それで、0点(3)
(実在の成功者達をモデルにし、ひとりの人物「先生」として描く小説です)
それは、先生のお店で高橋さんに買ってもらったピンクのコートを着て出かけた日のことだった。
「うわ、年甲斐もなく、なにその服」
待ち合わせのカフェに入った私の姿を見つけるや、智子はそう言った。
「はやく脱いでよ、一緒にいるのが恥ずかしい!」
「え、そんなに?」
正直に言うと、私も人目が気になっていた。
ミニ丈のワンピースに合わせたピンクのコートは、太ももの真ん中くらいまでの長さで裾が広がるAラインのデザインだ。しかも、左の胸もとにコートと同じ生地で作られた大きなバラがついている。ボタンのひとつひとつもバラだ。そして、袖口とコートの裾には繊細なレースがひらひらと飾り付けられている。
「これを着て」とあのお店で言われた時、私は思ったのだ。
これ?
こんなぶりぶりの??
小学生か中学生が着るコートじゃないの??
でも、このコートの上から白い毛糸のふわふわのスヌードをかぶり、グレーのハイヒールを履き、ピアスや指輪を教えてもらった通りにつけてみると、服単体から受けた子供っぽさは消え、かわいい大人の女性に、私は変身した・・・ように見えたのだ。
実際、このコーディネートで出かけると、成功者の男性やご自分でビジネスをされている方にはものすごく好評だった。
「10数億稼いでいる会社の社長に見えた」とか「おしゃれ慣れしてるね!」とおっしゃった方もいらした。「十数億稼ぐ会社の社長」なんて私には縁がなさすぎてどんなものかも想像がつかなかったけれど、本気で褒めてくれているのはなんだかわかった。
だから、きっと大丈夫だって思ってたのに、やっぱりダメだった?!
店の中は暖房が効いていて暑かったこともあり、私は早々にピンクのコートを脱いだ。
下に着ていた体にぴったりしたXラインの千鳥格子柄のミニワンピがあらわになる。コートも短めだったけど、そのコートから裾が出ない長さのワンピースはさらに短い。でも、下着が見えないように動く練習はした!
すっと智子の前に腰をおろすと、彼女は品定めするように私をジロジロと眺めた。
「・・・派手だねぇ。どうしたの、その服」
私が先生のお店に連れて行ってもらい、高橋さんに色々と買ってもらった事情を説明すると、智子の眉根はどんどん寄り、眉間のシワも深くなっていった。
「ちょっと、あんた、騙されてない? そんなの、セクハラだよ! ミニ何着も着せられて歩かされる? しかも、それでペン拾う仕草を何度もさせるなんて、絶対おかしいよ!」
「おかしいかな? でも、練習って何度もするじゃん。言われなかったら、私ガサツ女のまま、こういうのを着るところだったよ」
「そういう問題じゃないよ。大体、買ってもらったって、その人の奥さんが知ったら絶対、嫌な気持ちになるよ。あんた何やってんの?!」
「うーん、それは、高橋さんも言ってたなぁ。でも、高橋さん奥さん大好きだし、私とどうこうなるわけでもないしねぇ。それに、ちゃんと話すから大丈夫って言ってたよ。奥さんの懐が深ければ、全然問題ないんじゃない? 普段から大事にされてたら、奥さんだって余計な心配しないでしょ? 大体、自分のお金何に使おうと自由じゃんね。外で飲み歩いて消費するより、成長しようとする女性に服を買ってあげるとかの方が、なんかいい感じするし。投資してもらった身としては気持ちも引き締まるし、ボディも引き締まる!」
「うーわ、洗脳されてる!」
そう叫んだ智子はぐっと身を前に乗り出し、声を低くした。
「ちょっと、みくりん、田中君は知ってんの? あんたが他の男に服買ってもらったこと」
「知らないと思う。言ってないもん」
「それって、後ろめたいからでしょ?」
「違うよ。変に誤解しそうだから、言わないでいいことを言わないでいるだけ」
「バレてるよ。実はさ、田中君に相談されたんだよ。最近、みくりんが派手になってるって。クローゼットにけっこう服が増えたのちゃんと知ってたよ」
「まあ、家に泊まりに来たら目には入るよね。でも自分で買ったと思うでしょ」
「田中君はそんなバカじゃないよ? みくりんのお給料だって大体どのくらいか知ってるんでしょ? あとさ、最近のみくりん派手で一緒に歩くの恥ずかしいって言ってた」
最後の一言は、ものすごく私の心にひっかかった。
え?!
私と歩くのが恥ずかしい??
・・・なに、それ。私に直接言わないで、智子に言うって、なにそれなにそれ。
もやっとしたものがどよよんと胸の中をうずまいた。
そして、自分でも、どこか年齢に合わない服を着ているのではないかという疑いがあっただけに、智子の言葉がどれもこれも正しいような気がしてきた。それでもなんとか智子に反論を試みる。
「・・・でもね、今日の服装、評判よかったんだよ?」
「ほんとに? なんか若作りのおばさんぽいよ、それ。『セレブ』な人たちの感性がどうなのか、私はわかんないけどさー、 あんたも私も一般庶民なわけ!普通のOL。普通のお給料!つきあってる仲間も同じようなもんでしょ! なのにあんただけセレブな格好して、一体、どこ行こうとしてるの?」
どこ?
・・・そんなこと考えたことなかった。
智子の言葉にはひっかかるものがいくつもあったけれど、最後の質問はとても重要なものに感じた。
そうだね。
言われてみれば、私は、どこへ行こうとしてるんだろう?
