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母の愛と山盛りのミュール貝

        

それは、今から約15年前、母と二人でウェールズを旅したときの話だ。

当時、私は30代後半。パリでの生活に挫折し、日本に帰国して、東京の暮らしに馴染めずにいた。

その後、42才で娘を出産するまで、私は母とよく、イギリスとフランスを旅行した。旅の時期は必ず、飛行機のチケットの安い秋。母の大好きなイギリスをまず一週間ほど旅行し、次の一週間はフランスに滞在し、私の友人を訪ねるというパターンが多かった。フランス語がわかる訳でもなく、お酒を飲んで騒ぐのが好きでもない母にとっては、二週目のフランスの旅は、正直言って退屈だっただろう。その分、一週目のイギリスの旅が楽しかったようだ。

その年はウェールズに行った。旅先にウェールズのコンウィを選んだ理由は、行ったことがなかったことと、ウェールズはUKロックが盛んな土地だったからだ。

コンウィには夜遅く着いた。ホテルのスタッフが親切で、ほっとして眠りに着いたことをよく覚えている。

次の朝、遅めの朝ごはんを母と二人、ゆっくりと食べ、食後に早速、コンウィ城へと向かう。

コンウイはウェールズ北部にある人口約15000人ほどの、コヌイ川の河口付近に広がる美しい街だ。川沿いには船がたくさん停まっていて、まるで海辺の小さな漁港を散歩しているようだった。

漁港で働いているかのような、無骨な感じのおじさんが、すれ違い様に「グッドモーニング」と挨拶してくれた。

私はこの小さな街があっという間に好きになった。

コンウイ城は街外れの高台にあり、コヌイ川に面していて、13世紀に建てられた。この街、唯一の観光地と言ってもいい場所だ。

城というよりは、戦場の跡地、みたいなところだった。ここから、ウェールズの理不尽な歴史が始まったのかとは思えない、のどかな遠足スポットだった。

ホテルに戻って少し休んでから、夕方の散歩後に、漁港付近にあるパブに、適当に入った。サッカーの試合がない日だったのだろう、店はガラガラで、無骨でニコリともしないが、感じが悪い訳でもない店員が、オーダーを取りに来てくれた。

そこで、ビールと簡単な肉料理、ミュール貝のワイン蒸しを注文した。

それほど待たずに、料理が到着した。

「わっ、すごい!」

私達は歓声を上げた。何がすごいって、バケツのような入れ物に山盛りに盛られたミュール貝の量だ。

「おいしそう、いただきます。」

食べても食べても終わらない。貝のサイズは小さめだったが、漁港で取れたてのミュール貝。まずい訳がない。私達は「おいしい、おいしい」と、餓えた子供のように、いつまでもミュール貝を食べ続けた。
 
ガランと静まりかえった、無口な店員と客数人しかいない、町外れのちいさなパブで。

この数年後に、私は結婚とほぼ同時に娘を産み、毎年のように行っていた、イギリス・フランス二人旅は唐突に終わった。

結婚して、子供を持って、家を出て、強く感じるのは、母からのうっとうしいくらいの私に注がれる熱い愛だ。

その愛の総熱量が思い出されるような、バケツ山盛り一杯に盛られたミュール貝。

母の愛と山盛りのミュール貝。そうだ、これをエッセイのタイトルにしよう。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この文章は、作家の辻仁成さんの文章講座に応募したものです。残念ながら講座上では取り上げられませんでしたが、とても参考になりました。

課題のタイトルは「食と旅のエッセイ編」

次回は3月13日で、課題のタイトルは「身近な人について書く」です。

興味のある人は、チェックしてみて下さい。

 




 



 

 

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