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「自分」というものを何よりも尊重する安田章大の生き様を参考にして「生きる意味」を見出す

 ジャニーズについてひたすら語るこのnoteを始めて早1ヶ月.ライター(?)としての知名度が無名だったボクの雑多な記事が早い段階で拡散され,始めてからこの30日ちょいで5万アクセスもしてもらって,読者の皆さんには本当に感謝しています.ありがとうございます🙇‍♂️🙇‍♂️

 リリース3記事目「模範としての中居正広<弱さと魅了>」にして,中居くんファンによるリツイートのおかげで計50リツイート以上をまわったのを皮切りに,「男・岩橋玄樹の魅力を,タメの男オタ/ジャニーズ研究者の目線で語る」や「SixTONESのエモさを言葉にしてみる」,「山下智久ってなんでこんなにも尊敬されるの?」など,150件以上リツイートもまわる記事を複数出すことができて,今まで感じたことのない気持ち良さと緊張感を味あわせてもらっている昨今..... ボクはリツイートとか拡散とかPVとか関係なしに,どうしても書きたい人物がいた.

 ボクが今回どうしても書きたかった,その人物というのが,関ジャニ∞・安田章大である.これまでのnoteの中で何回か言及しているが,ボクがエイトにハマったのは2008年の「無責任ヒーロー」であり,実はいわゆる「担当」というのはずっと安田章大なのだ.

 彼のおかげでボクのなかで新しいタイプの「かっこいい」の門が開かれたといっても過言ではない.それまでは木村拓哉とか松本潤とか赤西仁とか山田涼介とか,基本的には「ザ・かっこいい」とも言い表せるような王道を走るメンバーを好んでいたボクにとって,ヤスとの出会いはとてつもなく大きく,それによってボクの美的センスや趣向もガラッと様々な方向へと変わっていったのであった.

 今日はそんなヤスという,1人の若者の男性の価値観をガラッと変えてしまうほど強い個性,考え方,内面について振り返ってみたいと思う.

「自分」を音にのせて表現をする匠

 ジャニーズアイドルの本業でもある音楽パフォーマンスの観点における安の特徴として「高音が伸びる安定・正確・高い表現力をもった歌唱」「小さい体を大きく使い,パワフルな振り付けから繊細で細やかな動きまで,人の目をひくポテンシャルの高いダンス」「歪みをきかせたロックも,アコギ一本のミディアムバラードだっていけちゃうギターパフォーマンス」が挙げられる.作詞作曲だってお手のモノだ.音楽におけるどのパフォーマンスをやらせても,彼の卓越した能力は容易に見出すことができ,音楽・トークバラエティ「関ジャム」では他のメンバーより高い頻度でプロのバンドマンたちとコラボセッションする機会が多い.

 音楽を身体や道具(ギター)を使って表現するだけでなく,自身の音楽を具体的な音にして人々を楽しませることも彼にとってはそんな無理な注文ではない.「わたし鏡」という甘々なラブソング,「『って!!!!!!!』」にみられるゴリゴリなロックや「Dye D?」という"かっこいい"に全振りしたダンスナンバーから「夜な夜な☆ヨーNIGHT」というおちゃらけソングまで,彼の振り幅はめちゃくちゃ広い.

 他にも彼が全てを手掛けた楽曲はもういくつか既に発表されており,関ジュ(関西ジャニーズJr.)にも楽曲を提供したりしている.安が手がけた曲をざっと考えてみるだけで,彼に作れない曲なんてもはや存在しないのではないかとさえ思ってくる.少なからずJ-POPの範疇において彼は無敵なのだ.

 作曲もさることながら,その曲を演出する能力(歌/ダンス)においても彼のそれらの能力というのはかなりずば抜けている.最近ボクが彼の歌唱を聴いてとてつもない感動を覚えたのは「Street Blues」の冒頭における安のパートであり,これはeighter(関ジャニ∞のファン)の間でもかなり評判が高い.

甘いセリフと甘い吐息で
君を酔わせて
呆れる程に俺だけを好きにさせても
いいよね?
少しだけ時間(トキ)をくれないかい?
強がりを越えて
揺れる心も身も預けて
時計を外した

 それこそ,「わたし鏡」というまさにアイドルがつくったような(実際そうなのだが)ラブソングを歌っていたときの安を考えると,その振り幅になんとも驚かされる.メンバー紹介ソングでもある「TAKOYAKI in my heart」で語られる安とも大きく違い,たかだか一画面くらいの文字数で安を簡単に定義することはできないのである.

