等身大の私ってなんだ?ついつい大きく見せたくなるんです。
先日、フリーランスで一緒にお仕事してもらった方が話してくれました。
「もう大概周りにバレちゃうから、自分をよく見せようとしなくなった。
そしたらとっても楽で、楽しくなった」
厳密にいうと言い方は違うかもしれませんが、上記のようなニュアンスです。
じわじわピキーン。
これ私の心の深いところに届きつつあるお話なんです。
先日、お布団が避難場所、安全地帯の記事を書きました。
このお布団に入らなきゃ回復できないくらい疲弊してしまう原因。
もしかしたら、人と接するときに自分をよく見せようとして疲れているのではないかな。
うん、それ匂う。
なんだか、認められたいとか、バカにされたくないとか、褒められたいとか…
だから、ちょっと大きく見せようとする癖ありそうだなと。
まぁ、見せたところで、冒頭の話をしてくれた方の話のように、きっとバレバレなんだろうけれど。
なんで、大きく見せたいのかな。
これ結構昔からある感覚な気がしています。
小学生のころから、調べ学習+発表がすきなんですが、ここで大きく見せたい私が大発動!
いや、それ調べてないでしょってことも、頭の片隅にあったような話を盛って追加してしまうんですよね。
うん、アドリブ的な力はあるのかもですが。
先生とかには、バレバレ。
大学生の時にも音楽について調べて発表した時に、調べが甘いなと思った先生から、ロックの発祥はどこと聞かれて、素直に分かりませんと答えたらいいのに、アメリカですと言ってなかなかドン引きの空気作ったりした暗黒の記憶が甦りました。
※えっ、でも今改めて調べたらロックの発祥英国じゃなくて、アメリカ説のほうが多い?
あれ、間違ってないんじゃ?
まぁ、それはさておき、分からないことは調べてません、分かりませんで良かったかなと。
大きく見せよう、賢くみせようとしてもバレバレで、下手したら信用無くしちゃうことなんだなと頭にはあるんです。
でもでも、魅せたい私がおります。
なんでだろうなって、もうちょっと深掘りしてみたら、結構ここに書いちゃ人格疑われるでしょっていう気持ちがでてきてしまったんです。
人に優劣をつけている。
で、自分はどこらへんにいるか
この人より上になりたい
この人より下にいたくない
みたいなこと考えてるのでは?
おおおお、恐ろしい。
ほんとにこれなのか、こんなこと書いて大丈夫なのか?とか思ってますが、ここスッキリさせて、もういらない、使わなくていい考え方ならおさらばしたいなと感じているモノなのです。
改めて書いてて恐ろしい。
もう一個は、この記事のアイキャッチを選んでいて気がついたこと。
「期待に応えられる範囲です」という言葉に一瞬引っかかったので、なんで?と考えてみたら
「いやいや、期待以上に応えなあかんやろ」
「そやないと喜んでもらえんやろ」
そう思っている私がいたー!!
これもきっとどっかで聞いたり学んだり、そういうものだと掴んだんだろうな。
でも、持っているもの以上なんて出せない。
喜んでもらえるようにって気持ちは大事かもだけど、無いものは出せない。
例え、期待以上を出したと感じたことがあっても、あるもの出しきった感じなのかな。
今持っているものを、嘘ついてまで広げないでいいから、コツコツ私のままでやっていくことを私に教えてあげたい。
今はこのコツコツですら、大変なこととおもっちゃってるけど。
冒頭の話をしてくれた方のように、私はもう私だからなー、それ以上でもなくそれ以下でもない。
等身大の自分で世の中に存在できたらいいな。
今の私の切なる願いかもしれません。
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