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決して作家を諦めない編集

私の投稿出世作「デコレェション」

≪あるケーキ屋に車いすに乗せた少女を連れて喪服を来た女性が現れる。
「この子はケーキが大好きだったの。この子のためにケーキでお葬式をしてくれませんか」。
車いすに乗ってた少女は、死んでいた。≫

こんなイントロから始めるキテレツ物語。
描き始めて間もないころ某誌で期待賞貰った時の講評が上記の写真。

ほぼ私の漫画人生全てを表してる講評だな、と今見ても思う。
道のり困難な匂いのする作家人生の始まり。
色んな編集にさじを投げられながらも、支えてくれたのも編集たちだった。

私を支えてくれた4人の編集

関わってくれた編集は投稿から数えて、記憶にあるだけで20人以上。
もちろん相性が良い人、悪い人もいた。

そんな中で特に頭があがらないのは4人。
投稿時代の「野田さん」、白泉デビュー担当、秋田担当、女性誌担当。

みなに共通して言えるのは「決して私という作家を諦めなかったこと」

モノにするのに時間がかかるタイプ

私は最初の10年は仕事しながら勉強させてもらってたようなものだった。一見器用で見た目も丈夫そうなので、アシスタント先でもガンガン徹夜して、アホほどネームをたたき出してた。
編集にはいくら叩いても大丈夫な作家、と思われてた。

しかし実は身体が弱い。
そして自分の腑に落ちないことは、誰が何と言おうと飲み込まない頑固さ。
〆切間近の原稿で直しをいれたことは数しれない。

こんな私に上記4人は黙って伴走してくれた。

「アレがダメならこれはどう。」
「できるまで待ちます。」
「こきあいさんが納得いくもの、描いて。」
「ネームはいいからとりあえず飯でも食べよう。」

ただひたすら、私が自分で動くまで待ってくれた。

今のデジタル時代の貴重な「待つ力」と「時間性」


そもそも人間は「中途半端なものを中途半端なまま持ち続けるのが苦手」なのだ。すぐに白黒つけてわかりやすいカテゴライズに入れたくなる。

でも何かを克服したいと思ったら自分の身体を動かさないと成長できないし、人真似しても一時的な果実しかない。魔法の杖なんかどこにもないのだ。
「自分に必要な課題と方法論を自分自身で見いだせないとプロにはなれない」と投稿時代言われたが、本当にそうだと思う。

そう考えると編集にできることは作家を見守ることと、その作家の可能性を諦めない事だけかもしれないな、と今となって思う。

そういう意味でこの4人の「長きに亘ってこきあいとつきあおうとする根性」は私にとって本当に有難いものだった。

だから私も「長きに亘って読者に読んでもらえる」漫画を描きたいと思っている。

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