生まれ、劇作家、演出家。劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場芸術総監督、城崎国際アートセンター芸術監督など。「現代口語演劇理論」という実践的で新しい演劇理論によって持続的な活動を続けている。
 [*12] ひと花笑劇団:ひと花センターの利用者による劇団で、大阪市西成区を中心に活動している。

長見:演題は決まってるの?

西川:演題は知らんけど、なんか松竹新喜劇のやつをちょっと改作した、いつも人情喜劇みたいなやつやねん。俺がどんな役になるのかもよう分かってないねんけどね。悪党かなあ。

A:告知してくれないですか? いつ、どこであるか。

西川:まだちょっと知らんねん、僕も。「ひと花センター」[*13]っていう釜ヶ崎にあるね、施設っていうかがあるんですけど、あいりん地区のそういう高齢単身者の生活保護受給者の社会的つながり事業っていうことをやっているセンターで、シンポジウムが毎年2月か3月にあるんですよ。そこでたぶん役者デビューです。はい。

 [*13] ひと花センター:大阪市西成区単身高齢生活保護受給者の社会的つながり事業を行っている。

F:こんにちは。Fといいます。ココペリ121のいろんな、あれは何の会かな(笑)、よく分からない集まりに時々来させていただいてまして。西川先生の講演も何回か聞かせていただいて、ちょっと面白い人だなと思ってたら、長見さんとつながりがあるっていうことが分かって、これは面白そうっていうことで。『「聴く」ことの力』の勉強会のほうも行かせてもらったんですけど、これはちょっと難しすぎて続きませんでした。『星の王子さま』の本、私恥ずかしながら読んだことなかったんですけども、来させてもらうのにちょっと読んだんだけど、「分からん!」という感じだったので、どんなお話が出てくるのかすごい楽しみで来させてもらいました。長見さんとは昔の仕事の同僚です。よろしくお願いします。

西川:ありがとうございます。はい。

G:Gです。北区から来ました。普段は知的障害のある人のグループホームで週に1回とか2回とか働いて、あとは畑をやったり、話の輪をやったりしています。今日は夕方に畑を見たいという人が来たので、その人にちょっと畑を紹介して、それから来ました。よろしくお願いします。

西川:はい、ありがとうございます。

H:Hと申します。よろしくお願いします。精神科病院で看護師をしておりまして、先ほどの話でちょっと、刑務所の所長さんが看護部長みたいなん、なんかすごくウケました(笑)。

西川:いやあ、いい人でしたよ(笑)、なんとなく。

H:閉鎖病棟にいるので、自由がないっていうものに慣れ過ぎてるなっていう、ちょっと世間と違う感覚を持ってるんだなっていうものを常々感じたり。昨日、厚労省かなんかの覚せい剤再犯予防かなんかの研修で、やっぱりいろんなその関西の地区、大阪、神戸とか、おっしゃったような地区の人と地元の指導員で、結構高齢なおっちゃんおばちゃんもいはったんですけど。やっぱり「再犯が多くて、刑務所の中にいっぱいいます」っていう、聞いてきたちょうどその話やなと思って、今日うかがって。はい。

西川:薬物の回復者のダルク[*14]ってという団体があるんですけど、あそこの人たちと結構…、僕ね、何度か呼ばれて話したりしてるんですけど、俺がよく分かってなくてね(笑)。全然うまいこと話がかみ合ってないですけど。あと摂食障害の人も結構多くてね、あの、女子刑務所。すごいみたいですよ。

 [*14] ダルク:DARC。ドラッグ(Drug=薬物)のD、アディクション(Addiction=嗜癖、病的依存)のA、リハビリテーション(Rihabilitation=回復)のR、センター(Center=施設、建物)のCを組み合わせた造語で、覚醒剤、有機溶剤(シンナー等)、市販薬、その他の薬物から解放されるためのプログラムを持つ民間の薬物依存症リハビリ施設。

H:覚せい剤とあれですよね。

西川:うん、の人もいるからね。だから自傷、自殺企図の人もいるんですよ。でも日用品でバスタオルも買えるし、ボールペンも買えるし、だからボールペンで首つつく人もいるんですって。

H:でも買えるんですね。

西川:買えるんですよ。精神病院ではあり得ないでしょう? 箸までねえ、丸たんぼでしたからね。

H:いや、そこまで最近は。ましです、ちゃんとお箸です。

西川:そうか、ならいいけど。ほんとに自殺に使えるかもしれないと思う物は徹底して排除してたのが、僕の勤めてた頃の精神科で。それが良かれって思ってましたけど。まあ、そういうこう自殺企図がある人から全部離してしまうっていうんじゃなくて、やっぱりねえ。いろいろなんか悩んでたみたいですけど。人権意識という意味では、まだ刑務所のほうが、正義をあんまり振りかざさないというか。医療福祉って案外、自分が正義やと思い込んでる節がありますんでね。

H:特に医療はね。はい。

西川:ねえ。本当に「いや危ないな」みたいなことは思いましたね。はい。

長見:じゃ、ちょっと先にスタッフを。Iさん、オープンダイアローグのこと[*15]

 [*15] オープンダイアローグ:Open Dialogue 開かれた対話。統合失調症に対する治療的介入の手法で、フィンランドの西ラップランド地方に位置するケロプダス病院のファミリー・セラピストを中心に、1980年代から実践されているものである。統合失調症、うつ病、引きこもりなどの治療に大きな成果をあげており、発達障害の治療法としても期待されている。

I:今日が初めて参加させてもらいます、ココペリの職員の、事務と介護をやってますIと申します。よろしくお願いします。精神科に関しての興味は、大阪でココペリの関係者でJちゃんという女性の方の一人芝居で、精神病院に実際に入っていた自分の体験を一人芝居で上演したりしている方がいるんですけど、そういうので興味があって。あと別に、フィンランドの映画で最近“Prinsessa”(プリンセッサ) [*16]っていうのがあって、あれもなんか精神病の治療の歴史みたいなのを、実際にあった話を元にして映画にしたっていうのがあって、それで観てまた興味があって。最近の流行りで、今度は薬を使わなくても治せるような可能性もある、話し合いで結構いい環境になるっていうオープンダイアローグっていうのがフィンランドでまた出てきまして、最近はそれに興味を持ってまして。それがまた、今度日本ではまた別で、オープンダイアローグとはまた別で、人間社会学の人が作り出した、また話し合いで何か状況を改善するっていう、アンティシペイションダイアローグ[*17]だったかな、そういう。それが日本でも講演とかするようになってきたっていうんで、それにもまた興味を持っているところです。 

 [*16] “Prinsessa”:アルト・ハロネン監督、フィンランド、2010年の映画。邦題は『プリンセス』。1945年、統合失調症を伴う躁うつ病と診断され、精神病院に入院させられたアンナは自らを「プリンセス」と称し、王妃のように振る舞っていた。最初は戸惑っていた周囲の患者や病院スタッフも、次第にアンナを「プリンセス」として受け入れるようになり、病院の雰囲気は明るくなっていく。しかし、担当医のヨハンだけは徹底してアンナを患者扱いし、無理な治療を施そうとする。実在した女性アンナ・ラッパライネンの半生を描いたヒューマンドラマ。
 [*17] アンティシペイションダイアローグ:Anticipation Dialogue 未来語りのダイアローグ。当事者や家族支援をするにあたって、多職種の支援者間で連携がうまくいかない、あるいは支援が行き詰っている等、何らかの困難が生じた場合の問題解決のための対話の手法。フィンランドで開発され、北欧ではすでにその効果も実証されている。良い状態の未来を想起することが、現在抱えている不安を軽減し、膠着状態の打開につながる。

 サン=テグジュペリに関しては、お話の中で、この人飛行士で、夜の中を飛んでるっていう話があるんですけど、その時に星空と地面の明かり、街の明かりが区別がつかなくて結構命に関わるっていうそういう孤独感のところが結構好きです。でもキャラクターで、この話に出てくるキツネのキーホルダーを今、鞄につけています(笑)。 あとネットカフェに関しては、彼女とけんかして追い出されたときに。

C:そういうときにね。いつでも受け入れてくれるから(笑)。

西川:(笑) そうやなあ、そういう使い方もあるよな。

長見:えーと、Kさーん。

K:はい。なんとココペリで働いてます、Kと申します。ココペリで働いてますけど、なんか今までこういう会とかにはあまり参加してなくって。でもいろんな人のお話が聞けて面白そうやなと思ってます、よろしくお願いします。

M:初めまして、Mと言います。大阪から来ました。仕事は介護職、老健施設で介護職をしております。今日のこの会はFacebookのニュースフィードで知ったんですけど。

西川:あ、そうなんですか。

M:はい。サン=テグジュペリは結構学生の頃から好きな作家で読んでたりとかしてて、それを題材にしてケアについて考えるというお話だったので、すごく楽しみにして来ました。よろしくお願いします。

西川:結構、時間かかりますよ、これね。そんなにすぐには出てこないですけど(笑)。

長見:老健のナースなんですか?

西川:介護職ね。

M:あ、介護士です。

西川:老健ね、僕も老健に勤めてましたからね。そうですか、はい。

L:ココペリ121のLと言います。「ケア塾たまてばこ」という阿倍野でやってたところにも参加さしてもらったことが、はい。こちらも前回から参加してます。今、ココペリにネパールの方が二人職員で来られてて、週に2回ほど勉強の時間も兼ねてココペリの事務所に来てもらってますけど。そん時に、今ちょっと語学学校に通われてて日本語の勉強されてるんですけど。だから来て最初は、ちょっと学校の宿題とかやってもらってるんですが、あとちょっと時間が余るので、今ちょうどいいので『星の王子さま』を読んでます、順番にね。で、まあ漢字がちょっと十分じゃないので、僕がこの本を見ながら全部ひらがなのやつをワープロで打ち直して作って、それをプリントして読んでやってます。音読はできるので、それで今、四人ほどで輪読して読んでますけど、ゆっくりと。日本語の勉強にもなると思うんですけど。
 前にたしか「書き写してみると気づくことがある」みたいな話があったと思いますけど、それ確かにそうだなと思いますね。この日本語、改めて読んでみるとなんか、日本人だとすっと読めるけど、すっと読めるからこそかもしれないけど、わりとちょっと結構難しい日本語が出てくるんですよね。なんか日本語的にこなれたっていうか、なんか慣用的な表現とかも結構出てきたりとかして、教科書的に日本語勉強している人に説明するのなかなか難しかったりするんですよね。そういうところをね、日本語の勉強にもなるしで、内容をもうちょっと考えることにもなるしで、なかなか今、この勉強会と並行してやってるといい感じだなと思ってます。はい、以上です。

西川:はい。

N:撮影で入らせてもらってます、Nです。ココペリでヘルパーの仕事とか撮影の仕事とかやってます。去年友だちと撮った映画がちょっと賞に入りまして、今週15日に京都シネマで夜上映あるんで、もしよろしければ。

西川:へー、なんていうタイトルなん?

