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本当は開いているドア

チャンスの神様は前髪しかないから、やってきたらぱっとつかまえないといけない。

・・・みたいな話をわりと昔からよく聞いていたので、

チャンスの神様はすべて全力疾走!しているイメージがなんとなくありました。

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でも、同じ場所にとどまってドアを開けたり閉じたりしている、そういうチャンスの神様もいるんですよね。そして、ドアを基本的には開けているという神様もいるのです。

全力疾走する神様と違って、この神様方は足の遅い人でもご縁をいただくことができちゃいます。

でも、その神様の開いているドアが見えないケースがあるんですよね。
また、見えたとしても「こんにちはー」って声をかけられないケースもあるようです。

つまり、本人が躊躇しちゃう。

それは

・無理だと思い込んでいる

・断られたり失敗するのが嫌/怖い

というふたつの原因があると思います。

でも、これはとってももったいない!

のんびりそこに座ってドアを開けているチャンスの神様がいるのに、ノックしないんですよ?

そしてね、断られたり失敗したりするのを避けていると、やがて開いているドアすらもそのうち見えなくなるんですよん。

これは人の心理のはたらきによるんです。

だって、気になるおうちのドアが開いていたら、躊躇はしても、やっぱり声をかけたくなりますよね。その結果、ノーって言われたり、相手に嫌われたり、自分が粗相をしたら大変です。そんなことになるくらいなら、やっぱりドアはノックしない方がいい。
でも気になるぅぅぅ!

この葛藤がなかなか苦しい。
だからドアはいっそ最初から見えない方がいい。
見えなければ、こんな葛藤を抱えずに済むのです。

そんな心理がはたらいて、最初からチャンスのドアを意識の外に追いやってしまうことで、「あるのに見えない」ようになっていきます。

こういう心の動きを認知的不協和の解消と言ったりします。

ドアが開いている家(チャンス)はたくさんあるのに

大歓迎されるのに

ドアが見えなくなる。

これ、側で見ていると、歯がゆくなってしまう私です。

ドアをノックして断られてもいいじゃないですかー!

って叫びたいわけですが、やっぱり傷つきたくないし、怖いし!という方もいらっしゃいますよね。


そういう場合は一度考えてみて下さい。


失敗も成功もない人生

   or

失敗も成功もある人生

そのどちらを生きていたいか。

これはどっちでもよくて、自分自身が「こっちだ!」と選ぶことが重要です。

そして、成功したいなら、拒絶と呼ばれるエネルギーも必ずそこにセットで含まれるということを受け入れる。

ドアを叩けばノーの時(失敗)もあるさー!

でも本当は「失敗」もまた「成功の経験値」です。
失敗は成功の反対語ではありません。
成功の中に含まれる要素なんですから。

どうせうまくいく と、つぶやいて飛び込んでみたらいいんです。

そしてチャンスを掴んだら「やったー!」

その先でちょっといいことがあったら「やったー!」

またいいことあったら「やったー!」

喜ぶのも必須

喜び下手だと「うまくいった」ことを忘れてしまうのです。

逆に喜び上手だとその「成功記憶」は感情と共に強化されます。

そのうちに「無理だ」なんてイメージも「うまくいく」に上書きされてしまうのです。



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