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ぶっつけ本番。1回きりの、最初で最後の人生を生きる私へ。


久しぶりにnoteを書く。

元恋人と別れてからというもの、SNSが滅法苦手になった。

基本的にインスタは猫か赤ちゃんのリールしか見なくなり、サブアカウントでさえも投稿はほとんど止まっている。あれほど自分に向けてたくさんメッセージを残してきたけれど。それでも。

Twitterは知らぬ間にXになっていたが、それまで何も感じなかった投稿が急に嫌になり、インディーズの漫画家の作品を拾ったり、美味しそうな自炊の画像を拾ったりするようになった。

自分から発信することが、なくなった。

それはこの8ヶ月の間に、
言葉が持つ力と、
言葉の曖昧さと、
言葉の頼りなさを痛感してきたからだと思う。


ものすごく、自分の使う言葉が嫌になった。
思っている以上に、空っぽであることに気づいてしまったからだ。
ビジネスの場に飛び込んでみると、私の言葉は思った以上に通じず、上司の言葉を正確に汲み取り、適切に答えようと慎重になる日々である。

はっきり言って、これまでよりも喋る際に考えることが増えた。ものすごく。

言葉選びはもちろん。
その抽象度や正確性、定義や言い換え表現。
漫然と話せなくなった。
結論ファーストで。要件を先に。内容がわかる切り出し方で…。
考えることが多すぎて、言葉尻や細やかな配慮をおっことしていく日々である。

こんな調子だったので、
誰にもみられることのない、自分と対話するためだけの場所で言葉を綴るようになった。
日記と手帳が、SNSに替わって私の言葉を編む場所になっていた。

けれど、これはなんだかnoteに書きたくなったので、久しぶりに書くことにする。




今朝、久しぶりに元恋人のことを考えた。

今朝は(今いないけど)恋人と仲睦まじくしている夢を見て目が覚めたあと、その夢のあまりの甘美さから、元恋人とのことを思い出したのだった。

別れて半年がやっと過ぎた。もうすぐ私の誕生日がやってくる。
「やっと」と言っているが、実際は「もう」という感じ。
あれから半年も経ったのか。
この調子で1年が経つのを待っている。

別れる時に「私は半年くらいは引きずる覚悟だ」と伝えたのだが、本当に半年経ったあたりから急に、心も体も軽くなった。
あの人との記憶を振り返っても、だんだん味がなくなって乾燥してきていることがわかってきた。

その証拠に、ふと思い出すことがあっても、心が揺さぶられる度合いが日に日に小さくなってきている。
「あ、あの人、〇〇が好きだったよな。」
それきり。ただの事実としてふと思い出されるだけで、そこに解釈や感情が生まれることは減っていた。
失恋に効く薬は、本当に時薬でしかないのだと改めて実感した。

今朝もそうだった。

甘美な夢だったため、久しぶりに憂鬱な気分になった。彼とのことを思い出しては、「もう会うことはない」という現実を何度も噛み締めて、あの頃の自分の決断を何度も疑ってきた。
「本当にいいのか?」
「明日死ぬと分かったら、本当に今のままでいいのか?」
「後悔することにならないか?」
何度もそう自分に問いかけてきた。
気持ちがはやるときもあったが、
「だとしても、今じゃない。」
と答えにたどり着き、日常へ自分を引き寄せてきた。

けれど、今朝は違った。

鬱々としてなかなかベッドから出られなかったので、気持ちを晴らすべくXで漫画を探してみた。
すると、その作品にこんな台詞があった。

「何度思い出しても心が温まるような、幸せな気分になるような思い出をくれて、ありがとう」

あ、これでいいんだ。

そう思った。

これまで何度も彼とのことを思い出しては心が満たされ、それでいて「どうして今は」と、過去と現実を比較してしまうことが多かった。

けれど、「これでよかったんだな」と。
思い出して心が温かくなったっていいのだ、と。
素敵な思い出まで忘れ去ろうとしなくてよいのだと気づき、またさらに心が軽くなったのだ。