N:『子どものおもちゃ』[*18]っていう。

 [*18] 『子どものおもちゃ』:2017年、第39回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)コンペティション、「PFFアワード2017」入選作品。監督:松浦真一、52分。夏休み中の校舎にて、おもちゃの拳銃遊びに興じる小学生たちが巻き起こす新感覚活劇。

西川:『子どものおもちゃ』、おもろいタイトルやなあ(笑)。

N:子どもが撃ち合うっていう、あまり見れない***なんで、もしよろしければ。

長見:なんかあれだよね、ぴあ、ぴあ何とかフェスっていう、

N:ぴあフィルムフェスティバル[*19]

 [*19] ぴあフィルムフェスティバル:「新しい才能の発見と育成」「映画の新しい環境づくり」をテーマに、毎年東京をはじめ各地で開催されている映画祭。略称はPFF。

西川:今月の15日?

長見:何賞? 準何とかって。

N:準グランプリ。9時10分から。

長見:9時だったっけ? 7時じゃない、19時じゃない?

N:あ、19時10分です。

長見:21時に来たってもう終わってるじゃない。

西川:まあまあまあ、またゆっくりとね。

長見:全然宣伝しないんですよ、この人ね。困った人でね。

西川:困った人やね。はい。

長見:ああ、俺かなあ、あと。

西川:もう逃げられない。

長見:逃げられない(笑)。今日はね、宣伝しようと思って。いよいよココペリはもう介護やめて出版社にしようかっていう話で。まあこれはちょっと、いや何だっけな(笑)。このアイヌの昔話を、私の父親が書いた本があって、これわりと各国語に訳されててね、英語版、タイ語版、それからハンガリー語、セルビア語っていうとこまでは出ててね。ハンガリー語を一冊ちゃんとそこに置いてたんですけど、いつの間にかなくなってて。こないだハンガリーのね、西川さんも一緒にいた、Oさんという古い知り合いが来た時に見せてあげようと思ったんだけど全然見つからなくてね、まあ残念だったんですけど。それは関係ないですが、あと中国語版と韓国語版を出せそうな感じになってきてね。それでココペリのヘルパーでそういう留学生の人が結構いるので、中国語、それから韓国語はなかなかこれはいいスタッフに恵まれてるので。で、ご本人たちもすごくやりたいと言ってくれているので。かなりはっきり言えますけど、他にもいっぱい隠し玉があるんですね。隠し玉あるんだけど、たぶん、でも食えないとは思う。全部赤字だと思うんですね。だからやっぱり介護をやめるわけにはいかないし、介護を優先にしないと潰れちゃいますから。みんな飯食えなくなったら、僕を恨むからね、きっと。だからあんまりこう、はしゃぎすぎないようにしないと(笑)。道楽でやって、みんなね、給料減ったってなると文句言うから。なんか話がおかしくなってきたな。そんな感じです。あとその隠し玉の中に、文字起こしですね、たとえばこの今日のやつも録音とか撮影させてもらっているのは、そういう文字起こしする人がいて。1回目の時も来てくれた舞鶴のPさんとかQさんとかね、今日は文字起こしの締め切りみたいなやつがあって、それとまあいろいろ、猫が危篤状態とかいろいろあって来れないらしいんですけど、そういうスタッフにかなり恵まれてるのでね。まあなんかご注文があれば、文字起こしとか翻訳とか、そんなに難しいことはできないとは思いますけど、そのうち西川さんの本も翻訳させてもらえたらなあと思いますけどね。まあそんな感じで、ちょっとうわついた話です、今日は。すいません。

西川:いえいえ、はい、ありがとうございます(笑)。
 まあこんな感じでべちゃっとしゃべりましたけど、こうやってしゃべりながらね、やっていくのもいいかなと思います。

六歳の頃

西川:じゃあ、最初のとこちょっと読んでいきますけど。まず僕が音読しますんで。

 六歳のころでした。本を読んでいて、あるとき、すばらしい絵が目につきました。原始林のことを書いた本で、題は『ほんとうにあった話』。その絵には、猛獣を呑みこむ、ボアという種類の大蛇が描いてありました。その絵をここにかき写しておきます。
 本には、こんな説明がありました。「大蛇ボアは獲物を噛まずにまる呑みにします。そうして、そのあとは動けなくなってしまいます。獲物を消化するのに六ヶ月かかりますが、その六ヶ月のあいだ眠りどおしに眠るのです」
 ジャングルでは、いったいどんなワクワクする冒険が、ぼくたちを待ちうけているのだろうか。あれこれ考えながら、ぼくは今度は自分で色鉛筆を使って、なんとか初めて絵をかきました。ぼくの一番目の絵。それはこんな絵でした。
 どんなもんだい、と得意顔で、ぼくはその絵をおとなたちに見せて、たずねました。「ぼくの絵、怖いでしょ?」
 すると、おとなたちの答えは「帽子なんかが怖いわけないだろ?」
 ぼくが絵にかいたのは、帽子ではありませんでした。ゾウをお腹に呑みこんだ大蛇ボアでした。ぼくはしかたなく大蛇のお腹の中をかきました。そうすれば、おとなだって分かってくれるだろうと思ったのです。おとなたちは、いつだって、説明してやらなければ分かりません。ぼくの二番目の絵はこんなでした。
 おとなたちは口を揃えて、ぼくに言いました。「外しか見えなくたって、中が透けて見えたって、どちらだっていいじゃないか。大蛇の絵なんか放っておきなさい。それより、地理とか、歴史とか、算数とか、国語のほうがもっとずっと大事だよ」そんなわけで、ぼくは六歳のとき、画家になる、すばらしい将来を諦めたのです。ぼくの一番目の絵も、二番目の絵もおとなたちの評判が悪くて、すっかり自信をなくしてしまったからです。自分の力だけでは、おとなたちはなにも分かりはしません。だから、おとなたちには、いつだって、いつだって説明をしてやらなくてはいけないのです。子どもたちはほんとうに疲れてしまいます……。

ていう、まあここまでですけれども。
 ここね、数字、六、六、六ってね、六っていうのが何回も出てくるんですよ。次の第Ⅱ節っていうか10ページにも、「そんなこんなで、ぼくは」っていうとこ、「六年前までのことです」とかってね、なんかね、六が続いて出てきたりするんですけど。まあサン=テグジュペリってね、案外そういうところあるんですよね。それがどういう意味あるかはちょっとまた別かもしれませんけど。
 みなさん、この六歳というのは、六歳の頃って覚えてますか? 僕なんかにするとね、今60ですから、年に10キロ歩いたとして1キロ地点のことやねんけども、ほとんど覚えてないです。六歳の頃、将来の夢って何やったかなあ? 「おとなはだれだって最初はこどもだったのですから。でもそのことを覚えているおとなは」ってありますけど、みなさんはどうでしょう? 六歳の頃。六歳って何でしょうね? 六歳って。小学校入る? これフランスでもそうなのかな? ちょっと調べてきていないから分からないですけど。六歳っていうのが、やっぱりなんか意味あるような気がするんですね。今度舞鶴では、『楽訓』を読み終わったら『クマのプーさん』[*20]を読む予定なんですけど、クリストファー・ロビンがプーさんにさよならをするのもちょうど小学校へ行く前ですよね、六歳なんですよね。だから、「子ども」っていろいろ変えてありますけど、六歳っていうのがね、結構やっぱキーなんですね。キーになってる。
 さて、僕たちも「子どもの頃」と言いながら、小学校3年生とか4年生とか6年生の頃は結構思い出せるんですけど、さて、六歳の時。みんな幼稚園とか行ってたら結構集団生活になってますから、ちょっと意味合いが違うかもしれませんけど。六歳のことでなんか覚えてますか?

 [*20]『クマのプーさん』:“Winnie-the-Pooh” 1926年に発表されたA.A.ミルンの児童小説。クマのぬいぐるみでハチミツ好きの「プー」と、森の仲間たちとの日常が10のエピソードによって描かれている。

H:小学校一年生。

西川:入る前か、入るぐらいの時やね。入ってから六歳になんのか。

G:いや、七歳で一年生になると思いますね。7、8、9、10、11、12まで、

西川:一年生で七歳になんねんな。

長見:そうそう。だから四月入学の時はまだ、

西川:六歳か。覚えてます? 「自分がどんな子どもだったか?」っていうか、外から見える自分は見えないですから、「自分は世界をどんなふうに見てたのか?」みたいなね。

M:え、ほとんど覚えてない。

西川:(笑) 覚えてない。どうですか? Gさん覚えてますか?

G:うーん。なんか演劇を無理やりやらされて、いやいやしてたら、引きずり出されて怒られたみたいなそんな記憶しかないですけど。

西川:へー、結構早期教育で。六歳からされてたんですか?

G:いや幼稚園でやらされて、生誕劇みたいな。

西川:ああ、なるほどね。どうですか? 覚えてます?

F:六歳の頃、なんか幼稚園で、園庭でいてたら、友だちが滑り台の上から落っこちたのを見たのは、その衝撃が残ってますけどね。「落ちた!」っていう。ぐらいですかね。

西川:覚えてます? 六歳の時。

E:泣き虫でした。いつも泣かされてたんですけど、いつも泣いて帰っては慰めてもらっていたんですけど。母が「泣くからいじめられるんだ」って言って、次いじめられた時泣かなかったんですね。その子がそのあと仲良くなりました。

西川:六歳の時。

D:六歳…。なんか一年生までは、すごく無邪気だったなと思っていて。二年生ぐらいから、ちょっと、うーん。なんか二年生の時に担任の先生が、もしかしたらクラスがうるさすぎてその影響で先生が疲れちゃったのかもしれないんですけど、先生の体調が二年生の時に悪くって、なんかその時にこういろいろ考えたんですよね。で、一年生までは何も考えずに楽しく、なんか生活してたような感じで。ちょっと私にとってはそのへんは分かれ目だったかなと。

西川:はい。どうですかね、六歳の時。

M:プールの授業とかが幼稚園であったんですけど、いつもと違う服にみんな変わるじゃないですか。ああいう、いつもと違う服装とか、先生が違う格好をしているとか、あれが全くだめで、

西川:だめなの(笑)。

M:だめで、行けなくなったりとか、おもらししたりとかしたこともあったりとか。あと教室でみんなで決まった工作とかいろいろ、「今日はこれをします、これをします」みたいな、ルール通りにやってるやつはすごく普通にやってたんですけど、その途中で誰かが失敗したりとかして、先生が怒ったりとかしてるのを横で見てて、なんか怖いとこだなって。なんかそういうの、結構覚えてます。

西川:なるほどね。はい、どうですか?

