時間と体験が気持ちを解いていく

私は自責的にものを考える癖がある。

物事の原因のどこかに自分が関わっていないか常に気にする。

自分の関係ないところで起きたこと、自分ではどうしようもなかったこと。

それらが自分の手を離れることに我慢ならないのかもしれない。

把握しておきたいのかもしれない。

どだい、無理な話だが。

全知全能の神でもなければ、全てを把握するなど出来っこない。

知らないことを教わったら、知ったことを喜ばなければ。

教えられたことで「知らなかったこと」にショックを受けている場合ではない。

理想論は理解している。

ちなみに落ち込んで見えるが、多少ずれたことも同時に考えている。

そんな当たり前のことにもまた、時々落ち込んだりする。

面倒くさいなあ、私は。

つまりはこれ、全部私の凝り固まったところ。こだわり。頑固さ。そんなものだと思う。


とはいえ時間をかければゆっくり全部消化して、反省として次に活かしていけるのだ。

諭されていることと、別のことを気にしているのは問題だけれど、その場の色々な情報についてを考えているのだ私は。

これはもしかして、1を聞いて2、3くらい学べるチャンスかも知れない。

そういう可能性に今になって気が付いた。

頑固さ、ではあるけれど、頑固さに伴った思考の柔軟さもあるのかもしれないぞ。

調子に乗ってきたようだ、私。

1を聞いて色々思いを馳せればその分また、新たな問題も浮上するし、頭は常に悩まされていることになる。

時々うまく忘れて休もう。

大丈夫だ。理由は分からないけれど。

大丈夫だ。のんびりやろう。

これが私のペースなのだ。

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