はい!
大阪といえば おしゃれ発信地 アメ村 堀江
《梅田 船場》
おしゃれ番長も 青くなるような
個性的な 着こなし したるで
《おしゃれゆうても スカート はくとか》
《やっぱり あいつ あっち系ちゃうか?》
おしゃれゆうねん あっち系ちゃうわ どっちかちゅうと こっち系

  安を語る上で彼のギターパフォーマンスも無視することはできない.エイトが持つ独自の武器として「バンドスタイル」があり,これは1グループのアイドルがおまけ程度にやっているのではなく,バンドフェスに出演したりそのスタイルに特化した番組が作られたりするなど,その道のプロも認めるほどである.そのなかでも楽器隊としてメンバーを引っ張っているのが安なのである.

 ボクが初めて彼のギターパフォーマンスに対して真面目に耳を傾けたのが,2009年の「PUZZLE」ツアーにおける「band bridge」という大倉のドラムと丸のベースと,そして安のギターによる楽器音のみのセッションだ.そもそもジャニーズでこれだけ高いクォリティーで楽器を弾けるのはTOKIOくらいだと思っていたため,その点でも驚いたというのもあるのだが,特に安に関しては,当時ボクがそれまでに知っていた彼のギターパフォーマンスは「fuka-fuka love the earth」というゆったりとした優しい楽曲の中でのそう複雑ではない演奏くらいであったことから,ロック調のこのセッションには本当に驚かされた.

 彼の影響でギターを始めた中1の頃のボクは,先述の「fuka-fuka love the earth」をはじめ,「BJ」や「Heavenly Psycho」,「ミセテクレ」「愛に向かって」などをよく弾いていたものだ.中学生の男子が当時よくハマっていたワンオクやBUMPとは違い,これらの曲を分かり合える同性の友達もいなかったため,誰かとエイトの曲でコラボを組んだことはないが,1人で楽しくこれらの曲を弾いていたことを今でも昨日のことのように思い出せる.

 こう彼の音楽的資質を振り返ってみると,安は自己表現が本当にうまいなーと思わせられる.自分の個性というものを音楽に載せる能力はズバ抜けており,そこに至るまできっと多くの努力を要してきたことだろうが,あまり「苦労」というものは人に見せず,まさに「音」を「楽」しんできた結果として今の彼の音楽というものがあるような気がする

 自己表現という点でいうと「音楽」と同じくらい無視できないのが彼の「ファッション」である.ボクのこれまで生きてきたなかで得てきた美的センスに,安の影響というのは計り知れないものがあるため,彼の「ファッション」というものについて次では考えていきたい.

「己」のセンス[感覚]を最優先させる姿

 ボクが大学院で研究する学問分野である文化人類学であったり社会学であったり,メディアについて勉強していると,人々の美的センスなどといった主観的な要素というのは本能的にというよりも外部からの力(例えばメディア)によって形成され,場合によってはそれが恣意的に方向付けられてしまうこともしばしばあるため,その威力にだいぶビビる.

 特にその影響は中高生に受けやすく,たとえばメディアが「かっこいい」と評するモノに対して「これはかっこいいものなんだ」と頭にアジェンダセッティングされ,それに該当しないものに対しては「かっこよくない」とネガティブに捉えてしまうこともしばしばあるように思える.若かりし木村拓哉が全盛期を迎えた90年代にいわゆる「ロン毛」が男性を中心に広まったが,当時はそれが「かっこいい」の対象であったために広がったのであり,今の風潮を考えるとあまり考えられないものだ.

 芸能人はオーディエンスのマジョリティーに寄せたほうが好感度や近い距離感を持たれるため,その潮流に乗っかったほうが無難だ.しかしながら,安のファッションや髪型を見ていると,外部からのセンスというものに惑わされず,本来的に持ち合わせている自身の感覚というものに従って,自由に自分のアピアランスを世間に提示している印象を受ける.

 まあ簡単にいうと,安はいつまでも安なのだ.今でこそメンズの間で流行する髪型は「マッシュフォルムのくしゃ髪ブラウン」や,直近でいうと「ショートとミディアムの中間くらいのセンター分け」だとボクのアンテナは言っているのだが(間違ってたらごめんなさい),そんなのは彼にとって全く関係ない.

