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【人は幾年でも祈り人】


令和5年  5月5日


こどもの日というのを
うっかり忘れていました。


ですが
何か懐かしい5月の新緑の風を受けて

ふと海を思い出したのです。



それは幼い頃から慣れ親しんだ私の故郷。

この季節には鯉のぼりが浜辺に沿って
ずらりと並んでいました。


青空を悠々と泳いでいる
大きな鯉のぼりを
何年もこどもの頃から見上げてきたものですから

ふと
風の薫りに
記憶が呼び覚まされて
姉にLINEを送ったのでした。


(鯉のぼりは…?)


すると姉は
すぐさま動画を送ってくれたのでした。

そして流れて来た文字には


(今年が最後みたい)


えっ…

心がざわついた私がいました。

クリスチャンの私が
鯉のぼりが今年最後と知って
ざわついています。



今日の
今から行くのも遠すぎる…。


胸が切なくなり、
もう一度見上げたい…

そんな思いが溢れました。

そんな動揺した私に
姉は多くの動画を送ってくれました。


私はボワッボワッと響き渡る海風の音と共に風に泳ぐ鯉のぼりを見つめました。


その時
ふと思いました。


この時代だから

こうして眺めて
さようならを言えたけれど

とおい昔に生きていたならば
眺めることも
さようならも言えなかったはずです…。



故郷では
もう
鯉のぼりを今年の5月を最後に
海沿い一面に泳がせることを
決断した
理由は何だったのでしょうか…。



クリスチャンの私が

何かモノや形造ったモノに想いを込めたり
祈ったりはしません。


ですが、
私は過去の私は
多くの神々と共に生きていました。

そのときも、
ただ純粋に神様を探しておりました。


万物
全てを創られし神様に出逢うまでは
自然を走り回り、神様を感じていました。

そんな中で生きて来た私が

今では
十字架の愛を、
神の一方的な恵みと
憐れみにより
知ることとなりました。


私は5月の節句の人形も
人が作られた形作った像は拝みません。

勿論
その由来ある鯉のぼりも同じくです。


ただ
ただ…

言えることは私が生まれる前から
日焼けしたしわくちゃの
お婆ちゃんやお爺ちゃん…


そして多くのむかしの人達が

5月の曇りもない碧さの

南紀白浜まで
遠く彼方に続く海を眺めて

大切な子どもたちへの
想いを込めて

掛け声で
必死にロープを引っ張り…



空高く鯉のぼりを泳がせた姿が
目に浮かびます。


こども達は
キラキラ目を輝かせ

走り回った事でしょう。


そう春には
私も、菜の花畑も走り回ったり
れんげ畑を走り回り

そしてこの5月の季節には
海の潮風と共に
個性豊かな鯉のぼりを眺めていました。



その頃は知らなかったのです…。


命を捨ててまで
罪人の私を
愛してくださっていたお方が
いたことを…。


そう…

知らなかっただけなのです。




元気で育ってほしい

大切にしたい子ども達への愛を
祈りに変えて

目に見える様な形へと
表したものでしょう。


私は鯉のぼりに
願いも何の思いもありませんが

また違う視点で
懐かしく眺めていました。

人は
神様に造られた作品でありますから
命を吹き入れられた者ですから


完全ではなくても愛する事を
自ずと
知っている存在なのですね…。


私達クリスチャンは
いつも注意する点が
いくつかあります。



正論なる意見も

真理を伝えることも大切でしょう。

しかし言葉を
選ばなければいけないと
思っているのです。



こどもの日は
多くの祝福の願いを込めて
形造ったものに
祈願することでしょうから

伝えたい事は
そこには
沢山ありますね。



今日の日本では子ども達へ
祈願が行われている日です。



ですが

忘れてはいけない…



自分がどれ程か罪人であり

また
神の恵みと憐れみにより
目を留められた事を…。


私達は
昔の人たちの

純粋なままに
愛おしく抱きしめてきたこども達への
愛情を

教えという正論からくる
大胆な正義という名の行為で

無意識なる
足で踏みつけた
花の様ように

または相手に無意識なる
与えさせてしまった
踏み絵(絵踏み)の様に

そんな想いを

抱かせてはいけないと感じている私が
いるのです。


混じりあった
絵の具の様な
想いの中にある

自分自身へと

いつも


語りかけているのです…。





心配はしません。

何故なら

聖霊様は
そんな混じりあった色さえも整えて 

御霊の実から智恵を
お与えになることでしょう。


また

私も十字架の愛による
世界で満ち溢れるなら

もう懐かしい鯉のぼりも
切なくなるなんていう

そんなささやかな切なささえも
癒され消え失せるでしょう。

それどころか
心理的な要素から
心の何処かで手放せない過去への
思いがあることさえ
気がつかされることでしょう…。





5月の美しい季節の海…


こどもの日


防波堤から
眺めた


数えきれないほどの鯉のぼり…


人は信じて

幾年でも
変わらず祈り続けていたのです。





たとえそれが
違った選択だったとしても…。








実に神は
そのひとり子をお与えになったほどに

世を愛された。


それは御子を信じる者が
一人として滅びることなく
永遠のいのちを持つためである。

ヨハネ3:16





































































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