気持ちに向き合うこと



中高生の頃は、自分の気持ちに割ける時間が多かった。

本当は勉学に勤しむべきだったんだろうけれど、怒涛の思春期に自分や友人の為の時間を持てたことは、それはそれで良いことだったと思う。

とはいえ、毎日課題をこなす生活に慣れていないから、時々不安になる。

当時は寝る間も惜しんでゲームしたりメールしたり漫画読んだりして、授業中に眠ってしまうことも多かった。

そんな自分が8時間以上の労働に耐えられるかどうか、今も自信がない。

みんなが当たり前にしていたことが出来ないという、自分への認識。

これは決してネガティブなだけでなく、自分への評価である。

うっかり正当な(社会的になんとなく認められる)学歴も得てしまったものだから、世間は私を、単なる「こなしてきた人」と見るのではないか。

実は一般的な会社員の生活に向いていないのではないか。

向いてないはまだぬるい、会社員として生活する実力がないのではないか。

どこかでガタがくるのではないか。

会社に勤める今も、今だからこそ、懸念は尽きることがない。



朝から仕事についてネガティブなことを考えると生産性が下がって本当に不調が出てくるらしい。

私としては、ネガティブなイメージというよりは、あくまで公正な自己評価を語ったつもりだ。

しかしこれをネガティブな要素とするならば、ポジティブな面を見ておかなければならない。

何事にも適切な良い塩梅というのがある。




現在の職場は時折、本腰を入れた傾聴の姿勢が重要になる。

一日に何人もの人を相手にするので日々勉強だ。

予想外に時間がかかったり、相手の求めるのと違う回答を返してしまったり、全ての人間、全ての状況に対してその数だけの答えがある。

他の接客業以上に、相手を慮ることを要する(と思う)。

ビジネス目的や購買意欲を高めるといった明確な目標がこちらにないからではないだろうか。

相手は自分の辛い状況を改善したいという思いだけで来院する。

どうすれば改善するかの答えは、事実患者さんが持っている。こちらから提案するのもまた、患者さんの妨げとなってしまう可能性があるのだ。

そこまで毎回繊細な配慮を要する現場ではないのだが、とはいえ、きちんと気持ちを聞いて、理解を示して、そういったことに多少時間を割いても良いような、そういう職場なら。

時間との勝負になることもかなりあるが、私の経験も、多少は思いとしての役には立つかと、考えるのである。





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