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それで、0点(2)

(実在の成功者達をモデルにし、ひとりの人物「先生」として描く小説です)

 ピカピカに磨き上げられた白い大理石の床。
 猫足の上品なシャンパンピンクの3人がけソファ。座った足元にはホコリひとつからんでいない毛足の長いふわふわのラグ。
 小さく繊細な泡を立ち上らせたシャンパンが、目の前のガラスのテーブルに置かれている。緊張とともにそのグラスを口元に運んだ。

 すきっとした味わいの中に優しい甘みを少し感じる。

 ふと、私の緊張をほぐすためにこの味を選んでくれたのかな、という気持ちになった。

 そしてこのフルートグラスの口当たりの心地よさよ。飲み口が薄いからなのかな。割らないように洗うのって食洗機だと無理な気がするなぁ。

 ああ、色々と手がかかっているのだ、この空間は。

 私は今、落ち着かない気持ちと期待感とでドキドキしながら、先生が持っているお店のひとつにいた。会員制のお店で予約しないとお買い物に来れないシステムだそうだ。

 誰にも邪魔されず、心ゆくまでここにある素敵なものたちの中から自分のためのものを選べる!
 なんという贅沢!

「じゃ、高橋、御厨さんに服を選んであげて」

 向かい側のソファに腰を下ろし、先生はうれしそうに高橋さんを見た。

「ふぁー、ここすごいっすね。女の子の夢のお店って感じ!」

 高橋さんはぐるりと店内を見回した。

「服も、靴も、アクセサリーも、下着まで全部ある!」

 それから高橋さんはまずワンピースがかかっているエリアへゆっくり歩いて行った。

「御厨、ミニとかどうよ?」

 高橋さんは赤いワンピースを手にとった。

「マニキュアは塗るようになった。香水もこれから毎日まとう。だったら、ミニ丈も普通に着こなそうよ」

 私に拒否権は、きっとない。赤・・・。派手・・・。

 さらに高橋さんはあれこれとみつくろって用意された空のハンガーに次々と服を並べて行った。最初の赤以外は、まあ、色的にもデザイン的にも、かわいくていいなぁと思うものばかりで正直ホッとした。

 でも先生の考えは違ったようだ。

「なるほど。高橋がこういうの苦手なのがわかった」

 やわらかい表情で一部始終を眺めていた先生は、最初に出迎えてくれた女性を呼んだ。

「七海さん、一緒に選ぼうか」

 彼女は、このお店の店長だそうだ。
 すらりとした背の高い美女。上品でシンプルなロングドレスに身を包み、髪はゆるやかな編み込みアップで、耳にはパールのピアスをしている。
 目が大きく、さらにはっきりしたアイラインを入れているため、全体で目の印象が強く残る顔だ。

「はーい。高橋さんが選ばれた服は今の彼女に似合うお洋服ですからね。ではなくて、半歩か・・・一歩先のコーディネートにしましょう」

「半歩か、一歩先?」

「そうですよ。去年買った服はもう着ないでしょ?」

「いえ、着ます着ます。もったいないので」

 すると七海さんはおかしそうに微笑んで先生の方をちらっと見た。先生も「な?」と彼女に意味ありげな微笑みを返した。

「御厨様、去年のお洋服がまだ似合うということは、御厨様ご自身が何も成長なさっていないということですよ。歳を重ねるというのはより美しく素敵になっていくということなのです。中身が変われば外見も変わります。表情も変わります。今までの御厨様に似合うお洋服を買われては、すぐに着れなくなってしまい、かえってもったいないですね。
それとも、ずっと成長しない前提でお洋服を選ばれます? でしたら当店で御厨様におすすめできるものは何もないんです。
半歩か一歩先の未来の御厨様にぴったりのお洋服をお選びしましょう」

 彼女の言葉の意味をしっかり理解する暇もなく、先生と七海さんは高橋さんと私にもわかるように「それを選んだ理由」をさりげなく口にしながらコーディネートをあっという間に完成させた。

「では、こちらへ」

 さっそく試着するために、となりの部屋へ案内された。
 カーテンで区切られた空間で着替えるのではなく、理想の自宅のウォークインクローゼットで着替える、そういうコンセプトらしい。

 これまたぴかぴかの大理石の床。小さなアンティークの棚。そこに美しく配置されたキャンドルと鳥かごのオブジェ。シルクカバーのクッションがかわいく並んだ猫足のミニソファ。

 理想以上・・・💖

 でも、あれ? 鏡がない!