 あるときはナチュラル目な黒髪の短髪スタイルのときもあれば,ミディアム〜ロング中間あたりのゆるやかなパーマのかかった黒髪,茶髪の左流しミディアム,金髪のもこもこ,頭部ほぼ半分刈り上げの,半分金髪パーマ,くしゃ髪モヒカンなどなど,多岐に亘る.容易に受容できるかっこいい髪型,かわいい髪型,無難な髪型から,なかなか受け入れ難い独特な髪型まで彼の美的センスにおける範囲は計り知れない.ボクが個人的に思う彼の1番の魅力というのは,まさにこの点である.

 普通,他人(ひと)から「それ変じゃない?」とは言われたくないし,規範というか基準みたいなものはなんとなくその時代その時代に決まってる感じもするし,それもそれでかっこいいため,大多数は無意識か有意識か分からないが,その基準たるスタイルへと無難に向かう.

 けれどもよく考えれば,他者の言う「変」というのはその人の世界観で言ってることてあり,己の世界観では「良い」とされているのであれば,そりゃ己の感覚を誰しもが優先させたいことだろう.「とはいえ...」というビビリ的要素が働いてしまうのが関の山な感じがするが,安はまさに己の世界観を1番に優先させているように思える.

 理由はよく分からないが,ボクは小学6年生くらいのあたりから人と違うことをするのがめちゃくちゃ好きで,「なんでみんな同じことをするんだろう」となんとなく疑問に思ったりもしていた.その矢先に金髪のモコモコという独特なスタイルでかっこよくエレキギターを弾き,東京ドームのステージを駆け回る彼の姿であったり,バラードを歌う姿,ハッちゃける安の姿はボクの感性にグサッとヒットしたのである.「人と違うのが好き」というボクの趣向がまさに確信へと変わったのだ

 髪型のみならず,身に付ける衣類までも個性的で「奇抜」とまでいわれる安のファッションの趣向もまたその範囲が計り知れない.今の若者の間ではモード系が1番無難でありながら1番カッコいいとされているが(「クロニクル」で言ってた),安はサルエルパンツを履いたりダボっとしたアウターを羽織ったり,オーバーオールを着たり,時によってはスカートをはじめとしたレディースファッションも着こなしたりもする.安のことをエイトの中で1番に推しているとはいえ,ボク自身のファッションのなかに例えばオーバーオールを取り入れたり,スカートを取り入れたことはないが,彼のその逸脱性というか,他の人からの声なんて気にもしていない感覚はボクのなかで非常に大きな発見となったのは胸を張って言えるのである.

今のボクが今の安に思うこと

 短くも以上に述べてきたように安の音楽とファッションを通じた自己表現によって,ボク自身の美的センスの幅も広がった経緯とボクの目線から見る安の魅力について語ってきた.

 安が脳の病気を抱えてしまってから彼の風貌はガラッと変わり,昔は基本的に「かわいい」というベースが根底にあった彼ではあったが,今では無精ヒゲをたくわえ,色付きのついたサングラスを常時かけ,おでこを出した無造作パーマヘアーというどちらかというとワイルドな「おっさん」に近いスタイルをとっている.

 Twitterや様々な掲示板をみると,今のスタイルにはかなりの賛否両論が存在しているが,そんな彼を反対する権利は,少なからず自分の中には存在しないと考える.というのも,これまでに語ってきたように,ボクにとって彼の1番の魅力は「自分の感覚[センス]を最優先し,それがたとえマジョリティーからの逸脱であったとしても全く気にしない」という彼の世界観であり,そこに惚れているのだ.

 安は髄膜腫による開頭手術を行ったあとに,その際にできた手術痕を剃り込みかのようにあえて目立たせる髪型を施し,ファンを驚かせた.それまでの安の感じとガラッと変わり,今のようなワイルドな風貌の先駆けとなる彼のその髪型は,かっこよさという次元を超えて「生きている」という生命の息吹をボクは感じた.風貌が変わっても,心はピュアのまま変わらない彼だからボクにとっては好感度が下がるどころか,また新しい彼の一面を見れてさらに彼のことを好きになったのだ.

 「自分の個性を出して生きたいけど,なかなか...!!」て方はぜひ安の生き様を見てほしい.誰よりも今の人生を自分らしく楽しんでる彼を見ていると「かっこいい」という印象はもちろんだが,自分の「生きる意味」が見出せる気がする.彼の奇抜さは特段マネする必要はないけれど,それを躊躇なく取り入れられるだけの心の度量はあったほうが,自分の人生を自分らしく生きられるのではないか.

 今後40代,50代へと歳をとっていく彼の姿をぜひとも追っていき,また新たな安の姿をこの目で見つめていきたいものだ.

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