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冬至の日の朝思い出したこと

冬至の日の朝、ふと思い出したことがありました。

それは、わたしが生まれた日のこと。

わたしは生まれてくる時に、へその緒が首にぐるぐる巻きになり、急遽帝王切開になって生まれてきたこと、生まれてくるまで生きているかわからないと言われていたことを、父から聞いていました。

その時の、父の気が気でない様子や、無事に生まれてきた時の喜びを聞いていたのですが、幼いころに聞いていたのであまり実感がなかったんです。

ところが冬至の日の朝、なぜかその時の様子をリアルに思い出して。わたしは実際お腹の中にいたのだから「思い出す」という表現は変ですよね。でもその時、父の姿を病院の天井くらいの高さから見ていて、そこからすーっと自分の意識が分娩室に入っていく様子を覚えているんです。

最初、これは父から聞いた話をイメージしたものだと思っていたのですが、これは実際の記憶だったんだな、と思い出したんです。

そう思えた時、わたしが見ていた光景がより現実味を帯びてきました。

母がいのちをかけてわたしをこの世に生み出してくれたこと、そして父が手に汗握り、待つことしかできない中、無事に生まれることを祈ってくれていたこと。

そこにはまぎれもない父と母の愛が存在していました。
その時の光景を「実際に見ていた」ことを思い出したわたしは、生まれる前からとてつもなく愛されていたんだということを体感として思い出したんです。それはそれはとってもしあわせな朝でした。


その日の冬至点(12時27分)、わたしは運良く氏神さまで迎えることができました。


冬至点時刻、太陽エネルギーが力強く境内に降り注いでいて、その光溢れる中、今朝思い出した記憶への感謝と共に、氏神さまにご挨拶させていただきました。

今年の冬至点は首里城の南中時刻とも重なっていたようで、なんともパワフル。

これから日に日に太陽エネルギーが増していきます。そんな中、愛されていることをもうひとつ深い部分で腑に落とすことができました。そのことを携えながら目の前の人の心に愛の火を灯していけるように在りたいなと思いました。

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