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見方日記 11/1〜

雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。

11月1日

日本にとっての米国は唯一無二の同盟国である一方で,米国にとっての日本は数ある同盟国の一つであるという事実を意識しなければならない場面に出くわします。

東京から世界を見たときの景色と,ワシントンDCから見た景色は異なります。このギャップを埋め,両者を橋渡しすることこそ,情報通信技術が発達した現代においてもなお,現場にいる外交官が果たすべき役割であると思います。

東京の考えをDCの人々に理解してもらうためには,彼らの輪の中に入り,彼らの頭の中を想像し,どういった順序でどういった表現で語りかけるか,工夫を凝らす必要があります。

(在アメリカ大使館二等書記官)

輪に入り、頭の中を想像する、か。

日本では様々な場面で「欧米」と一括りにされることもありますが、これは国ごとの多様性を覆い隠す、危うい言葉です(余談ですが、当地で暮らしていると逆に日本と近隣国が「アジア」と一括りにされるのを耳にすることがよくあり、その度にこうした危うさを再認識します)。フランスには米国はもちろん、他の欧州諸国とも全く異なる独自性があります。

(在フランス大使館二等書記官)

国や地域のレッテルの解像度、か。

11月2日

在外公館での勤務が始まって約8か月、新人書記官として、ようやくベルリンでの生活や日々の仕事に慣れてきたころに、欧州における新型コロナウイルスの感染が拡大しました。今年3月以降、スーパーマーケット等を除くほとんどの商店が閉店し、近隣国との国境も閉じていき、独政府は大規模な接触制限措置を講じて、街はいわゆるロックダウン状態となりました。ドイツ人は道端や店先などで知らない人とも、とてもよく挨拶の言葉を交わします。「お元気ですか?」「元気です。」「お元気でね。」と何気なく交わす挨拶の言葉がこれほどまでに実質的な意味を持ったことは、かつてなかったのではないでしょうか。

(在ドイツ大使館二等書記官)

たしかに、、挨拶の実質的な意味、か。

月から地球を見ると。
満月ならぬ満地球。

11月3日

室生犀星
寮生遠足

遠くから一瞬系空目。

鑑賞を
「遠くから一瞬」
という視聴環境の可能性。

再生バーを自分で握れる
動画配信との対比。

明るく楽しかった日々についてちゃんと話したいけど、今はまだ明るく楽しく喋れなさそうで、明るく楽しかった日々にもなんだか失礼な、申し訳ない気がして、今はまだ話せないんだ。

11月4日

平野レミさんのことば。

「この間、アーちゃんが会話の流れで、“私はお義母さんの老後の面倒を見ますから”と言ってくれたの……。びっくりして、“まだ私はそんな年じゃないし、全然お世話になりたくないのに”なんて言っちゃったけど、とてもありがたかった。
 樹里ちゃんもね、私が和田(誠)さんに先立たれて、“つかむものがなくて寂しい”とこぼしたら、“レミさん、唱さんと手を握って! しっかり、ぎゅっと強く握るの。ほら、つかむものがあるでしょ?”と――そう言われて息子の手を握ってみると、もみじみたいな手の息子とよく手をつないで歩いていたことを思い出したわ。あの手がこんなに大きくなって、しかも、この手の半分に和田さんが入っているんだと思ったら、心のつかえがストンと取れたの。本当に励まされたわ」
 レミさんにとってお嫁さんたちは、生きて存在してくれるだけでありがたいという。
「だって、食費も学費も衣服費もかけずに、タダで完成された娘さんがポッと来てくれたのよ。おまけにかわいくて、息子のお世話をしてくれて、孫まで産んでくれて……。私は大得よ。お嫁さんに文句なんかひとつもない」
 みんなが元気に生きて、たまに会って一緒にわいわいご飯を食べられれば充分幸せなのだと、レミさんは笑って話してくれた。

