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見方日記 11/16〜

雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。

11月16日

ハーバードのダニエル・フェダマン副学長。
新しい医学教育スタイルの
ニューパスウェイプログラムを始めるとき

「10年以内にこのプログラムは変えますから」と。

もう始まる前からその次のことを言う。

最先端のことをしようとしているのに、
その時点で早くもその先を考えている。


はじめの一歩は大事。
でも、スタート地点の選択はもっと大事。

11月17日

ひとりで踏み出せないなら、
チームで踏み出せばいい。



村井さんの言葉。

「成功体験が強すぎたんだと思います。

 たとえば私の手がけてきたインターネット分野の話だけど、当時、日立、富士通、NEC、ヤマハなどがルーター(ネットワーク間の接続装置)を作っていて、とてもいい性能のものができました。でも、世界ではぜんぜん売れなかった。なぜかと言うと、現地にいた営業マンは過去の製品の販売をやっているだけで成功していたので、ネットワーク機器という新しい商品を売るモティベーションがなかったように思います。

 通信関係はそれが特に顕著で、メーカーはNTTしか見ていなかったのかもしれない。そしてそのNTTはまだ電話を見ている。そんな状況で、新しいもので海外で商売する必然性がなかったと思います。」

「僕が見てきたテクノロジーメーカーのもったいない点は、プロダクトの評価より、終身雇用とか、業界や国内での従属性とかのほうが優先されて競争力をなくしてしまったこと。その裏側に、プロダクトの新しいものとか、美しいものとか、かっこいいものに対しての過小評価があったんだと思います。

 具体例をインターネット的視点で見ると、たとえばソニーは良いプロダクトをいろいろ持っていました。ウォークマンに合わせて踊るローリー、アイボやスマイルシャッターなど、アップルも作れなかったユニークな製品だったと思いますが、ビジネスとして成熟する前に解散してしまいました。これは経営のポリシーの部分の責任に思えました。」

11月18日

世の中は巧妙に人を堕落させるように出来ている。

エミール・スミスロウの共有力。

共有力が高い選手は視野が広いだけではなく、他の選手と同じビジョンを共有してプレーできるため、連携の中での崩しでも特に、1タッチ2タッチでの連携を正確にこなすことができ、それは狭いスペースの攻略の有効打になる能力です。

そして、共有力の高い選手は他の選手のパフォーマンスも引き上げることができるため、チーム全体をおしあげることもできます。

「人間は年をとったぐらいでは成長なんかしない、おじさんが落ち着いて見えるのは元気がないから」

リリー・フランキーさん

一年のうち元気でいられる日の割合
=(100-年齢)%
という計算式。

40歳なら、60%。
7日のうち、4日は元気だけど、3日は疲れている。
だいたいあってる。

11月19日

「わかりにくい」のAB

A. 具体的な事例を列挙してみるものの、概念として抽象的に把握できないために「わかりにくい」

B. 抽象的な説明をしているときに、その概念はわかったけれど具体的な応用例が想像がつかなくて「わかりにくい」

最大公約数は、英語で、
greatest common divisor

グレイテスト コモン ディバイザー

なんか、カッコいい。

「小3の娘が反抗期で妻が困り果てていたので
「人の命は3万日。父と母は残り2万日。同じ家に住むのは残り5千日。3人そろって休日を楽めるのは、どう頑張っても残り2千日」
と伝えたら、目を丸くした後、急に家事を手伝い「お出かけしよう」と言うようになった。

数字にだって気持ちは込められる。」

Twitterより。

11月20日

好きじゃないけど、嫌いじゃないって
言いにくい、伝えにくいわよね。

どっちなのよ、と。

でもね、
そんなどっちつかずのことのほうが、
この世の中の
7割、8割なのよ。

(新宿二丁目のバーにて)

ブルーピリオド1巻より。いろいろな遠近法。

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このなかで、空気遠近法について。

「大気が持つ性質を利用した空間表現で、
 遠くにいくほどに対象は青味がかって見え、
 輪郭線がぼんやりとして、かすんで見える。」

朝まで呑んだ靖国通り。
空気遠近法みたいな青味がかかり、
なんだか霞んで見えた。

今日という日が遠くになっていく気がした。

11月21日

cakes 藤井健太郎さんの記事より。

オンエアにこそ至りませんでしたが、『リンカーン』で「あたかもリアクション」という企画がありました。芸人さんたちが〝あたかも〞そんなことが起こったかのようにリアクションをする選手権モノの企画です。この企画を行うにあたり、松本さんとの打ち合わせで「これはアリだね」となったネタが以下の2つです。

