サッカーはあなたに何をもたらしましたか?
はじめに
自分がサッカーと共に育ってきたため、テーマはサッカーになっているが、この文章で述べる事はチームスポーツ全般に言える事であると感じる。
個人スポーツはした事がないので分からない。笑
Twitterで体育会人材について述べているものを見たり、現在参加している鎌倉インターナショナルFCで後輩と話したり、就職活動をしたりする中で、
「サッカーをする」とはどういう事で、自分にどういう影響をもたらしたのかを最近よく考える。
なぜか??
自分は”サッカーをする”という行為の目的を”プロ選手になる”と置いて励んできた。
サッカーをするのはプロになるためであった。
しかし多くの人はこの目的を果たせずサッカー人生を終えてしまうのは現実にある。
プロになるという目的を果たせなかった時、大事なのはその目的を目指す過程で何を学び、それをどう社会に生かすかという事だ。
今まで費やしてきた10数年が今後の人生に全く影響しないなんてあるわけがない。
じゃあどう影響するのか。サッカーから何を得て、それをどう社会に生かすのか。
この文章は、その点に関して私が今感じている3つの点を述べている。
今、精一杯サッカーに打ち込んでいる人に読んでもらいたい。
苦しい状況を乗り越えてきた経験
一つ目に挙げられるのは、間違いなく「苦しい状況を乗り越えてきた経験」だろう。
これは説明する必要もないかもしれないが、フィジカルトレーニングで陸上部かと思うくらい走る時、外すと負けてしまうPKを蹴る時、ライバルの活躍をスタンドから見る時、人それぞれ苦しい、きつい状況は違うが、誰もが通る道だ。
それほどの経験をしているのはなかなかいないんじゃないか。
(自分の中の1番苦しかった経験は、大学サッカーに入部して1か月の間ボールに触らず走り続けた事。もうあれほどきつかった事はないし、それと比べるとどんな事も乗り越えられる気がする。笑)
人との関わり合い
二つ目は、人との関わり。サッカーをしていたからこそ出会えた同期、先輩、後輩。関わる人は幅広くなるし、付き合い方も学ぶ事ができる。
これは社会人の方から聞いた話だが、
「体育会出身の人は上司に可愛がられやすいし、人付き合いが上手い気がする」と話していた。
もちろんその方の主観的意見である事は間違いないが、このような意見を持つ人も多いのではないか。
鎌倉インターナショナルFCでも、サッカーをやっていたからこそ、普通はなかなか出会えない尊敬する人達に出会えた。
そして海を渡ると、なんと
サッカーは言葉になるのである。
ほとんど英語が話せなくても、シャイな性格でも、サッカーさえあれば自然と周りには友達ができている。
サッカーを通して友達の輪が広がり、サッカーを通して仲を深める事ができるのだ。
このようにサッカーをする事は、人との出会いや良い関係の築き方を自然と与えてくれる。
論理的思考力
最後に挙げるのが今回一番大事な点で、それは「論理的思考力」だ。
なぜ大事かというと、必ず経験する上記の二つと違い、これは意識しないと学べないものな気がするからだ。
(そして私はそのチャンスに気づかず過ごしてきたと思っている。だからこそ今文章にして伝えたいと思っているのだが、)
そもそも論理的思考とは何か。
就活をしていると本当によく出てくる言葉というくらいは知っている。おそらく社会に出ても必要なのだろう。
Wikipediaには、
「一貫して筋が通っている考え方、あるいは説明の仕方の事である。」
噛み砕いていくと、
なぜ筋が通っていないといけないのか。
相手を納得させて、説得しなきゃいけないから。
なぜ説得しなきゃいけないのか。
自分の意見を通すためか。
あれ、これってサッカーのシーンでよく出てこないか?
監督に自分を使った方がいいと話に行く時、チームミーティングの時、戦術についてチームメイトと話す時、
もちろんサッカーの知識は必要だが、それを話す時に論理的思考は必要だ。
このように論理的に考える事は社会にもサッカーにも必要だが、
私がこの共通点に気づいた理由は一つ。
サッカーというチームスポーツに”主体的に”取り組むようになったから。
例えば
チームが上手く回っていない時、他人事ではなく自分事として考えるようになる。
街クラブという発展途上のチームに所属し、自分の意見をチームに反映させたいと思うようになる。
チームが勝つために自分の考えている戦術を口にするようになる。
仲間を鼓舞するために自ら発言するようになる。
こういった行動に出るようになった。
そしてここでこう考える。
日本語をどう使えば仲間に響くのか。
どういった態度で話せば仲間を説得できるのか。
自分の考えは問題は解決するために合っているのか、つまり論理的に正しいか。
これは社会に出ても絶対必要、であろう。
(まだ社会に出ていないから”であろう”としておく笑)
ここからは想像だが、社会に出ても意外とシンプルで、
日本語をどう使えばお客さんに響くのか。
どういった態度で話せば会社のチームを説得できるのか。
自分の考えは顧客の問題を解決するために合っているのか、つまり論理的に正しいか。
こう置きかえられるのではないか。
実は
スポーツ≠社会 → スポーツ≒社会
なんじゃないか。
そもそも、この文章を書くきっかけになったのは、社会人の方の続きの言葉にある。
「T大生は頭も良くて、文章力もあって、体育会学生とお互いに持っていないところを羨ましがるんだよねー」という言葉だ。
これも本当に主観でしかないと思うのだが、
「じゃあスポーツバリバリやってきて、人を説得する頭も持っていたら最強なんじゃないか」と私はこの時思った。
終わりに
つまり言いたい事はこうだ。
サッカー学生が主体的にチームに取り組み、人を説得するためのトレーニングを始めたら、サッカー人材の価値と共にサッカーの価値までも高まるのではないか。
サポートして頂いたお金はアメリカで誰もしたことがないような経験と挑戦をする為に遣わせていただきます。どのように遣わせて頂いたかはnoteで必ず紹介します。よろしくお願いします。