11月5日

10日間の隔離があるので、イギリス経由ではなく、直接スペインへ合流。ナショナルマッチとチャンピオンズリーグ。

各国の状況、隔離期間を計算して計画を立てるというコロナ時代の移動ロジ。

11月6日

反対側のホーム。
人がいっぱい。
電車が来た。
行った。
まるで“スイープ”したかのように、
人がいなくなった。
そしてこちら側のホーム。
自分一人。
世界に取り残されたような1秒間。

11月7日

日本の神話には星の話がほとんど出てこない。
なぜか?もしかしたら気候が湿潤で山川草木が生い茂り、生存には山川草木のほうが大事な情報だったからではないか。季節の移り変わりも草木や花から判断できたので、天体で暦をつくる必要がなかったのかもしれない。

ちょうど真ん中に落ちそうなボールを
どっちがとろうか
目を見合わせたセンターとライト。

「ちょうど真ん中」というコミュニケーションの可能性。

綱引きのメタファーにも近しいが、
この「ちょうど真ん中」という考え方でコミュニケーションのきっかけをつくれないか。

11月8日

小三治さんの落語「船徳」

「くまさんとはっつあん、合わせて、くまんはっつあん。」

「くまんばちじゃないんだから。」

「イギリスってビクトリア時代の家に平気で住んでます。地震とか気候の違いとかはあるでしょうが、街中に広大なコモン(市民共有の森)があり、散歩、サイクリング、ガーデニング、ゴルフ、サッカーを思い思いに楽しんでいる。夏の夜にはワインを抱えて屋外オペラを聴きに行く。ストックで豊かさを享受していました。
週末、ショッピングセンターの駐車場に行列ができる我が国はほんとフローですよね。」

大西さんのコメント。

豊かさを文化ストックでとらえる見方が
これからより一層大事になりそう。

11月9日

とうてんを、いどうしよう、という、じっけんを、しています。

とうて、んをいどうし、ようと、いうじっけんをし、ています。

あまり邪魔しないような。1文目で音声で短期記憶するので、それを2文目にもあてはめて、まあこう読むんでしょ回路がはたらいているっぽいな。2文目のほうが「どうしよう」が目に入ってきやすいな。

みなさんはどうですか?

11月10日

木簡に書きやすい筆遣いがそのまま隷書の筆遣いになった。

メディア側のインターフェース特性により人間の挙動が変わるということ。

スマホに書きやすい・扱いやすい指遣いがそのままフリック入力やタップ送りの指遣いになった、に対応するだろうか。

UI発明とは、ある意味、こうするといいよ!え、やってみるー、ほんまや!という素朴なものなのかもしれない。

11月11日

ゾロ目。今日は何書こうかななんて思いながら、
11月11日を入力しようとするとき、文字変換の都合上、11月111日になった。

それを眺めながら、ひと月310日か。。
まあそりゃそんなに日があったらいいよねなんて単純に思った。

11月12日

ハラミちゃん。
「楽器の編成をピアノで表現している。」

編成をピアノで!

かてぃんさん。
「和音の選択で自分なりの表現ができる。
たとえば、夜に駆けるの和音を変えれば、
夜に駆けない。真逆の曲調に。」

両手のうち、
片手だけでも
自らの手中におさめる。

11月13日

小さな子「いやぁ秋はあきないねえ」

それに対してわい「商いもあきないよ」

ニット着て、にーっと^^!

ハッピーバースデー灯油

チヤホヤってなんかかわいい言葉。

11月14日

かてぃんさん
「喜ぶ用の京都みて、なにが面白いんだろう?」

京都に喜ぶ用とかガチ用とかあるんだ、、

「どうしてこどもはおさけのんじゃダメなの?」

「そりゃあんた、シラフでも楽しいからでしょ」

11月15日

出会いはひらめき、付き合いは努力。

楽しいことはそのときそのときリアルタイム。
悲しいことはずっと抱えて生きていく。

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