第15回 ここから何か生まれるかも会議
ここから何か生まれるかも会議とは
2018年6月にスタートした公開小説編集会議です。略称は#ここ何。
今回で15回目、2020年はお初の会議です。
■会議のメンバー
コルクの佐渡島庸平さん(サディ)、佐渡島さんが小説を書かせたい!と思っている渋谷のカフエマメヒコのオーナーの井川啓央さん、お二人の友達のバラエティプロデューサーの角田陽一郎さん、そして、お越しくださったお客様です。
あ、申し遅れました。僕は、このイベントの幹事となんちゃってMCの辻貴之です。よろしくお願いします。
■やること
みんなで井川さんの書いた小説を読んでその場で感想を共有したり、サディからプロの編集の意見をもらったり、角田さんからフォローのコメントが入ったり…の2時間です。今までに合間に出てくるマメヒコの美味しいご飯とコーヒーもお楽しみの一つです。今晩はオムライスでした。
今宵のここ何は…
ということで、2020年初のここ何。
唐突にサディがコーヒーを淹れはじめました。
サディは、コーヒーが飲めませんでした。しかし、昨年10月のここ何で「コーヒーが飲めるようになった」とカミングアウト。聞くと、知り合いの社長が淹れるコーヒーが美味しかったそう!
飲めるようになってからは、井川さんにコーヒーの淹れ方を学び始め、マメヒコのカウンターで実践するくらいの勢いとなりました。今や、家には道具がたっくさん!…ということで、サディ不在で話がスタート。ここからは、コメントした人と、そのうちの金言をお裾分けします!
井川さんの近況と2020年のここ何
■井川さん
(サディがコーヒーをいれている間に)
ここ何を始めて、まもなく2年になる
ここから何か生まれただろうか?もちろん、生まれた
佐渡島一家が井川さんに入り込んできた
これも新たに生まれたもの
角田さん、辻さんもマメヒコで日々見かけるようになった
という中で「ここ何」は続ける
以前のように毎月短編小説書いて持ってくるのは、ちょっと違う
今書いてるものは長編。現時点で4万字。ここで約3分の1。
世界が広いので楽しい。
今までは「1ヶ月で書き上げる」という制限があったから狭かった
今は、書いてること自体がモチベーション
読んでもらわなくてもいいわけじゃないが…
なので、毎月開催する「ここ何」と「書くペース」が合わなくなってきた
ということで今日は、「ここ何」で何をするかを考えることから始めたい
このように、会って何か話すのは続けよう
「今」のことを、文学的なことを絡めて話す時間にしよう
お客さんをどのように呼ぶか?
佐渡島さん、角田さん、辻さんのコミュニティの人を呼ぶのはどうか
(ここで佐渡島さんのコーヒーが出来上がる。佐渡島さんめっちゃ嬉しそう
「お湯を注ぐスピードがねえ(ニコニコ)」)
転生ものとBL好きは未来を生きる人
■佐渡島さん
今と文学、といえば転生ものとBL(ボーイズラブ)好きは、未来から来た人だと思っている
■井川さん
BLってなに?
■河村さんが解説
男同士の関係性を勝手に妄想して楽しむ。視点は壁もしくは天井。自分を全く介在させない。わたしゃ好かんが。わたしゃ自分をめっちゃ介在させながら作品を楽しみたい。
■佐渡島さん
BLは自己投影しない。読んでもひとつも反省しなくていい。
BLはネコ動画に似てる。見てる人は自分がネコになりたいわけじゃない。
風景として癒やされる。
ゲーム実況も同じ
ゲームを作る人が1、やる人が10、実況する人が100、見る人が1000くらいの割合
ゲーム実況に、書き込みをするだけで感謝される
さらに書き込みを被せることで「コミュニケーション」が生まれ、居場所ができる
このように「攻撃されない」状況が求められる
これからのコンテンツは、こうしたインタラクティブが大事
■角田さん
ゲーム実況動画も似てるよね
■井川さん
BLや異世界転生系(なろう系)は来世救済型なんじゃないの?
■佐渡島さん
自堕落な人が増えたらそこにマーケットが発生する
■井川さん
我々はそれをやらない
■井川さん
こういう傾向が進むと寂しい人が増えるんじゃないか
ここで「法の内/外」の話
法の外がセーフティーネット、居場所になる
法の外っていうのは要はスナック、おミヨさん、ヨシノ
大手カフェチェーンがサードプレイスって自称してるけどそれは違うと思う
だって、システム化してるから
システム化されたエンタメは(多くのBLや異世界転生モノは)法の内のモノ(課金が必要なモノ)結局はヒトを癒せない
■佐渡島さん
井川さんの言う「法」は「資本主義」と近いのでは?
世間では知らない人にギフトをするとややこしい、うさんくさい
なので理由が必要になっちゃう
でもマメヒコは理由なしにギフト的なことができる
コルクラボもそうかな
(ここでマメヒコのコーヒーを飲んだ角田さんがひとこと
「こっちのほうが(佐渡島コーヒーより)うまい!」)
コミュニティの規範のあり方
■井川さん
ある日の公園通り店でのヒトコマ
お店のクッキーを突如食べ始めたお客がいた
ある店員「食べんなよ」
客「じゃあ食べんなって書けよ」
ある店員「じゃあ来んなよ」
…という、やりとりがあった
それって決まりなんですか?と聞く若い人が多い
■角田さん
ボクはサードプレイスが嫌い
だって、言ってもそこに規範があるじゃん。
縛られてる気がしてイヤッ!