C:なんか今思ったら、二年生、三年生、四年生、五年生とかあんまり記憶にないなと思って。たしかに幼稚園の時と一年生の記憶は、記憶っていうかいろんな場面の記憶はしっかりあるなと思って。二年生も四年生も一緒やったような気がします、今考えると。今思ったらやっぱり五歳から六歳あたり、なんかいろいろ、いろんな出来事があるんです、幼稚園、一年生みたいな、そういう大きなイベントがあった時って、なんかよく覚えてるなっていうのが今思った。

西川:なんかね、悲しい時期だよね、六歳ってね。うん、僕はなんかそんな気すんねんけどね。なんかこの絵もそうやけど、悲しい出来事やんか。「大人たちに分かってもらえない」みたいなね。どうですか、六歳のこと覚えてますか?

B:六歳のことは覚えていないんですけど、その前のことで、保育園に入ってた時に、嘘つきだったんですね、私。嘘ばっかり言ってたんです。「お父さんはカツラだ」とか「エリマキトカゲを飼っている」とか、嘘ばっかり言ってたんですよ。ある時夢を見たんですよ、骸骨が踊っている夢を。で、すごい怖かったから、神様が嘘をつくから天罰を与えたんだと思って、それから嘘をつくのやめました。

西川:ふーん(笑)、なるほど。どうですか。覚えてますか? 六歳のこと。

A:あのね、もう走ってないけど、ボンネットバスに乗ってた記憶があって。大阪の生駒の横の柏原市ってあるんですよ、そこが母親の実家で。父親もそこへ、大阪の空襲があった時疎開してたんやけど。そういうボンネットバスが急な坂道を登って、自分がそこに乗ってた記憶があるし。あとそうですね、幼稚園の時ね、うんこもらしてバスに乗せてもらえへんかったことがありました(笑)。

西川:(笑) なるほどね。どうですか? 六歳のことで覚えてるのありますか。

K:やっぱ保育園でのこととかがよく思い出されるんですけど。友だちと遊んでるのとかは楽しいなと思って、でもやっぱり悲しいこともあったなと思って。なんかこう先生に、親にお迎え来てもらったときに、「今日こうやったんです」とか言って親に話するときに、なんか「分かる人!」とかって「はいはい」って手挙げたくせに、「いつも答えないんです」みたいな、ちくちく親に言われていたこととかを思い出した。

西川:なるほどね。どうですか? Iさんとか。結構近いでしょ、僕よりはね、六歳が。

I:ああ、そうですね。僕はその時は富山の魚津っていう所に、田んぼの真ん中に住んでいたんです。自転車とか乗ってるのが好きだったんですけど。その頃にファミリーコンピューターでマリオがちょうどできた頃で、友だちがはまってて。僕としてはその、画像にしか見えなくて。そんな画像よりも体を動かすほうが楽しく感じてたので、それがなんだかすごく衝撃的に記憶に残ってるって、そんな感じです。

西川:はい。Lさんはどうですか?

L:僕、わりと小学一年生かその前ぐらいが、将来の夢が忍者だったっていう記憶があるんで、なんか本読んで真似して修行したりとかしてたような気がする。なんかそれが好きで、だから保育園の時は、それが保育園の時間割より優先だったから、友だち巻き込んで、休み時間みたいなんが終わってね、集団の時間みたいなんがあるんだけど、それを無視して友だちといつまでも一緒に遊んでて、僕のせいでその友だちも巻き込んで怒られてしまったみたいな思い出があったような気がしますね、保育園くらいの時に。保育園の時は結構いろいろやってて、芋畑を持ってて芋を掘りに行ったりだとか。あとちょうど当時がわりと家の近くの保育園だったんだけど、開発が進んでくる頃で、まだその前は農地というか、もっと何もない森とか池みたいなんがいっぱいあったんですけど、どんどん建物が建ってなくなっていくところで。近くにあった池にカエルがいたんですけど、そこがもうすぐその池がなくなるっていうことで、そこのオタマジャクシを保育園に連れて帰ってきて、保育園でカエルになるまで育てるみたいなね、オタマジャクシ救出プロジェクト的なことを保育園でやってたような。そんなのに参加して、たしかその時にその記録の文章みたいなのを作っておいた気がしますね。そのぐらいの思い出があります。

西川:ふーん。Nさん、どう?

N:僕、入学式の朝のことを覚えてて。車に乗ってたんですけど、後ろの座席で寝っ転がりながら、腕を組んで、「俺は小学生に今日からなる」って、「なるなあ、俺は小学生に」って思いながら学校に向かったの覚えてますね。

西川:(笑) それ、どういう気持ちやったん?「なるんだ」っていうのは。

N:実感がなかったんだと思うんですよね、たぶん。明日からどういう生活が来るのか分からないけど、「あんたは小学生になる。小学校へ行くで」みたいな。広島やったんで広島弁でしたけど。そんな感じで言われるけど、「ちょっとよく分かんないな」みたいな感じで。とりあえず「これはなるな、小学生に」という感じでした。

西川:なるほど。長見さんどうですか? 僕より遠い人。

長見:(笑) そうなんですよ、遠いんですよ。だから覚えてないだろうと思うだろうけど、かなり覚えてるんだよね(笑)。えーとね、何て言うか、盲腸炎になってね、なかなか痛いとか自分で言わなくて、それでかなり悪化しちゃってからまあ病院行って、手遅れとは言われないけど、「こんなによう我慢したね」って言われて、それから手術したんだけど、普通に二週間ぐらいで退院できるのが、やっぱり一ヶ月半ぐらいいたのかな。

西川:腹膜炎起こしてたでしょ。

長見:そうそう、腹膜炎を起こしてね。だから「危ないところだった」って言われてね。そこらへんとあとその前後にね、日本映画とかいろいろ観てたから、なんかすごく死を意識してたんですね。すごく死がこう一気にガーッと来て、しばらくだからずーっとなんかね、死が怖くなくなるまでだいぶかかったんだね。まあだけどほんとにね、そのきっかけはその入院の時だったなっていうのはよく覚えてますよね。

西川:なるほどね。いや案外ね、本これから、これ読むんですけど、これはこれでメッセージ明確にあるんですけど、六歳の時の自分っていうものをこう思い返してみてね、今の自分との違いみたいなこととかを考えるのすごい大事かなあと思って。僕、今とりあえずは「哲学します」みたいな人やから、ものを考える、一緒に考えましょうとかね、考えることにものすごく重きを置いてるような言動が多いですけど、「子どもの頃ってそんな考えてたかなあ」って。あんまり考えてない。考えるって比較考量ですから、「こちらのほうがいいのか、なぜこちらのほうがいいのか」っていうふうに比較対照するんですよね。で、そういうことが考えるっていうことのまあ、もともとの原理なんですけど。
 誰やったかな、ブルース・リー[*21]かな、“Don’t think, feel it.” っていう、「考えるな、感じろ」っていうやつがありますけど、たぶん六歳、学校へ行くまでは感じるだけでいけてるんですよ。だから「楽しかった」「怒られた」「怖かった」とかっていうふうに、自分の感覚だけなんですよ。ところが学校の中に入ってくると、差別化されるわけよ。「あの子よりできない」とかね、「あの子よりはできる」とか。一年生っていう言い方もそうでしょ? 二年生じゃなくて一年生、二年生と三年生みたいなかたちで、なんかものすごく大人たちの評価っていうものがついて回るのが小学校入ってからなんですね。幼稚園なんかもそういうところあるかもしれませんけれども、まあひよこ組とか何とか組とかってあんまり数字で比べれるようなんじゃないですけど、小学校に入った途端にいきなり一年生、二年生、三年生、四年生みたいな、数字できちっと分けてあるっていうふうな、そういう評価の世界にいきなりどっぷり入っちゃうんですよね。それ大人の、数字で明確に切り分けるっていうような、そういう評価の世界に入っていくんですよね。だからプーさんのクリストファー・ロビンなんかも、まあ言ってみたら、クマのプーさんと楽しくっていうかいろんな様々なことをやりながら生きてた彼がですね、プーさんにさよならするのは小学校入る寸前なんですよね。

 [*21] ブルース・リー:Bruce Lee(李小龍)。1940-1973、アメリカ生まれ。香港の中国武術家、武道家、俳優、脚本家、映画プロデューサー。截挙道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。

 やっぱ今はほんとに学校教育っていうか、職場に入っても職場の研修とか、いろんなところで要するに制度的な教育をずーっと受け続けているわけです。ほんで必ず評価されるっていう。評価を抜きにした達成感ってないわけですよ。子どもの時にはたとえばね、「忍者になりたかった」って言うけど、忍者やっている時は忍者の気分なんですよね。R.D.レインの本の中に、カウボーイになった少年が、お父さんがやって来たら、パッと座って坊やになる。どっちも同じやねん。坊やもカウボーイも彼にとっては同じなんや。パパが来たときに坊やの役をする、で、坊やだけのときにはカウボーイになっちゃうって、そうやってどんどんどんどん自分のなりたい者に自由になれるっていうか、人の評価は関係ないわけです。「それ違うやろ。忍者違うやろ。忍者やったら消えてみい」とかじゃなくって、自分が忍者だと思ったら忍者になれるわけですよ。こう風呂敷ピッとやったら、もう月光仮面になれるわけですけど。そういうのんじゃなくて、他者からの承認っていうか評価みたいなものに自分がぐらつくっていうのが、まあ六歳以降のあり方なんかなあ。みたいなことは、自分のこともちょっと振り返ってみたら、いろいろ出てくるん違うんかな、みたいなことは思います。
 この「六歳」っていうのは、今までの読書会の時にはほとんど気にならなかったんですよ、僕。でも今回は「六歳っていうのが何かあるんじゃないか」って思い始めると、まあいろいろ考えられるんじゃないかなあって思いますよね。

子ども性を取り戻す

西川:ここもね、大蛇ボアのへったくれとかっていうのは、塚崎幹夫[*22]っていう人が、「これはナチスが」何とかっていうふうな解釈をやったりしますけど。それはまあいいか、置いといて。
 次の有名なこの帽子。「そいつは帽子だ」というやつですけど。これもね、最近古本屋で見つけた、松本キミ子やったかな、東京芸大を出てキミ子方式っていう絵の描き方を教えている人がいるんですけど、『絵のかけない子は私の教師』[*23]っていう本を古本屋でたまたま見つけたんですよ。そうしたら、「子どもの頃は絵が苦手だとか思わない。でも図工とか授業を受けれるようになった途端に『私、絵は苦手です、嫌いです』ってなっちゃう」って。初めは好きも嫌いもない、上手いとか下手もないですよ。クレヨン持たせたらビャーッて描くわけですよ。どうしたって絵に見えないけど、キャッキャッ言いながらやってるわけですよ。あれだけなんか自分が何かを持って描きなぐる、「描きなぐる」は大人が見てる評価ですけど、「あれだけ喜んでいたものが、なんで喜びがなくなるんだろう?」って。で、「まず輪郭線を描くことをやめるべきだ」みたいなね。りんごの絵、ピッとこう描くじゃないですか。「みんなりんごって言うけど、梨かもしれないじゃないですか」って。要するに輪郭で描くっていうのは、文字とよく似てると。だから絵を描く時でも、われわれ日本語の文字、筆順とかっていうのは、左から右でしょ。で、上から下でしょ。だから絵もだいたいそう、左から右に描く人が多いんですって。それで上から下に描く人が多いんですって。だからそういうんじゃなくって、たとえばもやしを描くんだったら、こう根っこのほうから描いていくとかね。逆さまの方向。それで線もできるだけ左から右じゃなくて。だから文字じゃなくって、文字とは違う体の動き方で絵を描くっていうことをまあキミ子方式とかって言っていろいろやっているらしいんですけど。それがいい悪いは別にして、「たしかにそうだよな」って。僕たちはいつの間にか大人の世界の約束事みたいなんが、絵を描くときにでもこうなんか沁み込んでしまってるって。それもちっちゃい時からやられているから、もう分かんないんですよ。自由自在に描けたはずなのに、それ自由じゃなくなってるわけ。で、いつの間にかそうじゃなくなってるんだよ。これが恐ろしいところなんですよね。

