『むき出し』を読んで 蘇った記憶。 ※ネタバレを含みます
教室から少し離れた場所で、先生5人に囲まれ、
その内の2人に腕を抑えられて泣き叫ぶ。
小学校の頃 自分のクラスにも、石山のような子がいた。
泣き叫ぶその子の気持ちなんて、想像もしなかった。
いつも何で暴れるのか分からなくて、関わるのも、ただ話しかけるのすら”怖い”と感じた。
石山のリアルな心の声を読んだ今、振り返ってすごく後悔してる。
あの子の気持ちを知ろうとしなかったこと。
”分からない”はあの子も同じだったのかもしれない。
”怖い”のもお互いさまだったのかもしれない。
周りの大人もそう。
あの時腕を抑えていた先生は?見ていた先生は?
誰かあの子の気持ちを知ろうとしたんだろうか。
少年期の石山のシーンは、そんなことも色々考えさせられた。
「針を投げて遊んでいたから、あいつが悪い。みんなはマネしないように」
確かそんなようなことを簡単に説明されて、授業が再開…… そうだったっけ?
この記憶の曖昧さもそう。
最後の方で出てくる「俺の思い出は、都合よく書きかえられてる可能性がある」
っていう言葉にもハッとさせられた。
この時だって、本当はもっと真剣に向き合うべき問題として扱われていたのかもしれない。確かに針を投げて遊ぶのは単純に危ない。
でもなんでそんなことをしたのかって、あの子に寄り添おうとした大人もいたのかもしれない。
それが無関心な自分の記憶には、インパクトの強かった暴れている状況だけが今、残っているのかもしれない。
兼近さんの『むき出し』には、自然と自分に置き換えて
考えさせられる場面が本当にたくさん描かれている。
心理描写がものすごくリアルで共感できる場面とか刺さる場面とか
まだまだ沢山あるけど
一旦一番食らったシーンの感想を書きました。
今回はこの辺で。
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