結局法の内外どっちもおんなじじゃんッ!(若干のスネ顔)
■井川さん
ホントはそうじゃないでしょ。角田さんそれは詭弁だよ。
マメヒコでは角田さん来たらソファ席通すじゃん。
そんで角田さんソファ座って「あ~~~」ってなるじゃん。
そういうのはいいでしょ?
■角田さん
うん。そういう規範は気持ちいい。
■佐渡島さん
マメヒコの店員さんもさ、角田さんがクッキー食べても怒んないと思うよ。
(角田さん「そっかあ…」)
■井川さん
言葉は記号に過ぎないのに、言葉が全て、定義が全てと思う人がいる
たとえば「お客さんの目を見て」と指導しても、言葉通り「目を見る」だけ。言外を見てない。
■佐渡島さん
資本主義では、人が規範に合わせる
これからはパーソナライズされてくる
井川さんから見た、角田さんと佐渡島さん
■角田さん
ボクは拡散型なんですっ
■佐渡島さん
拡散型はワクワクしたい人新しいことをやりたい人、その逆は保全型(安心したい人)
■井川さん
角田さんはロマンチストだよね
内在と超越
角田さんは両方持ってる
角田さんの中に角田少年(超越)と角田おばちゃん(内在)がいる
角田少年は学校の屋上で夕日を見ながら自分が何故生まれてきたかを問う
角田おばちゃんはクーポン大好き
どっちの面の角田さんと話すかで話全然変わっちゃう
■satomiさんの補足
哲学者フッサールによると、人間が日頃、世俗的に関わりあっていて、感情的にも、行動的にも、そこに絡め取られていて、そこから抜け出した考えを持つ事が出来ない状態から離れ、全く別な視点を持つこと、世俗的な日常世界から抜け出して、全体的な(俯瞰的な)視点を持って考える事を、「超越」と呼んでいる。そして、世俗的な世界に絡め取られている状態を、「内在」と呼んでいる。
現場は、「内在」である。現場では無数の事象が発生しその処理が大変。だから内在がぜったい必要。でも内在だけだと、そこに「安定」はあるが「進歩」はない。そこで「超越」が必要になる。
■井川さん
佐渡島さんは理解不能
唯一わかるのは自分の成長に関心があるということ
他人の成長を自分の成長と思えるのはいいとこ
■佐渡島さん
なるほど
海外にはこういう人いると思うよ
■井川さん
自分に近いなと思う人は今までいた?
憧れの人はいた?
■佐渡島さん
マンデラ、ガンジー、ブッダ
■角田さん
ボクは中二の時にマクロス、ナウシカ、ビューティフルドリーマーに触れた。佐渡島さんは南アフリカに触れた(佐渡島さんは中学の3年間を南アフリカで過ごした)
■佐渡島さん
中学の時に曽野綾子のエッセイ本を読んだ。
その中のエッセイの一つにこんなのがあった。
”明治時代、長野のとある村で流行り病があった。
ヨーロッパで疫学を学んで帰ってきた学者がこう言った
「この井戸水がウイルスで汚染されてる。飲んじゃダメだ!」
その学者がどうなったか
「お前が井戸に毒を入れたんだ」
と村人に責められて殺されてしまいましたとさ”
佐渡島少年はこう思った
「「「これは未来の俺だ」」」
■井川さん
みんなにわかるように伝えようとは思わないの?
■佐渡島さん
え、緊急事態じゃん。早く言いたい。
自己肯定感の低い人が増えている
■井川さん
「おにぎり握ってよ」と言われても握れない人が多い
なぜか?料理が上手い人からの評価が気になるから
コンビニで売ってる100円のおにぎりと比べちゃう
私なんてもうダメだ、握れない…と言い出す
■角田さん
そういう子いる。
オンラインサロンってあるじゃん。あれって麻薬だよ。
夢を与えて、やった気にさせて、それだけ。
そこ出身の子をアシスタントにしたことがあるんだけど、厳しかった。
「なんかやりたいんです」って言うんだけど、実行できない。
そして「私なんてもうダメ」と言って辞める。
■井川さん
じゃあおにぎり握れない人はどうすんのか。
マメヒコは法の外。これが救いになるんじゃないか。
■角田さん
法の外っていうのは検索の外ってことだ!
■井川さん
そうそう。
マメヒコは法の外。自由度が高い。
だからこそ最初に言ったように佐渡島さん、角田さん、辻さんのコミュニティーの人たちを呼んできて、自由度が高い中でなにかやる。実際にこういうのがあるというのが希望になる。その文脈を理解している人に、小説をとどけい。
さいごに
いかがでしたか?
これからの「ここ何」は、井川さんの書いた小説の公開編集会議を行うこともあると思いますが、「今」を「文芸的」に語り合う中で、「何か」生みだす場、となりそうです。
その場を共にするのは、井川さんの「カフェマメヒコ」のお客様、サディの「コルクラボ」、角田さんの「ICUC」、辻の「コミュラボ」など、日常を共にするコミュニティの仲間をはじめとする、「法=検索の外側」で語り、動くことに心地よさを感じる方々です。あなたもよろしければ、ご一緒に!
そして今宵のnoteの原案は、レギュラー参加者のSatomiさんがまとめてくれました。ありがとうございました!