 [*22] 塚崎幹夫:つかざき みきお。1930年兵庫県生まれ、フランス文学者、評論家、富山大学名誉教授。1982年に『星の王子さまの世界』を中央公論新社より出版。
 [*23] 『絵の描けない子は私の教師』:松本キミ子・堀江晴美 共著、仮設社、1982年初版。画期的な絵の描き方(下書きは無用、三原色と白の絵の具で、一点からとなりとなりへと書き進んでいく)―「キミ子方式」の理論・考え方と実践の集大成。

 だから、「ディスコミュニケーション[*24]の理論と実践」という授業を僕やったことがあるんですけど、ディスコミュニケーションって言ったときには「話が通じない」とかそういうこともあるんですけど、一つ「歪められたコミュニケーション」というのがあって。自分ではちゃんと応答してるつもりなのに、なんか一つの型以外の発想ができなくなっちゃってるんですよ。これ授業でやった時にはね、自分のことを「電化製品にたとえなさい」みたいなことを僕が言うわけですよ。ほんなら一生懸命みんな言うわけですよ、みんな一生懸命。これがディスコミュニケーション。

 [*24] ディスコミュニケーション:dis-communication コミュニケーション(communication)に接頭辞のdisをつけた和製英語で、コミュニケーション不全状態のことをさし、2つの意味をもつ。つまり①現場で共有されている「知」の不十分な理解にもとづくコミュニケーションの失敗や不全、と②コミュニケーションしているようで、両者がまったく別々のことを考えている、両者が正反対のことを考えている、そして両者が部分的に共通しているが他の部分は共有していない「知」があるもの、の2つのものである。

長見:(笑)

西川:みんな一生懸命返事するんですよ、でもこれがディスコミュニケーション。「だって私、電化製品じゃない。私はバラよ」って言ったっていいんやからね。本当は自由なん。でも先生という人が教室、授業、講義っていうところでものを言った途端に、それ逆らえないんですよ。そうすると、「お国のために志願する者、一歩前に出ろ」と言ったら、嫌だと思っててもみんな出ちゃう、みたいな。その場合なんかはかなりこう意識できるかもしれませんけど、教育現場だとか医療の現場だとかでは、何か大きな暗黙の前提みたいなものがあって、それに自分が縛られてることに気づかない。
 「食べなきゃ元気にならないよ、食べましょうね」って言うのは、「あなたは私の言うことを聞かなきゃ死ぬよ」って言うてる、だからヤクザとおんなじ手口なんですよ。「でもみんなそう言っているし、優しい顔で言えばいい」って。だってヤクザって優しいこと言うんですよ、最初はみんなね。みたいなかたちで、一ぺん自分の持ってる常識みたいなものを覆せるだけの力があるかどうか? それをいつの間にか奪われてるんです。自由に描いてたものが、いつの間にか上から下へ、左から右へ、そして輪郭線から描くっていうふうな、デッサンとかそういう美術教育でなされている方法論でこう身についてしまって、そこじゃないところをスタート点にできなくなっちゃうんですよね。
 だから、ある意味でその子ども性を取り戻すっていうのはかなり難しい話なんですよね。「かつて子どもであった、でもそのことを覚えているおとなはほとんどいません」て言うけど、「すべて大人の責任か?」って言うとそうじゃなくって、大人の世界に迎え入れられた六歳の頃から、知らない間にそういうふうに自分の子ども世界、子どもの自由っていうものを手放していくことが、大人たちの中での評判というか評価を高め、まあ「よくできる子」みたいなね。「できる子、できない子」っていうのはもう大人の評価が入ってる世界なんですよ。だからここで言う、その本当の意味での子どもって言うのは、そういうおとなの世界の評価を受けつけない、受けつける手前にあるものなのかもしれないですね。
 ここで「自信がなくなってしまった」っていう話がありますけど。「二番目の絵もおとなたちの評判が悪くて、すっかり自信をなくしてしまったからです。将来を諦めたのです」みたいなのは、まあイノセントっていうか無垢な、純粋無垢な子どもで、すべてが可能だったけれどもまだ何一つ現実化してないそういう子ども時代から、可能であるっていうことよりも、何か一つのことを人が認めてもらえるようなものとして現実化させるっていうことが、まあ学校だとか大人の社会の中ではすごく求められるわけです。
 で、それの一番のあれが、この「ぼくの絵、怖いでしょ?」と言われた時に、「帽子なんかが怖いわけないだろ?」って、ここですけど。これ帽子に見える人は見えるんですけど。要するにね、「ぼくの絵、怖いでしょ?」って言われて、スッと分からなくたっていいんですよ、これ。「なんで怖いんだい?」って言ってもいいんですよ。でも大人たちは子どもが「怖いでしょ?」って言うものは「分かる」って、「分かるに決まってる」ってというか、自分の中にある手持ちの知識、観念にそれを当てはめて、「分かっちゃう」んです。だから分からないことに耐えられない。そんですぐに結論を出したがる。それも自分の手持ちの知識。だからこれは、『ほんとうにあった話』を読んでたら、読んでいろいろ想像してて、そのことをちゃんと心の中に残してたら、「これボアじゃないか?」みたいなね。ここに目、描いてあるじゃないですか、右のところに。それを見落とさないかもしれない。でも、だからこれ、丹念に見てないんですよ。なぜるようには見てないです。描き写すようには見てないです、この大人たち。だからあっという間に一瞥して、すぐに結論を出そうとする。だから分かることに時間をかけられない。で、分からないことに耐えられない。これが大人なんですよね。それで、簡単に結論づけちゃうわけです。これを「それがなんで怖いんかな?」ってふと疑問に思ってみて聞き直してみるだとか、それからじっくり見てみるだとかをすれば、「帽子」っていうふうにはならないんですよね。ならない。
 だからそういう意味でケア論につなげると、僕たちこれも本当に、分かんないと不安で仕方ないんですよ。病名が分かんなかったら心配で仕方がない。今、認知症の人と家族の会の仕事もやってますけど、「自分の大事な人が認知症かもしれない」と思った時に、最初にあの人たちはまず診断名を知りたがるんだよね。「アルツハイマーですか? ピックですか? 何ですか? 前頭葉ですか?」とかっていうかたちで。認知症っていうことが分かっただけでも、まあ言ってみたらある意味ストンとこう納得する。「ああ、認知症やったんや」って。「私との人間関係がすごくこじれたから、あんなふうにいろいろ言うんかなと思ったけど、いや実は認知症やったんや」っていうふうに、認知症って言葉に全部入れちゃうんですよ。だから「分かって」しまうん。「アルツハイマー型か、ああそうか」って、「前頭側頭型か、ああそうか」「レビー小体型、ああそうか」っていうかたちで、自分たちの医学的な知識っていうか、それで全部分かったことにしてしまう。それで分からないことについては、もう見ない。
 だから「帽子だろ?」と言った時には、もう目玉見てないんですよ。「ひょっとしたら、ゾウかもしれない」という形は見てないんですよ、もう。これ、帽子の形に見えてるの。歪んだ帽子かもしれないけど、もう帽子に見えてるんですよ。ゾウには見えない、絶対に。みたいなかたちで、いかにね、自分たちが専門職になればなるほどですけど、細かな診断名だとか概念でもって話をしたがるわけです。でもそれは具体性には欠けるんです。非常に抽象度が高いから、具体的な経験じゃないんですよ。具体的な経験ではなくって一般論なんですね。これは、「この『ほんとうにあった話』の中であったかもしれないジャングルで、大蛇ボアがゾウを呑みこんだ」っていうふうに、彼が具体的な場面を想像して描いた絵なんです。帽子一般じゃないんですよ。それで「ゾウを呑みこんだボア一般」じゃないんですよ。彼がその本を読んで、「僕たちにはどんなワクワクする出来事が待ってるんでしょう」って想像しながら考えた一番怖い話って、「ゾウを呑みこむような大蛇ボア」みたいなことを描いているわけですけど。だから「怖いでしょ?」と言っているわけ。自分が一番怖いと思ったボアについて描いてる。ここの猛獣は猛獣かもしれないけど、大したことはないわけですよ。ね。ヒョウか何か知らないけど、そんなでかくないですよ。ところがゾウを呑みこむようなボアを想像してるわけです。本を読んだ時にはこの程度やったんですよ。でも六歳の僕が読んだら、ゾウを呑みこむボアに変わってるわけです。ね。でもそういうふうな子どもの本に触発されて自由に伸びた創造力っていうか、それをまた表現したことに関しては、大人はまったく気づかない。自分の知識でもって「そいつは帽子だ」みたいなかたちになっちゃうんですね。
 臨床哲学で、まだ学生やってた時に、普段温厚な中岡先生[*25]がですね、「日本人は」っていう言い方を誰かがした時に激怒されてね。

 [*25] 中岡先生:中岡成文(なかおか なりふみ)。1950年山口県生まれ、哲学者、元大阪大学教授。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)初代センター長を務めた。専門は、臨床哲学、倫理学。ヘーゲル哲学から出発して、西田幾多郎、田辺元、三木清などに取り組み、鷲田清一らとともに臨床哲学の運動を起こした。

長見:(笑)

