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『終のステラ』感想。人を人たらしめるものとは何か

『終のステラ』をプレイしたので、その感想をざざっと。
以下ネタバレあり。

作品を一言でまとめると、アンドロイドのフィリアが心を手に入れるまで、ジュードとフィリアが「父と娘」という関係性になるまでの物語、と言えるだろう。ありがちといえばありがち、しかも終末世界の一縷の希望というところも含めて、王道オブ王道といえる作品だった。

このゲームのサブタイトルは「Even if humanity dies, the machines we have created will inherit our love and create the future.」である。
このサブタイトルにも書かれている通り、この作品のテーマは「愛」であったと思う。

船に乗る直前のシーン。フィリアはジュードの行動の真意に気づいてしまう。親のように感じていたジュードの行動は、実は仕事でしかなかった。この旅が終われば、2人の関係性は終わり、ジュードはどこかへ去ってしまう。そうなってほしくない、ジュードにそばにいてほしいと思う彼女の思いはまさしく「愛」であった。ジュードもまた、彼女の願いを叶えてあげたいと思ってしまうほど、彼女のことが大切な存在となっていった。しかし、過去の負債があるがゆえ、そんな「甘え」は許されないと、銃を突き付けてフィリアを拒絶する。拒絶されたフィリアもまた絶望し、目的を見失ってしまう。
絶望的な感情へと陥った直後、クリムゾンアイによる襲撃も受けてしまい、状況すら絶望的となる。絶望感に打ちひしがれてしまったフィリアは、もはや歩くことすらできないほどになってしまう。

そこで初めてジュードはフィリアに自分の過去を、心にずっと横たわる負債を打ち明ける。ある意味、初めて積極的にフィリアと心の交流をしたといえるのではないだろうか。

心の隙を見せない人間は強く見える。しかし同時に、動揺が全く見られない人間というのは、どこか恐ろしさというか、冷たさも感じさせてしまう。フィリアから見たジュードはそのように映っていたであろう。そのジュードも、悩み苦しんでいた。しかも、自分のことでも、深く悩んでいてくれたのだ……。それが分かって、フィリアはとても嬉しかったのではないか。分かったところで、絶望的な状況が変わるわけではない。しかし、自分の愛する人も、自分を愛してくれていたのだと確信できた瞬間、フィリアの心に再び希望のともしびが点いたのだろうなと思う。

そして、グロウナー公爵との対峙。
彼が示したフィリアへの役割は、フィリアの思いを踏みにじるものだった。
フィリアは「人のためになるなら」と、受け入れようとする。しかし、ジュードには……フィリアを愛するジュードには、到底受け入れがたい要求だった。
要求をのみこめば、ジュードのもともと描いていた夢にはかなり前進しただろう。しかし、最終的に彼はその命を投げ打って計画を止めさせた。その行動原理は、フィリアへの愛に他ならない。

いったい愛というのは何なのだろうと思う。フィリアの叫びも、ジュードの最後の行動も、合理性のかけらもない。
だが、一見合理的でない愛があるからこそ、人は生きる意味を見出せるのだろう。愛されているという実感があるから、生きていこうと心から思えるのだ。
「父」であるジュードから溢れんばかりの愛を受け取ったフィリアは、その愛を周囲の人に、そしてアンドロイドに与えていくのだろう。その名「フィリア」に恥じない存在として。

王道的で展開も分かりやすいストーリーでありながらも、改めて愛の大切さを語ってくれる素晴らしい作品だったと思う。
また、音楽もCGも世界観にピッタリとマッチしており、面白さをしっかりと引き立ててくれていた。小説では味わえない、ビジュアルノベルとしての面白さがちゃんとある作品だった。ぜひ多くの人に遊んでほしいと思う。

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