「その高橋って人に『買ってあげた服を着てるとこ見たいから会おう』とか言われたりしない?」
「ないよ。それに誘われても別に問題ないよ。お礼に私がご馳走するか、それか多分、高橋さんがまた奢ってくれて、私はより素敵になる努力をするだけのこと。自分の彼女がきれいになれば田中君だって嬉しいはず・・・」
「それ、勘違いだよ、みくりん。派手になって一緒に歩くの恥ずかしいって言ってるって言ったじゃん?」
もやっとした何かがさらに密度を増して胸の中を渦巻く。
私に先に言ってよ・・・。なんで智子に言うわけ?
最近のデートが頭によみがえる。
あの日は風が強くいつもより特に寒くて、腕を組んで一緒に歩いていた。あの時、一緒にいるのが恥ずかしいって思ってたの??
智子はここが攻め所とばかりにおもむろにスマホを手に取り、私のSNSのページを開いて見せた。先生に呼ばれて参加したワイン会の写真を指して、彼女は言った。
「あとさ、こんなの、アップしたらダメだよ」
「え、なんで?」
黒のキャミソールに同じく黒レザーのロングスカートを合わせ、その上にラビットファーの半袖のゆるいベストを着た私が、ワイングラスを持って自信たっぷりに微笑んでいる写真。金色の大振りのピアスとブレスレット合わせ、メイクもしっかりしていて、とても素敵だと思う。
後ろには窓越しに見えるライトアップされた東京タワーと光の街。
一緒に写っているのは、同じくおしゃれをした力ある笑顔の年齢も様々な男女。
去年までの私にはない、心地よく豊かな世界に、いる。
けれど、智子にはそうは見えていないのだ。
「るねっさーんす」
ワイングラスを乾杯する大げさな仕草で智子はそう言った。前に流行ったお笑い芸人のネタのひとつなのは、テレビをほとんど見ない私にもわかった。
「みんな、みくりんがおかしくなったって言ってるの。特に最近、服もメイクもどんどん変わっちゃって、ぶっちゃけひいてる。このままじゃ、友達いなくなるよ?」
友達、って、じゃあなんなんだ。
たとえ変な格好をしてても、友達でいればいいじゃん。自分たちと見た目が違って来たら友達じゃなくなるって、それ、変じゃない?
想いは言葉にならない。言ったらきっと、私たちの関係は終わってしまう。
「みくりん、聞いてる?」
「・・・うん、聞いてる」
「この写真さ、みんな笑ってるよ。るねっさーんす」
智子はまた乾杯の仕草をした。
みんな?
みんなって誰?
本当にみんな?
つっこみたい気持ちをぐっとこらえる。
それ以上、彼女と話しているのがなんだかつらくて、私は母親からラインが入ったのをきっかけに、急用ができたと嘘をついてカフェを出た。
道ゆく人は、こんなミニのピンクのコートを着て歩いている私をどんな風に見ているのだろう。
急に恥ずかしくなった。
自然と、背が丸まり、目も伏せがちになる。
顔を見られたくない。おばさんが中学生みたいな格好をしてるって思われたくない。
そもそも、道ゆく人の服はほとんどが黒とグレーだ。私のピンクは遠目からでもとても目立つ。
小さく。なるべく小さく・・・。
ふとショーウィンドウのガラスに映った自分の姿を見て、ものすごく嫌な気持ちになった。
服が変だからじゃない。
私の卑屈な姿に、腹が立った。
試着室から出て着た時、先生が言ってくれた言葉を思い出した。
「いい悪いの判断以前」
そうだ。私が服の価値を下げてどうする!
私が私の価値を下げてどうする!
私は立ち止まった。
背筋をしっかり伸ばし、顔をまっすぐにした。
脚がより美しく見えるように、ゆったり堂々と歩き出す。
変だと思うなら思えばいい。
でも、見て。
これが、理想の姿。豊かな人々が愛する姿。
半歩か一歩先の私に似合う服。
私は、今の続きを、生きて行きたいわけじゃない。
するとピンクのコートが微笑んだ気がした。
私とコート。お互いを素敵にし合う関係なんだね。
それにしても、私は、どこへ行こうとしているんだろう?
そんなの考えなきゃいけないことだったのかな。
ただ、先生の見ている世界はとても魅力的で、その言葉が伝えてくれるひとつひとつは、私の世界にたくさんの音と色彩を与えてくれるような気がしている。
その先がどこかなんて考えることもなかった。
私は「どこ」へ行こうとしてるんだろう?
智子は?
そして、田中君は?
電車に乗って、SNSのページを開いた。
智子が「るねっさーんす」と言ってからかった写真を開く。
気づいてなかったけど、そこにも別の友人からのコメントがあった。
「みくりん、どこ行こうとしてんの?! 笑」
「おーい、帰ってこーい!」
どこかなんて、知らない。
もっと楽しそうなところだってことは確か。
豊かなところだってことは確か。
それから田中君にメッセージを入れた。
「今夜、時間ある? 話したいことがあるんだ」
「ちょうどよかった。僕も聞きたいことがあった」
そう待たずして返事が来た。
「じゃあ、うちで待ってるね」
「うん、仕事終わったら連絡入れる」
「はーい!またね」
いつもの見慣れたふたりのチャット画面に、変な緊張も一緒に貼り付けられて送られて来た気がした。
怖いな。
私たちは別れることになるんだろうか・・・。
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