西川:激怒すんだよ。もうびっくりした、俺。ふだん滅多と怒らない人ですよ。

長見:僕も見たことない。

西川:「『日本人とは』っていう、そういう言い方はね!」みたいな感じで、めちゃくちゃ怒るんですよ。「はあー。何でそんなに怒るんやろ」と思いながら。やっぱりそうなんですね。臨床哲学っていうか、本当に自分が具体的な顔を持って誰かと出会うっていうそこから、その具体的な経験の中から相手の言葉、それから自分の聞く時の戸惑いやとかそういうこともひっくるめたうえで哲学っていうものの営みを始めようとする人間にとって、「日本人」とか「男」とか「女」とか「障害者」とか「認知症」とかっていうふうな、人を見ない、のっぺらぼうの、丸抱えで議論する人とは「もう話しない!」みたいな感じですっごい怒ったことがあって。いや、すごいなと思いました。その時は分からなかったですけど。
 でもついついやっぱり、僕たちもやりがちでね。特に政治的な話になると、「自民党はだめだ!」とか「何々はだめだ!」とかって、やっぱり具体性がないよね、全然ね。具体性がまったくない。そうじゃなくって、どこに自分の体験とか、自分の本当の、自分の中から出てきた、押しつけられた創造物語じゃなくて、自分がこの絵を見たところからゾウを呑みこむボアにまで変化させるだけの自分に能力っていうか自由さがあるかどうか。「あ、こんなやつがいるんだねえ」で終わっちゃうんですよ、せいぜい大人の場合。『ほんとうにあった話』ですから。「ほんとうにあった話」で終わっちゃうんですよ。でも『ほんとうにあった話』っていうのも、これも結構何と言うか皮肉の効いたやつで、本当はありえないような話だから『ほんとうにあった話』ってなってるんですよ。でも、僕たちがそういう六歳の頃までに感じていた、大人たちの評価だとかじゃなくて、自分の思うがままに自分をも変身させることができる自由さ。子どもの頃よくやりませんでしたか? 秋のセイタカアワダチソウかなんかの枯れたやつで「剣だ!」とか言うてやったりとか、そこらへんの棒切れでも剣になるし、ビール瓶の蓋でも磨けばなんかすごい宝物のバッジになったりだとかっていうふうな、そういう自由自在さをどこで諦めたのか? どこで諦めて、諦めたことも忘れてしまっているのか?っていう。その時に、自分たちのものの考え方とか見方というものが、分からないことに耐えられない、分かることに時間をかけたくない、で、自分の手持ちのことで何とかことをすまそうとするっていう、この「帽子なんかがなんで怖いんだ」って言った大人のものの分かり方にどれだけ自分が毒されていないかっていうことを、現場で考えるとね、かなり難しいですよ。難しいです。
 今日も、女子刑務所ですから「女子の」みたいな話がチラッと出かかったんですけど、一緒に行った上田假奈代(かなよ)[*26]さんという人がね、ココルームの人ですけど、「LGBTの人もいるでしょ」みたいなね。「大変でしょう」みたいな。「ああ、そのことはねえ…」みたいなね。女子刑務所に入っている、まあ言ってみたらセクシャリティーとしては女性としても、ジェンダー的に女性じゃない人も入ってるわけですよ。外国人の収容者もいますから、イスラム教だったらラマダンがあったりだとか、そういう宗教的な背景が違ってるのには結構配慮したりとかしてるみたいで。でも入浴にしたってトイレにしたって、もう丸見えのところですからね。そんなときに「同じ女子だからいいじゃん」ていうふうにはならないんだよね。だからそこらへんを丁寧に丁寧に見ていくっていうこと。女子刑務所だからっていって「女子」とか「刑務所」っていうことで分かってしまおうとすると、本当にそこで苦しい思いをしている、罪を犯した苦しさだけじゃなくって、刑務所に入れられて自由を奪われただけのことじゃなくって、そういう自分のあり方がこう無視されるっていう意味での苦しみを、また二重三重に受けてしまうっていうことなんですよね。

 [*26] 上田假奈代:うえだ かなよ。詩人、大阪市西成区にあるココルーム(NPOこえとことばとこころの部屋)の代表。

 この場合は大蛇ボアを帽子と見まちがっているわけですけども、僕たちもいろんな現場の中で「きっとそれは大したことない」と思っていることが、実はものすごく大変なことなのかもしれないと。だからそれは「分からない」っていうふうに、自分の中に留保をつければいいんです。「いつか、いつか分かるかもしれない」って、「今は分からないけれども」って、「分かるのには時間がかかる」って、覚悟するっていうこと。で、今すぐ分かることとか勉強したら分かることで、何とかこう、しのいでいくんですけど、でもそれをやめるっていうことです。やめないと、ここで「そいつは帽子だ」みたいな大人なたちとほんとに変わらなくなってしまうっていうことですね。
 それでね、これ大谷大学でやった時には、ここを読んで、一番目と二番目を見せて、もう一ぺんね、「これ、ゾウじゃなくって、ゾウじゃないものを描いてみな」って言ったんよね(笑)。これ一ぺんゾウを見たらね、ゾウしか目に見えない。この二番目の絵を見たら、今度はこれがゾウを呑みこんだボアにしか見えなくなっちゃうねん、勉強したら。分かります? で、これを見たあとも、さらにこれを「次はゾウじゃないものを考えてみなさい」って出したんですよ。みんな苦しんでました(笑)。だから「秘密はこうでした!」ってやられたら、「なーんや、そうやったんか」って、次からはここにゾウが見えて仕方がないねん。これ消せないんですよ、今度は。分かります? これをもう一度消さないとだめなんですよ。もう一度消して、自分の中で「どう? これ怖くない?」と言われた時に、ゾウじゃなくてもいいんですよ、もっと怖いものを自分が想像できたら、その六歳の坊やと対等に話できるんです。でも実際に坊やがこうやって見せたら、「あ、そうかあ。何だよこれ、ゾウ呑み込んだボアかあ」ってそれ以外に見えなくなっちゃうんですね。だから、みなさんどうですか? 今日また帰ってね、これにゾウじゃないものを描いてみるというね。僕もできませんでした。人には言ってるけど(笑)。みんなそんな感じですよね。

地理の勉強は役に立つか

西川:その次は、さらっと読んでいきましょうか。

 そこで、ぼくは別の仕事を選ばなければならなくなり、飛行機の操縦を覚えたのです。世界じゅうの空をあちこち、ぼくは飛び回りました。確かにね、地理の勉強はとてもぼくの役に立ちましたよ。なにしろ、おかげさまで、一目見ただけで、アメリカのアリゾナ州と中国の違いが分かるようになったのですからね。真っ暗闇で、どこを飛んでいるか分からなくなってしまったりしたら、なかなか役に立つものですよ、地理という代物は。

 これもさらっと読んだらね、あれ?って感じですけど、これおかしいでしょ? おかしいと思いません?「一目見ただけで、アメリカのアリゾナ州と中国の違いが」って。実際に飛んでいる時にね、アリゾナのそばを飛んでいるか、中国のそばを飛んでるのか分かんないわけないでしょ? だからこれ無駄なんですよ。まったく関係ないことを言っているわけですよ。それで、真っ暗闇やったら見えないですよ。これ、だから皮肉ってるんです、皮肉を言っているわけ。地理の勉強なんて役に立たないんですよ、この時代。
 サン=テグジュペリの『夜間飛行』[*27]という作品がありますけど、郵便物を違う大陸まで届けるのに一番速かったのは船だったんですよね。でもそれをどれだけ速くやるかっていうことで、飛行機でやるとものすごく速くなった。でも、その飛行機も夜飛べなかったんです、まだサン=テグジュペリがやってた頃には。ほんで夜間飛行をするっていうのに、多くのパイロットが命を懸けて、たくさんの命が失われ、サン=テグジュペリの先輩たちもたくさん亡くなっています。夜間飛行っていうのは命を懸けた、まあ彼にとっての一大事業なんですよね。だから『夜間飛行』っていう作品の中にもいろいろ出てきますけど、そこでは地理の勉強って役に立たないわけですよ。地形が見えないから。

 [*27] 『夜間飛行』:“Vol de Nuit” サン=テグジュペリ著、1931年出版。日本語訳は、①堀口大學訳(新潮文庫、初版1956年、2012年に再改版)、②山崎庸一郎訳(新装版「サン=テグジュペリ コレクション2」みすず書房、2000年出版)など。新潮文庫(1993年の新装改版~2012年の再改版まで)のカバーイラストは宮崎駿。

 それで、ギヨメ[*28]やったかな、『人間の土地』っていう作品の中で、先輩飛行士のギヨメが開拓した航路をサン=テグジュペリが飛ぶ時に助言を受けるんですけど、「地図を見てもだめだ」って。「地図を見てもだめだ。ここは平原のように見えるけども、実は羊飼いがヒツジを飼っているから降りれない」とかね、「農家の横に何本かの木があるから、そこを目印にすればいい」とかっていうふうに、人々の暮らし、まあ当時の飛行機って下が見えるような高度で飛んでますから、そういうのが大事なんですよね。で、単に地図を見るんじゃなくって、土地の物語っていうか人々の暮らしやとか生き物の状態やとかを含めてサン=テグジュペリはちゃんと覚えなきゃいけないっていうふうな教育されてるわけです。だから飛行機のパイロットとしても地理の勉強というのは、まあ言ってみたら一番の役には立ってないんですよ。だからここはものすごい皮肉を言っているわけ。でも、黙読でさらっと読んじゃうと分かんないですよ、これ。僕も最初の頃は分からへんかったもん。あと地理っていうのはね、あとで地理学者が出てきたりしますから、またその時にも議論したらいいかなと思います。

 [*28] ギヨメ:Henri Guillaumet(アンリ・ギヨメ) 1902-1940、飛行家。サン=テグジュペリのエッセイ集『人間の土地』に登場する、ラテコエール社での僚友。サン=テグジュペリは同書をアンリ・ギヨメに捧げている。

サン=テグジュペリは飛行士か、王子さまか

 というわけで、これまで生きてきて、ぼくはなんともたくさんのいっぱしのおとなたちと、なんともたくさんの付き合いをしました。おとなたちといっしょに、ほんとうに長い時間をぼくは過ごしました。おとなたちをすぐ近くで見てきました。けれども、だからといって、ぼくのおとなたちに対する見方はあまりよくはなりませんでした。
 少しばかり頭のよさそうなおとなに出会うたびに、ぼくは、ぼくの一番目の絵を見せて、試験をすることにしていました。一番目の絵はずっと取っておいてありましたから。そのおとながほんとうに物事を分かる力があるかどうか、知ろうとしたのです。けれども、いつだって答えは同じでした。「帽子だね」と。そうなると、ぼくはその人には大蛇ボアのことも、原始林のことも、星たちのことも話さないのでした。その人の頭の程度に合わせてあげるのでした。おとなのトランプ遊びのブリッジだとか、ゴルフだとか、政治向きのこととか、ネクタイなんかのこととか、そんなことばかり話しました。そうすると、そのおとなはご満悦でした、「なかなか、もの分かりのいい人間と近づきになれたじゃないか……」と。