「七海さん、鏡は?」

 私が着たワンピースの背中のファスナーをぐっとあげながら、七海さんは言った。

「ここにはないですから、あちらに戻りましょ」

 なるほど。自分だけこっそりチェックはできないシステムね。

 急に自分のお腹や腰回りの贅肉が気になってきた。
 いつもは服でうまくカバーしているけれど、今着ているワンピースは身体のラインが出てしまう。
 やだな。恥ずかしいな。デブだって思われたくないな。

 似合っているのかどうかもわからないまま、私はおずおずとさっきの部屋に出て行った。

「ダメだな、御厨さん」

 私を見るや、先生が残念そうに言った。高橋さんも頷く。

「え?! 似合ってないです?」

 お腹を隠すように身体の前でクロスさせていた腕に自然に力がこもった。

「そうじゃない、それ以前。完璧でしょ私!って感じで出て来てくれないと、いいか悪いかの判断なんてできないよ。そうやって猫背ぎみで腕組みしてひょこひょこ出てこられて、もう、コーディネート以前の話。ダサい」

「あ!」

 私はあわててしゃきんと背を伸ばした。
 先生と七海さんと高橋さんが選んでくれたコーディネート。それを着た人間の私が、マネキン以下でどうするーーーー!!!!
 腰に手を当て、褒められることの多い脚を見せるように片足を少しクロスさせて前へ出してみた。

「ふむ、いいんじゃない?」

「歩いてみて」

「あ、歩くの?」

「当たり前だよ。動くでしょ、君!」

 私は13cmのハイヒールで、ゆっくりと店内を歩いてみせた。
 そういえば、ハイヒールも9cmがマックスで、普段はぺったんこの靴ばかりだったのが、先生と出会ってから変わったのだ。

「おっけー、じゃあ、そこで、落としたペンを拾ってみて」

「ペンなんて落としてません」

「落とした前提でひろって」

「このミニで?!」

「そのミニ、家でひとりで着るわけじゃないでしょ? 外出するんでしょ? ペンを落とすかもしれない」

「うぅ」

 下着が見えちゃうんじゃないかという恐れとともに、私は気を配りながらペンを拾う仕草をした。
 
「いいねー!」

「いいっすねー!」

 先生と高橋さんが楽しそうに声をあげた。

「はい、今度は後ろ向いて拾ってみてー!」

「あのねー、これ、セクハラって言うんじゃないですか?!」

「うあ、出た! サービス精神のかけらもない自意識過剰ブス」

 高橋さんの言葉に私も思わず言い返した。

「なんのサービスですか!エロじじー!」

「エロで何がいけないんだよ。下品なエロと上品なエロがあることも知らないだろ、お前。大体さぁ、嫌がるのを無理やり触ったり、脅したりして何かしようとしているわけでもないじゃんさ。素敵な女性の綺麗な脚が見えてるとかさ、スカートの中が見えそうで見えないとかさ、嬉しいんだよ!男は!それだけでいい気分になれるんだよ!
そういう素敵な性別に生まれてるくせに、美しさを磨く努力もしない上、大して磨いてもない脚を見るのもダメとか、怠慢とケチが過ぎるだろうが!!!」

「怠慢とケチぃ?!」

「俺ら、パンツ見せろとか言ってないし! 見えそうで見ないのがいいわけ!で、見えちゃうようなだらしない女は嫌なわけ!ジェントルマンでありたい俺としては!
君さ、これからそのミニ着て出かける時に、今までのパンツスタイルとかロングワンピの前提で動いたら、見えちゃう方の女になるよ?」

 あ、そういうことか。
 確かに私、下着が見えないようにものすごく気遣って動いた。

「服が変わると、仕草も変わりますね!」

「パンツスタイルでもミニと同じ動きにしろよ。ガサツ卒業しろ、お前」

 
 そのあとも、ファッションショーは続いた。

 今まで服でごまかして来た自分の身体のラインを、ふたりの紳士と美女に見られる。ああ、もっと普段からきっちり絞っておけばよかった。

 日常を試す神様のテスト。つらいー。
 
 それでも、こういうのが似合うんだ!という発見があったり、これを本当に着るのか?!という抵抗を感じたりしながらも、私は知らない自分に出会っていく喜びでいっぱいだった。

 高橋さんは、合計で7コーディネートをすべて買ってくれた。

「お前、ぜっっったいに、着ろよ!」

 ショート丈の水色のコンビネゾンなど、会社に着てはいけない。これを着る機会は一体・・・?!
 想像してもまったく着るシーンがわからない。それでも、買ってもらう以上、着ないわけにはいかない。たんすの肥やしにお金を払わせるわけにはいかないもんね。

 そうか。
 何を選ぶかで、これから先の未来も変わる。

 私の人生には、ショート丈の水色のコンビネゾンを着ていく場所が加わるのだ。


 でもこれは、私の人間関係の崩壊の始まりでもあった。


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