自分という財産に投資して世に残すお話
東日本大震災の際、
あ、物理的なものってこうやって一瞬で持ってかれちゃうんだな、って思いました。
そして、もし、何もかも物理的なものを失ったとしても、自分の頭の中によい情報(経験や知識や性格などもろもろのこと)があれば、大丈夫なんだとも思いました。
自分に投資する
という言葉が、ぼんやりとした「他人から聞いた言葉」から、「自分の考え」になった瞬間です。
自分が生きている限り、失われない財産。
お金と時間を投資すべきはここだ、と思ったんですよね。
自分の頭に「よいマインド」が入っていれば、ついでに「役に立つ経験や知識」が更新され続けていれば、何が起きても、例えばゼロリセットされちゃっても、そこからいくらでも築き上げていける、と。
それ以降、私は「学ぶ」ということに今まで以上にお金を使っていくようになりました。
それでも、私もいつかは死んじゃいます。それと一緒に、私のマインドも蓄えられた知識や経験なども消えてしまいます。
”「ずっと残り続ける財産」なんてないんだよなぁ・・・。
ま、その時は自分はもういないんだから、財産が消えても問題ないかー!
役立つものがいくら入ってたって、使い手の自分がもういないんだからね!”
な〜んて思ったものの、それはあまりに自己中心的。^^;
あー、私という財産を世に残さねば(私がいなくなっても他人が活用できるようにしなければ)とも思ったのでした。
私という肉体が滅びても、私という個性が消え去っても、「私の頭の中にある何かの知識や想いなど役立つもの」は、誰かの頭や心に残していけるよね、と。
そんなわけで講座も開催し、こういう記事も書き続けています。
「自分」という財産を残そう。
そんな話をすると日本人の多くは
「そんな、おこがましい」
と感じるようです。
「自分なんかそんな価値はない」と。
謙遜とか控えめであることが美徳だと教わるからでしょうか。
謙遜がいる場面、控えめがよい場面、というのはあると思うのですが、「自分なんか」という無意識の態度はもはや日本人であろうと何人であろうと不要です。
それは、セルフイメージが低いと良いパフォーマンスが出せない、よい結果を生み出しにくい、というのもあります。
がっ!!
それ以上にっ!!!
その考え方は世界にとってよろしくないと思うんです。
例えば「私は価値がない人間だ」と思っているとします。
その私の夫って「価値のない人と結ばれている人」になります。
私のお客様も「価値のない人にヒーリングやコーチングをしてもらっている人」になります。
私の友達は「価値のない人と気が合う人」になります。
Oh, No! じゃないですか?
「価値のない人に好まれる犬」
「価値のない人に住まれる家」
・・・とまあ、相手は人に限らずどこまでも負の連鎖が・・・TT
「私」は独立した単体ではなくつながっているのでね、「私なんか」って下がっちゃうと世界が連動して下がるんです。
逆に「私は価値がある」と思っていれば
関わる存在は一斉に
価値ある人の夫
価値ある人から学んでいる人
価値ある人と気が合う人
価値ある人間に好まれる家
・・・・という風に、連鎖的に価値があがります。
まあ、価値もまた幻(人々の思い込み)なのですが、だからこそ、
私は素晴らしい存在だ
って思ってていいんですよね。
世に残すべき財産をこの脳内で、この心の中で育んでいる、と思ってていいんです。
そうすると、学びや経験に対して積極的になれます。
何を学び、何を経験したらいいのかも見えるようになります。たくさん。
そしてその優先順番も見えるようになります。
自分という財産を残すべき相手も見えてきます。
ちなみに、
よいマインドとは
・あきらめないマインド
・抽象的に考え具体的に落とせるマインド
このマインドをベースに運用される資産は
・知識
・経験
その恩恵を受けるのは自分自身、関わる人々、そして社会の人々です。
現在からずっと未来までまたがって。
自分という財産に投資して、世に残していきましょう。
ほんの些細なことを少しからでも大丈夫。^^
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?