っていうことなんですけども。
 「おとなたちと」ね、「たくさん付き合いしたし、たくさん、長く、すぐ近くで」っていうふうになってるんですけどね。でも大人たちの見方は変わらないっていうか、「分かんない人たちばっかりだ」みたいなね、ことなんですけど。どうでしょうね?
 この「一番目の絵をずっと持ってました」っていうの、すごいと思いません? ずっと持ってたっていうのがね。まあそういう意味で、このパイロットの性格っていうものがものすごく印象づけられるわけです。子どもの頃「これ怖くない?」というぐらいのことは誰でもするんですね。でも、一番目の絵をずっと持ってた、大人になっても。それで、「ずいぶんもの分かりのいいやつじゃないか」って言われるぐらい社交的に大人の社会でもやれていた人間が、でも一番目の絵はずっと持ってたっていうことです。で、本当に話したかったことは、大蛇ボアだとか、原始林だとか、星たちのことだったっていうことですよね。そういう人が、このあとパイロットとして星の王子さまとの関係を結んでいくわけです。
 「トランプのブリッジだとか、ゴルフだとか、政治向きのこととか、ネクタイとか」って、「政治向きのこと」が、この遊びだとかの中に一緒に並べられてあるんですけど。どうなんでしょうね? サン=テグジュペリ自身は政治にまったく無関心であったわけではないんですよ。わけではないんですけれども、それこそ「ド・ゴール派か、ヴィシー派か」みたいなところで、自分自身もフランスからいったん出てアメリカに、まあ亡命ですよね、亡命的なことをやってる時にいろんな葛藤があったりだとか、自分は政治的にどんな立場を表明するべきかとか、ものすごく悩んでやってるんですけど。でも、そのことをやっぱりこの作品の中では、政治向きのことっていうは、トランプのブリッジ遊びやとかみたいなところと同列に並べてるんですよね。そこらへんもまあ面白いところかもしれません。サン=テグジュペリにとって、どうなんでしょうね。
 彼の戦線復帰もね、かなりおかしいですから。もう年いってるからね、乗れないって言われてるアメリカの最新式の飛行機に乗って、最初すぐ事故するんですよ、離陸かなんかに失敗して。それで「乗せない」って言われるんですけど有名人だから、また何回も言っているうちに乗せてもらえるようになって。「何回まで」って言われているのにその回数を超えて出撃して、それで結局帰ってこなくなっちゃうんですよね。だからこう、半ばやけくそのようにやってるんですよ。自分が十分に乗りこなせる飛行機じゃないんです。
 サン=テグジュペリってものすごく不器用で、飛行機乗りですけど、しょっちゅう落ちてるんですよ。砂漠にも落ちてますけど、砂漠だけじゃなくって、もういっぱい落ちてるんですよ。頭蓋骨陥没骨折になったりだとか、もうぼろぼろなんですよね、最後のほう。で、そのアメリカの最新式の飛行機で、もう高度だって全然違う、スピードだって全然違うわけですよ。今までチンチン電車に乗ってたやつが、いきなり新幹線に乗るようなものですから。まあ言うたらあんまり賢い選択じゃないんですよね。でもそこらへんのことも含めて、なんかね。
 まあ『星の王子さま』の最後のあたりもね。『星の王子さま』っていうのは、この物語の語り手はパイロットです。で、サン=テグジュペリもパイロットでしたから、「この物語のストーリーテラー」イコール「著者のサン=テグジュペリ」っていうふうに、イコールにしたいんですけれども、実はそうじゃないかもしれない。サン=テグジュペリがフランスに死を覚悟して帰っていくのと同じように、まあ王子も「責任があるから」って言って星に帰っていくわけですけど。星の王子のほうにまあサン=テグジュペリの何らかのものがあるのかもしれません。ほいで年の離れたパイロットはレオン・ヴェルトなのかもしれない、みたいなね。まあちょっと分かりませんけど。そんな単純に読めないかもしれませんけど。ここらへんもね、こう微妙なんですよ。
 サン=テグジュペリは「私は作家じゃなくって飛行機乗りだ」ってインタビューには答えてた人なんですよ。だから飛行機乗りが物語る話を書いたら、普通なら「この飛行機乗りこそがサン=テグジュペリだ」と思うんですけど、実はそうじゃないという。そういうふうに、さっきの「地理の勉強は役に立ちますよ」と同じような仕掛けが、結構いっぱい入ってるんですよね、サン=テグジュペリのこの物語の中には。まあそういうのもこう読んでいくと結構面白いかなって思います。はい。

分かり方について

西川:まあこれぐらいでちょっと。みなさんどうですか? 分かり方について、それぞれみなさん、ちょっと。

H:分かり方…。うーん。確かにこう、分からないなと思っていることが仕事の中であっても、分からないなりに何かを決めて進めないとまあやっていけないので、それが合っているか合ってないか分からんなっていう、そこに留まらず過ぎてることが多いかなって。「これでよかったのかな」って思いながらの連続があるかな。でもなんか「それでいいかな」っていうか。なんか分かったようなことをして、言って、「それが絶対いいんだ」と思ってやってるよりは、まあいいのかなって思いながらやって。それがだから対象の人にほんとにそれでよかったかなって思うけど、「よかったんだ」と思って信じてやるよりは、なんかいいのかもしれないとか思ってはいるかな。

西川:あと、自分の感じたことに関しては考える必要はないんですよ、「そう感じた」っていうことで。だからやっぱり感性っていうか直感というか、分別以前の何かみたいなものをどう鍛えるかっていうのが結構、臨床実践の場ではすごい大事で。やっぱりね、何の根拠もなく「分かんないけど適当にやっちゃえ」じゃ無理でしょ? そうなると、人がやってるように動くしかないですもん。それか、よっぽどあまのじゃくに逆さまのことをやるしかないわけで。何かやっぱり自分の、自分というか、その場で何か引っかかりがないとだめなんですよ。何かなければいけない。そういう言葉にはできないけれどもたしかに自分の実践を支えている何かっていうものが、実践知と言われたり暗黙知と言われたりしてるんですけど。言語化をこばむところがあるんやけど、でもそれで動いてるんです、たぶん。動いてるんです。
 子どももそうなんです。実践知で動いてるんですよ、やっぱし。分別があって動いてるんじゃないですよ。分別じゃなくっても絵は描けるんです。動く、生きることはできるんです。でも、「分かんなかったら生きられない」っていうふうにするのが、「分かんないのは無責任だろ」と思ってしまうのが、大人の評価を気にしだした僕たちの悩みなんですよね。で、たぶんその悩みすらなく、たしかな実感があるわけですよ。
 どうでしょうか(笑)?

G:なんかだんだん年を取ってきて、子どもの時は絶対間違えないようなことを普通で間違えるようになったな、と思って。さっきもなんか、これウーロン茶のつもりで飲んでたら麦茶だったみたいな(笑)。飲んでんのにまだ分かってない、みたいなね。

西川:そうだよね。もう頭が勝ってるんだよ、舌にね。うん。

G:そんなこと絶対なかっただろうなあって、今。

西川:そうですよね。はい。僕もこないだね、焼酎を日本酒だと思って飲んでました(笑)。

A:え、味違うでしょう?

西川:違うよ。寿司屋の親父が間違えたんだよ。いつも焼酎頼んでるんだけど、「今日は酒にしますわ」って言って酒もらってたんですよ。三本目ぐらいから「なんか違うな」と思ったら、いつもの癖で焼酎を入れてるんだよ、親父さんが。それを、でも酒って頼んでるつもりだから酒だと思って、「なんかきついなあ」みたいな。「酔い方が違う、やっぱり焼酎だ」。だからさっきと一緒。そういうこう、なんかね、ロゴスっていうか理屈に負けちゃうんだよね、感覚がね。はい、どうですか?

F:うーん。分からないことがものすごく不安になるっちゅうのは、ものすごく感じます。一緒に仕事してて、障害の人と一緒にやってても、なんか「この人いったい何を考えているんだ? 何をしようとしているんだ?」ってもう分かんないんだけども、ものすごく知りたくて、誰かに答えを求めようとしちゃって。まあそんなんもあるし、父親がちょっと年取ってきて、ほんでちょっとおかしな行動をし始めて、その時にすごく最初迷ったんですよ。病院行ってMRI撮って調べてもらって、ちゃんと診断聞いたほうがいいんかなあとかっていうのでものすごーく揺れてて。「これどうしよう、どうしよう、どうしよう」ってもうかなり困って、妹と「どうしよう、病院に行ったほうがいいかなあ?」。自分の父親も「俺ちょっとおかしいねん」って言うし、「ちょっとやっぱりちゃんと分かったほうが本人も安心かなあ? いや、どうやろ、どうやろ」っていうので、ちょっとすごく困ってたんですけど。でもなんか「今さら診断名付いたからってなんも変わらんよ」ってなんか言われた言葉があって、「あ、そっか」とか思って。もうそれ付いたからって何かが変わるとか良くなるとかっていうわけでも全然なくてって思ったら、「まあいいか」って言って。「もう一緒に付き合いながらの、『困ったね、どうしよう』っていうので、もういくのでもいいかあ」って、「私らもそうしようか」っていうので、今はちょっとそこに。「それでほんまにええんかな」っていう気持ちもまだあるんですよ、どっかでね。またこっちに揺れ動いてきちゃったりとかっていうのがあるので、この状態が自分にとって、こう、分からない状態っていうのがものすごく不安になるっていうのは、すごく思います。「診断名欲しい」とか「この障害何?」とか(笑)。

西川:まあね、医学的な情報を手に入れても、それに呑み込まれなければいいと思うんですけど、僕はね。たいてい今もう医学信仰というか、ほとんど宗教みたいになってますから。医学的な診断が下されたら、それで「すべて説明された」って思ってしまうんですね。だから「足の大きさ24.5センチ」と同じぐらいのつもりで「脳の萎縮があります」ぐらいのことを、その人を理解するときにね、「足の大きさがなんぼ」っていうのんと、医者の診断では「アルツハイマー型」って言われるのと同じ程度に思って相手と接することができるんやったら、僕はいくらでも医学的な診断でも何でも受けたらええと思うんですけど。それが他のこと全部呑み込んでしまうからね、今。そこは問題。医学的な診断に別に罪はないんですよ、その使い方だけなんですよね。と僕は思うんですけどね。なかなかね。
 はい、どうですか?

E:えーと、ちょっと全然違うんですけど、本を何回も読んでたんですけども、でも改めて六歳の頃の彼のどきどき感わくわく感が、すごく今、私なりに感じて、なんかどきどきしてます(笑) って感じです。

西川:僕たちも必ずそうやって生きてたんですよ。ほんとに、ねえ。うん。

D:結構こう話の展開が、私は結構速いなあって思って。「獲物を消化するのに六ヶ月かかりますが、その六ヶ月のあいだ眠りどおしに眠るのです」っていうところでもう、そこで私は止まってしまうんですけど、そしたらもう「ジャングルではいったいどんなワクワクする冒険が」って始まって、ちょっと「あ、速い」っていう感じで。この絵を見て、この大蛇ボアとこの猛獣を呑みこむっていう二人がこう向き合ってて、お互いにすごいびっくりしてる感じで、なんか偶然出会ってこうなってしまったのかなって思うんですけど、どっちもこう偶然の出会いで。なのに、食べちゃったら食べちゃったで、丸呑みしちゃってそれが六ヶ月もかかって、その間もう動けなくなってしまうって。それ考えたときに結構、衝撃なんですよね。で、たぶん動けなくなったら、この大蛇のほうもすごく無防備な状態になるし、もう自由も効かないし。この人六ヶ月の間どうしてるのかな?って考えて。

西川:(笑) なるほどね。

D:「呑みこんでしまった」って、もしかしたら後悔してるのかな、とか、なんかいろんなこと思ってると全然次に行けないのに、もう次から違う話がこう、もういってしまう。違う話でもないんですけど。こう速くて、なかなかいけないなと思ったり。そんなこと思ったりしてます。

西川:はい。そうですね。動けなかったら襲われたら終わりやもんな(笑)。なるほどね。どうですか?