そういう類の思い出は、金で買うことができないくらい、それくらい貴重なものなのだと。




彼がいない現実にはずいぶん慣れてきたが、最近ふと「もし彼と出会っていなかったら、どうなっていただろう」と考えることがあった。

あの日あの時、カードを引いて話していなかったら。
あの頃、連絡を途絶えさせてしまっていたら。
あの時、「恋人同士として出かけたい」と打ち明けていなければ。

あの人と、出会わなかった人生は考えられない。

それくらい大きな存在だったのだもの。
1年や2年、いや、3年や4年くらいかかっても仕方がないなと、やっと降参した。
それと同時に、あと3、4年は独り身を満喫するんだろうなとも悟った。
「この失恋は味わい切らないと、あの人にも次出会う人にも、そして私自身にも失礼だな」と。
なんだかそんなふうに感じた。

いつかは結婚したいと思うようになった。
自分の子どもに会いたいと思うようになった。
その子が、愛する人との間に生まれてくるなんて、最高じゃないか。
その子には、私の大切な人たちに会ってほしい、会わせたい、そんなふうに思うようになった。
「お母さんはね、この人たちにとても大切にしてもらってるんだよ。あなたのこともとても大切にしてくれると思うな。」
そんなふうに、今周りにいる人たちを紹介できたら、最高だと思う。

こんなふうに考えるようになったのは、
彼の存在があったからだと思うのだ。
「大切なものを失ってから気づくようでは遅い」ということも、彼との別れが教えてくれた。




2023年11月、もうすぐ私は22歳になる。
毎年誕生日の前後になると、心身ともにダルさが現れたり、うまくいかないことが頻発したりする。
(誕生日クライシスというヤツらしい。たしかに「もう、22か…。」30まであと8年しかないと思うと、少々気が重くなる。麗しき20代が刻一刻と過ぎていく。)

去年はちょうど引っ越しと重なっていてものすごく神経質になっていたし、
中学生の頃は地元の同級生にフルシカトされて「明日、誕生日なのに…」と感じていた記憶だ。
今年はPCの電源プラグを失くしてしまい、充電が29%から増えることのないノートパソコンを不安と一緒に背負っている。マジでどこに忘れてきたんだ。

そして今年は、誕生日祝いをしてくれる人が人生最少人数になるのだと思う。

母が祝ってくれるならそれだけで嬉しい。
私は、母の娘として生まれてきたことがこの上なく幸せなことだと感じているので、絶賛思春期・青年期の兄弟らに祝われなくなった今もなんとも思わない。

けれど、これまでは父と祖父も祝ってくれていたところを、去年からはお祝いしてくれる身内が1人になった。
そんな去年、彼と出会っていなかったら、私の誕生日はきっと鬱蒼としたものになっていたと思う。
父と祖父とを失った悲しみを、ただ一層噛み締めるだけになっていたんじゃなかろうか。
押し寄せてくる寂しさや悲しさに、耐えられていただろうか。
そうと思うと、息を呑む。
誕生日に思い出すものが、全く違っていたのかと思うと。

だから彼が隣にいてくれて、本当に幸せだった。
彼との時間があったから、今年からの誕生日を、気丈に迎えることができるのだと思っている。
それくらい力をくれる、温かい思い出をくれた人は、これまでの人生で1人もいない。
何度思い出しても温かくなり、何度思い出しても胸がキュッとなる、ごちゃ混ぜの淡い感情を初めてくれた人なのだから。
そう簡単に、忘れていいものか。


16の頃から、自分で自分に誕生日プレゼントを贈るようになった。16は青色が綺麗なイヤリングだった。
記念すべき20歳の誕生日には、これから大人の女性として生きていく自分にぴったりの誕生日プレゼントを選んだ。初めて自分で稼いだお金で、初めて自分の体のことを自分で決めるべく、PMS処方薬をプレゼントした。
黄体ホルモンの悪魔に邪魔されない20代は、控えめに言って最高である。
22になる今年は、伸ばした髪をまたショートに戻して、いいドライヤーも買って、お気に入りの服なんかおろそうかと考えている。


されど22、たかが22。

初恋を21にして味わってるのだ、22なんてまーーーだまだ未熟者だ。人間22年目が、30うん年目の上司らの足元にも及ばないと、この一年で思い知らされた。

それに、22歳の誕生日は一度しか来ない。

21歳の誕生日もそうだったし、20歳の誕生日もそう。
23歳も25歳も30歳も45歳も。
それは、どんな四季も。
22歳の秋は、もう二度と来ない。

母に産んでもらえたことに感謝し、
人生が一回きりであることを噛み締め、
今年も一年よく頑張った!と自分を褒め称える。

私は、そんな誕生日を
とても気に入っている。

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