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佐々木閑先生のyoutube仏教講義から

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#仏教

佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの生涯 16」より

佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの生涯 16」より

「初転法輪」続き(第2回目)「中道」はユニークな教え。

お釈迦様というスーパーナチュラルな存在があり、お釈迦様にひたすら願うことで将来の喜びが手に入るのだ――ということなら「中間を行け」という「中道」の教えは、出てこず、「ひたすら信仰せよ」となるだろう。

「中道」は、そうは言わない教えなのだ。

なぜなら、仏教は何かに全てをささげるという宗教ではなく、自分で自分を変える、修行の宗教だから。

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佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの生涯 15」より

佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの生涯 15」より

初転法輪=お釈迦様の一番最初の説法【中道】
どのような心構えで我々は仏教の道を歩んでいくべきか。
欲望のままに生きている人には近づくな。厳しさこそが修行の本質だと思っている人には近づくな。→ 緩いのもダメだが、厳し過ぎるのもダメ。

具体的には

「八聖(正)道」
八つの生活規範。修行の基本的なやり方。
◆正見(しょうけん)=仏教の教えに沿ったものの見方。
◆正思惟(しょうしゆい)=仏教の教えに沿

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佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの教え 23」より

万能の誰かが次は天上に生まれ変わるなどと、決めるのではない。我々(の行為)以外に、我々の将来を決めるものは何も無い。それが「業」というものです。

これをもって他の人に「現在の不幸は過去の悪業による」などと言う人があるが、そんなふうに言うのは罪悪です。なぜなら、この「業」の話はお釈迦様とあなたとの対話だからです。他の人を云々する材料ではないのです。

*上記は、下記youtube動画をもとに筆者が

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佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの教え 22」より

究極の安楽とは、年を取っても、病気になっても、死を目前としても安楽であることです。

この教えを全ての人に説き広め、みんながこのやり方で行きましょうと言っているのではありません。

仏教はあくまで、苦しみに耐えきれない人を待ち受けるという姿勢で、このような価値観を説くのです。

「法は知り難いと見よ」
人は誰でも自分が正しいと思う。そういう本能だから仕方ない。しかし、別の視点から見たときには正しく

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佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの教え20」より

苦しみをもたらす生存欲を渇愛と言う。

「確固たる自分を見つければ幸せになれる」というのは、錯覚

「新たな自分をつくる」というのが、仏教の考え方

自分の変革というところに、仏教の進む道がある。

*上記は、下記youtube動画から筆者がメモしたものです。受け取り違いなどがある可能性があります。

佐々木閑の仏教講義「ブッダの教え 20」(「仏教哲学の世界観」第4シリーズ)