M:うーんと、なんか、分かるとか分からないとかいうことについての話、やっぱり仕事のことをすごい考えて。まあ自分たちも分からないながらにやったりとかして。うちは結構、認知棟っていう名前がついてるんですけど、確定診断を受けてくる人はほとんどいないので、なんか「この人どんな感じの人なんやろ」とか、「どういうふうになりたいと思って来るんやろ」とかいうことを、来てからなんか想像しちゃって。とにかく分からないことがいっぱいある中で、どういうふうにしていくっていうことを、新しく入ってきた人だったりとか他のメンバーの人たちとかと話をするときにも、本当にこうなんか、「専門用語じゃ何言うたことにもならへん」みたいなこととかを普通に感じてて。それでもそういう言葉を使って教えないといけないことになっているとか。新しく来た人は特に「こういうふうな理由でこうしてください」とか、最初だから分かりやすくと思ってこうしゃべるけど、「じゃあこういう時は?」みたいな、その相手が疑問に思うかもしれないこととか、もっとこうしてあげたいことがあるとか、なんか言うことを聞く暇がなかったり。「それはね」とか言ってこうバッサリ切るみたいなこととかを、こうどうやってね、なんか防いでいけるん? みたいなこととかを、今日話聞きながらすごい考えて。うん。自分が分からないということをなんかこう留保しながらっていうこととかも、ちょっとこれゆっくり考えていきたいなとか思いました。うん。

西川:うーん。「みんながケアプランに沿ったケアを提供する」って、で「一人一人ばらばらになったらあかん」とかって言うんですけど、ねえ。ねえ(笑)。どうなんでしょうね。出来の悪いスタッフもいて、すごいできるやつもいて、みたいなね、あっち向いたりこっち向いたりというのが案外いいかもしれない、案外。ほんとにみんなが素晴らしい介護職、素晴らしいナースやったら、もうねえ、もう利用者もしくは患者でいるしかないからね(笑)。ほんとに。

M:息が詰まるかも(笑)。

西川:患者でいるしかないからね。たまに出来の悪いナースがいたら、まあそいつをちょっと許してやる立場にもなったりとかね、いろんな生き方ができるわけやけど。みんなが立派な人ばっかりやったら、自分はもうほんとに単純に看護される患者から逃れようがないからね。ねえ、どうなんでしょうね。みたいなね、ことはありますよね。はい。はい、どうぞ。

C:もうなんか今、自分が分からん最中なんで。もう誰かのことを了解するとか、分かるとか以前にもうちょっと今、よく分かってないんで、パスで(笑)。

長見:(笑)

西川:そやね。

B:私もちょっと利用者さまのところに入るんですけど、何を言っていらっしゃるのか、何を伝えようとしているのか、なかなかつかめなくって。で、これを読んで、裏側に隠されている秘密をひもといていったら、分かるようになるのかなあと。

西川:いや。分かることよりも、分かってると思うこと、分かるっていうところに安心を置かないほうがいいっていうかな、なんですよね、恐らくはね。このあと徐々に王子とパイロットとがお互いを知るようになるんですけど、そのお互いを知るようになるなり方もずいぶん変わってますから、またそこらへんも次回からお話していきたいなと思います。いわゆる基本情報だとかそういうやつで(笑)、こう簡単に系統的に分かろうとするんですけど、それがいかにまあ違うかっていうかな、そんな話にもなってくるのかもしれません。はい。
 もうちょっと聞きましょう。はい。時間があんまりなんで。

A:障害者の施設、日中と夜のグループホーム、生活するうえで分けられてますけど、生活する場は自由に暮らしているはずなのに、早く薬を…、たとえばてんかん持っておられる方がいっぱいいらして、それは下剤ぐらい飲まなくても死にはせんからいいとは思うけど、てんかんの薬はてんかんを起こされるので飲んだほうがいいっていう、僕らその介助側の信じ込みっていうかあって。けど、30代40代の方が多いんですけど、生い立ちを見てみると、支援学校で宿舎で親元から離れて暮らしてて、でまあたぶん週末は家に帰ってると思うんですが、服薬の方法はね、なんちゅうか、「このおやつをあげるから薬を飲みましょう」みたいな、なんかこう引き換えみたいなそんなやり方で、ずーっとそういう習い性で来てる人たちばっかりで。で、ホームへ来ても同じようなやっぱやり方を僕は目の当たりにしてて、「何とかならんのか」って思って。で、食後薬やから、やっぱりごはんはごはん、薬は薬で飲むほうが人間らしいと僕は感じてて。ごはんに薬まぶして、なんか20年前に特養の老人ホームで見た光景が、ここでまだ、この平成の世の中でこう繰り返されてるのかって思って嫌な気分になって現場で声を上げて、「嫌なこと言いよる」みたいな感じでスタッフからも嫌われてんねんけど。それでも何とか「そうしましょう」っていう流れに何とかなってるんですけど、

西川:それは、人を変えるのは難しいで。

A:なかなか変わらないんですよ。やっぱり障害持ってはる方がね、やっぱりずっとそういう飲み方をしてきたから。ごはんだけ全部食べてしもて、「さあ薬飲みましょう」「薬なんか苦いから嫌」って。うん。

西川:うん、そうそう。なかなか何が正しいか分からへんな。

A:だから僕が言いたいのは、何て言うんかな、こっち介助者もね、「集団生活やから、自分たちの思う通りに障害の人らがこう従ってくれたらええ。それがいい生活」みたいになってるん違うかって思って。朝なんかは作業所へ行くから出発の時間が決まってるわけですよ。朝はちゃんと、いっくらなんでもこの時間には起きなあかんし。まあ最悪ごはんは食べずに行ってもええかも分からんへんけど、やっぱり生理現象があるから、おトイレも行くから。あんまりぐずぐずしてもろても困るから、そのやっぱりこっちのペースになっていくっていうか、もうけしかけて。いっつもそういう生活を見てて、なんかこう心苦しいなって毎日そういうことが繰り返されて思ったり。

西川:たぶん現場はね、理念とか理想で断ち切っていくと、満足できるところはどこにもないからね。一つ一つの場面をどれだけ丁寧にやるか。自分が、ですよ。理想理念で切ったらどんなところもだめです、そら。だからまあ僕もそうでしたけど、相手に正しいことを言っても絶対相手は言うことを聞きません。聞かない。絶対聞かない。「だって」って、あのね、そこ「盗っ人にも何とかの理屈」っていうかがあるんですよ、必ず。その理屈で生きてますから、だからだめなんです。そうじゃなくって相手の中に、まあまるっきりの悪党はいませんから、いいところを見つけるっていうこと。本人も気づいてないようないいところを見つけるっていうことのほうが、恐らくは大事なんですよね。仲間にならないと一緒に働かない。立派なこと言われても聞く耳はない、たぶん。「あんたやったらいいやん」みたいな感じになっちゃうんですよね。だから正義っていうものを、正義とケアの倫理って、まあこれ倫理学で「正義の倫理とケアの倫理」って、まあ欧米なんかでも対立的に扱われることあるんですけど、そこらへんもこれから考えていったらいいと思いますけど。バラは決して正義の人じゃないもんね。「王子はモラルハラスメントの被害者」っていうふうにも読むことできるんですよ、正義の倫理で読むとね。でもそう読んじゃうと、身も蓋もないんですよね。だからまあ一気に答えは出せませんけど、ぼちぼちと考えていきましょう。はい。
 対象を理解するって言っても、なかなか医学的な情報だけじゃね。でもナラティブ[*29]ね、要するに相手の生育歴とかっていうような物語性で理解しようっていうの、あれも一つの見方ですよ。「もともと幼少期にこういう家庭環境で」ってね、「それで全部かたつけるなよ」って。もう本当に。だから要するに今ね、どっか学校とかで教えらることは全部カネになる理論やから、できないことまでできるように宣伝しすぎてんですよ。そんなすべてを解決するような理論なんてのは、たぶんない。精神分析であろうと、生育史やとかライフヒストリーとかやったってだめですよ。いろんなものを集めたって、どっか一つになる。だからね、ナースは医学的知識でしょ? われわれは。「相手の話を聞く」とかね。もうなんか旗幟鮮明にして自分の行動の根拠を見つけようとするんですけど、そうした途端に同じ穴のムジナなんですよ。だから、そうではない、自分の分かり方で相手と付き合わないっていうのが、『星の王子さま』の中ではすごい大事なこととして書かれてありますから、まあおいおいと読んでいきましょう。
 はい。みなさんちょっと、ひと言ずつでも。

 [*29] ナラティブ:narrative、わたし自身によって語られる物語。音声、文字で表されるものだけではなく、語られる時の身振りや表情など非言語的なものも含む。

K:私、保育園で働いているんですよ。前は、今言わはったみたいに、なんかそこにある雰囲気とかでまあ、「先輩がこういうふうにやってるから、ああ、こういうやり方なんや」って、まあ納得できんくっても、「みんなそうやってるから、やらなあかんのかな」とかってやってたことがあるんですけど。今のところは結構なんかいい感じのとこで、まあ普通の保育園やけど、だいたいの子はまあ二歳とか三歳とかでも先生は二、三十人見なあかんから、なんせこうみんなが一緒に動けるように持っていくんですけど。でも、まあそうしたらちゃんとしてくれるんですよ、ほとんどの子はいい子、いわゆるいい子なんですけど。中にはやっぱりすんごい自由に生きている子がいて、すんごいうらやましいぐらい自由に生きている子がいて。そういう子も、今の保育園は結構なんか優しい目で見てて、こうふらふらしてても、「あ、この子はそういう子やから」っていう感じで無理に一緒のことをさせなくて。なんかほんと、その子が大人になってこういうふうに、サン=テグジュペリみたいに飛行機乗ったりとか、今言わはったみたいになんか自由な操縦して、結構無理な操縦とかをやっちゃうんかな、とかすんごい想像がついたんですけど。で、なんか楽しそうやなとか思って。でもそう、今そういうふうに自由に生きてる二、三歳の子が、将来そういうふうに有名になってね、自由に生きながら有名になって本なんか書いちゃってみたいな。で、なんか大人にすんごい影響を与えるようなことをするかもしれんな、とか思って。

西川:分かんないですよね、子どもはね。

K:うん、なんかすごい。そう思うと、子どもの心が大人をこうすごい考えさせてくれるのかなって思って(笑)。だから、今の二、三歳の子がそのまま大人になって、そういうふうにすごいことを書いたと言われるようになっても、でもなんか一緒なんやと思うんですよ、もともとの性質とかは。で百年後には、「ああ、すごいことを書いてはる、この人」とか言って、みんなで読んで、「ああ私は分からない」とか言って言われるかもしれないと思ったら、すごい楽しくなってきました、はい。面白いなと。私は自分がどのくらい人のことを分かれるかは全然分かんないんで。でも昔はあんまり分かってなかったなあとは思うんですね、やっぱり。無理に分かろうとしてたというか。

西川:俺も最近「分かる必要ないやん」って思ってるけどね(笑)。

K:なんか最近そういうふうに変わって来たんで、私も。なんか自由な子を見てるとすごい楽しくなるし。で、昔やったらそういう子にも無理やり、虐待にもなるくらい、「もう、こうしなさい!」とか言ってた自分がいたので。保育士なりたての頃はそうやったし。なんか面白いなと思って聞いてました。

西川:そうやね。Lさん、どうですか?

L:そうですね、ちょっとどうでもいいこと、今見てて気づきましたけど、このね、ゾウの中が見えるほうの絵って、今まで結構ね、パッと真ん中で半分に切って断面図を描いているようなイメージを持ってたんだけど、

西川:(笑) 皮はいでね、

L:よく考えたら、それだとヘビだけじゃなくてゾウも真っ二つになりますよね。これゾウは真っ二つになってないから、半分に切った絵ではないよなと思って。文字通りたぶん透視図みたいな感じで、これイメージしなきゃいけない。ヘビのほうは半分になってるけどゾウは半分になってない、みたいなイメージで、頭で置き換えなきゃいけないなと、今ちょっと何となくね、小さな気づきをしてました。
 で、分かるって話ですけど、この「分かる」っていうのもまあ、「分ける」ってというのと同じ意味で、同じ字を使ってて、何て言うのかな、やっぱり「取り返しがつかないことになる」みたいなことを、なんか引き受けなきゃいけないことのようなことまで、最近思っていて。たとえばこれだと、「大人にはこの中が見えないから」って言って、スパッとこう切ったら、「ほらほら、中にゾウがいるよ」みたいなことは言えるけど、そんなことされたら、ヘビのほうにしてみたら「どないしてくれんねん」みたいな話になりますよね。他のものにしても、だから中を描き分けて誰にでも分かるようにしたら、「あとどうしてくれるんだ」っていうような責任を伴うことがあるわけですよ、この誰の目にも明らかにするという行為は。で、そこらへんを結構、学問をする時のモラルにも関わることでもあるし。
 あと、うちの家の家族なんかでもね、父親が、食べたあとの食器を出しっぱなししてると母親にね、「なんや、まだ食器洗ってへんのか?」とかって言ったりするわけですよ。そうしたら「分かってるわ、見たら分かるやろ」みたいな会話になるわけですよ。これはだから、母親が調子いい時だと何も言わなくてももちろん洗うから、洗って片づけてあるから、そういう会話がそもそも発生しないわけですよね。それが気持ちよく流れている状態なので、もう「分かる」「分からない」って言葉にしなきゃいけないところで、ちょっといつもと違うことになっていて、もうそこで言葉を尽くせば、全然人間関係じゃなくなって。「片づけてください」って言ったら片づけますけど、もうそれはなんかすでに好ましい状態じゃなくなって。「言葉が分かる」っていうことを、言葉で介在させなきゃいけない状態がすでになんか、もう良好じゃない状態のところで行われてるみたいなこともあったりとか。結構「分かる」っていうことってなんか、そう言わなきゃ意識しなきゃいけない時って結構、いろんなモラル的な意味でも、安全を守るって意味でも、危険な状態の時があるなあと思ってます。はい、以上です。

西川:うん。そうだよね。「分かりました!」っていうのはね(笑)、かなり関係が悪化したときに言う言葉だよね。その人とはもうしゃべりたくないときにね、「もう分かりました!」って言うね。「分かってんのか!」って言うのもね、「分かってるのか」って心配してないもんね。だからほんとにそういう意味では、対立、競合っていうかな、それを明確にする言葉ですよね。いやいや、面白いなあ。
 何を言おうとしてたかな。まあいいや。どうぞ。どうですか?

I:二つ思いついたんですけど、いいですか? 一つは僕のおじいちゃんが認知症の診断を受けまして。結構頼りになる人で、おばあちゃんとお母さんがおじいちゃんをすごい頼りにしてた分、その診断に対して逆にショックを受けて。落ち着いた部分もあるんですけど、ショックを受けている部分もあって。僕のお母さんとおばあちゃんがそのショックを受けてるのを見て、おじいちゃん自身もちょっとショックを受けている状態があって。でも、おじいちゃん自身は体も元気で、まあ動いてます。自分でももの忘れがあるっていうことも知ってはいるんですけれど、なんだかそれもどうしたらいいのかなっていうような、診断については思ってます。

西川:診断と、それから今、認知症に対して持たれてるイメージっていうのがね、流布してるイメージと、それから実際におばあちゃんとお母さんが「認知症」という言葉で何を想像してんのか、何を予想してるのかっていうのは、個別に聞いてみないと分からへんからね。

I:おじいちゃん自身は別に何も変わってないっていうか、そのまま、おじいちゃんのまま生きて、

西川:いや、人は変わっていくんですよ、別に認知症であろうがなかろうが。必ず変わっていくんですけどね。「認知症」っていうと特別な変わり方するように思われるんですけど。何が特別で何が特別でないかはよく分からない。病気とか障害とか言われた途端に、社会的になんらかの特別な、処置をするものに対して病気であったり障害っていう名前を付けてんですよ。逆さまじゃないんですよ。逆さまじゃない。そこらへんもまあいろいろ考えていくと面白いですけど。病院入れるために病名を付けるんです。患者になるんです。病人は患者じゃないんですよ。患者っていうのは医療を受ける立場になって「患者」なんです。そして「串」刺しの「心」になるんです(笑)。ね。
 はい。どうですか?

N:結構なんか丁寧に読むのが難しいというか、こう、「こんな雑に読んでたんだ」っていうのがショックでしたね、自分で。たとえば一番目の絵を取ってたとかも、僕が自分で読んだ時は、「ああ、はいはい、子どもの頃の価値観を大切にする人ね」みたいな感じで理解したつもりだったんですけど。でもほんまに一番初めの絵を取っていた意味って何なんやろなとか、まったくその時は考えなかった。なんか自分は小難しい本を読むのが好きだったので、結構それに慣れてたなと思って、「違う読み方をしなきゃな」というか、そういうことをしてきたなとちょっと思いました。

西川:1枚目の絵を何で持ってたのか、ねえ。本当にもの分かりがいいかどうかを試すためって言ってるけど、大蛇ボアの話とか、原始林の話とか、星のことを話せる相手がほしいんだよね。頭いい悪いとかじゃなくて、彼にとって大蛇ボアの話と原始林の話をできる人っていうのはどういう人になるのか?って。たぶん友人でしょう。友でしょう。だから、自分の最初の出来のいいやつだから置いてるわけじゃないのね。それで何をしたかったのか?っていうことだよね。それもちゃんと読んどかないと、なぜパイロットと王子とがこう結びつけられるというか、絆を持つことになるかが分かんないですよ。うん。そういうパイロットの願いとか希望っていうものが、ここに書いてあるのね、1枚目の絵を持ってるっていうことで。
 だからこんなふうにものすごいさらっと書いてあるんですけど、ほんとに何十回って推敲してる作品ですから、これ。まあ他のサン=テグジュペリの小説読んだら、ものすごく説明的なんです。これはほとんど説明を省いてあるんですよ。でも何回も何回も書き直してるの。ある意味で、だからそこに込められてるメッセージって、これ推理小説並みなんですよ。構造的にカチッとしてるしね。必ずね、照合するんですもん。そういう意味で、いわゆるフランス文学の研究者とか文学研究者にとっても、これもうやりたくて仕方がない本なの。まあそういうのはいろんな読み方があるんで、まあそういうのはそういうので研究者に任せようと思いますけど。
 はい、最後。

長見:最後ね。困ったなあ、と思ってね。いっぱいしゃべりたいことはあるけど、「分からない」っていうことについてはね。でも本当に「分からない」ってことは、「気がつかなかった」ってことで、「あ、分からなかったんだ」と。で、「今、気がついたから、分かったんだ」ってなっちゃうのね。だからその繰り返しみたいなことをずーっとやってきてるんだな、と思ってね。なんかやっぱりそれこそ「分かった」と思ったところで、なんかまた、そのるつぼにはまってるんじゃないかなっていうのは感じるね。

西川:そうなんだよ。このゾウの絵を見せられた途端に、違うものが出てこなくなるって。だから、答えを教える教育って最悪ですよ。答えを教えなければ、いろんなふうに想像ができたはずなのに。答えを教えたがために、もう周りを自由な思考能力、創造性をガシャッて潰しちゃうんだもん。だから何か、「ああ、いいなあ」と思った時に考えなきゃいけないです。僕はナラティブアプローチとかやってる時に、「ああ、いいなあ!」って思ったんですけど、「いやあ待てよ」って、「おんなじじゃねえの?」みたいなね(笑)。「科学的看護論と一緒じゃないの?」みたいな。だから、分かった時にやっぱり用心しないといけないですよね。うん。用心しないといけない。でないと、「いや、たしかに役に立つもんですよ、地理ってやつは」みたいなね、サン=テグジュペリならそうやって皮肉をかますだろうなあと思いますけどね。
 でも、分からないっていうことが辛いって思う時期も。だから、子どもの時から分かんないことが辛いことじゃないですよ。分からないことはわくわくすることであったり、どきどきすることであったりっていうことやったのに、分からないことが情けないことであったりっていうふうに価値が変わってくるんですよね。それなぜなのか?っていうことも考えることできると思いますね。いわゆるこう外見(そとみ)の子ども・大人っていうよりも、何なんでしょうね、だからね。うん。
 だから哲学みたいな、なんか「知を愛する」って言うけど、知を愛するってねえ。プラトン…(笑)、結局はね、いつまで経っても分かんないですよ、あれ。知者じゃないからね、知ってる人じゃないですから。「知らないから知りたいと思う」っていうね。「知ってもまだ分かってないと思う」というかたちで続いていくわけですからね。まあサン=テグジュペリなんかも哲学の、ヨーロッパの哲学の歴史なんかも非常に詳しい人ですし、パスカルを愛読した人ですから、「真に哲学をするとは、哲学を馬鹿にすることだ」みたいなね、そんなのも山ほど読んでいる人でしょうから(笑)、なかなかひねりが効いてますよ。

長見:そうか、ひねりなんだね。

西川:うん。まあフランス独特のエスプリというかね、そういうのありますよね。はい。今日はこんな感じで。でどうもまた次回、よろしくお願いいたします。

一同:よろしくお願いします。

(拍手)

西川:まあそんなに早くは進まないと思います。みんなでしゃべりながらやったほうがやっぱ楽しいんでね。
 六歳の時を思い出しましょうね。

(第2回終了)

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