ひとつは、部屋が突然暗くなり、バースデーケーキが運ばれてくるサプライズのリアクション。もうひとつは、生き別れた家族が「実は今日スタジオに来ています」というご対面のリアクション。どちらもイメージし易い〝あるある〞的なシチュエーションです。

でも、打ち合わせ中に「驚きのパターンが近いから、リアクションが同じように見えないか......?」という意見が誰かから出ました。言われてみれば、たしかにその通りです。全員が「これは、どっちかひとつだけかな......」と思った瞬間、松本さんが、「バースデーサプライズの方を『部屋に入ったらケーキがある』ってシチュエーションにすれば、自分が入っていくパターンと、向こうから来るパターンで見え方が変わるから、まあ大丈夫やろ」と一言。

11月22日

修行には記憶がつきもの。
記憶によって裏打ちされた実感が伴うもの。

だけど、ドラッグで到達する脳内状態には
身体を伴った実感記憶がないので、
薄弱なものになる。

宮台さんの言葉。

漸く(ようやく)の「漸」は、

「さんずい+斬」から構成される漢字です。「斬」とは刀で斬る意味を持ち、さんずいと合わせると

「水流を斬って少しずつ導く」

という意味になります。

この意味から「少しずつ」のニュアンスが残り、「次第に」「徐々に」という意味に変化しました。

辞典より。

11月23日

村井さんの言葉。

「日本の縦書きの問題を含めて、文学、音楽、生き方とか家族への考え方、たとえば津波のような大災害に見舞われたときに、人と人が助けあうとか、ちゃんと行列を作るとか、火事場泥棒が起きないとか、そういうのは日本の文化だと思う。そういうものを大事にする中でデジタルを使っていくのが、これからの時代の生き方ではないかと考えてます。」

「たとえば、相撲では大相撲はビジネスだし、国技でもあります。そこに「道」という字を入れた「相撲道」となると、次の世代のすべての人のために善いことをしなければならないような感じがしますよね。井芹さんは空手の有段者だけど、単に「空手」というと技とかテクニックの意味が強いけど、「空手道」というと心や精神の問題、忍耐とか、人を傷つけてはいけないとかが入ってきますよね。

 そういう意味で「デジタル道」を考えてみたいと思ってます。これは何だろう、と考えるだけでも意味があると思うんです。」

新庄BBの言葉。

「バリーボンズは2個球場あるつもりで打つ。1個目の奥にある2個目の球場に向かって打っている。そうすると当然1個目の球場ではホームラン。」

「二軍から一軍上がってきたピッチャー。打っていいかな、家族大丈夫かな、と思って、打てなかった。」

11月24日

ようかんを薄く切ることによる、
価値提案の広がり。
食パンにのっけると美味しい!

薄く切る「だけと侮ることなかれ」。

「切り方を変える」ことで
新しい価値提案ができる

なにか別の食材はないだろうか?

隙あらば自分語りを「隙自」と略すらしい。

すきじ!

11月25日

又吉さんの言葉。

「僕は「書くこと」と「お笑い」の相互作用をすごく感じてるんです。「こんな話があった」と人に伝える時に、しゃべる速度、文字を書いて伝える速度で言うと、しゃべる方がかなり速いんです。

文字で書こうとすると、しゃべるよりも時間がかかるので“物語ること”がゆっくりと進むんです。同じ道でも、車ではなく歩いて行った時に「こんな小径があったんだ」と気づくことがある。そんな感じで、ちょっとエピソードが膨らむんです。」

11月26日

大きな病のあとの実感。
なんだか、ありがとうが増えた。

できることが減ると、
ありがとうが増える。

有難いは限りないものだ。
命は奇跡みたいなものだ。

宮野先生の言葉。

「生きることは魂の世話をすることだ」。これは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが残した言葉です。生きることは、自分の気持ちにちゃんと正直になっておくということなのだと理解しています。

自分の考えていることに敏感になって、直感を研ぎ澄ませていくのが大事です。僕にとっては、草刈りにも学問にも分け隔てはありません。自分の営みという点で、すべてに通じている。

「休み」と「仕事」といったように、物事を二分法で分けるのは、人間の思考の癖ですね。敵ー味方、善ー悪といったように。確かにこれはわかりやすいですが、わかるようにしかわかってない。

鎌倉時代の禅僧道元(1200-1253)は、「迷いは同時に悟りである」という言葉を残しました。

二分法では捉えられないものがある。白と黒が合わさった太極図は、二分法ではない世界を的確に表しているように思います。

11月27日


「長男中2が部活だというのにまだ生乾きの体操着を私が「ごめんね、洗濯したけどまだ湿っぽいんだ…」と差し出すと「…え、そうなの?てことは…部活で走った時に風で涼しくなるってことだよね!?ラッキー!いってきま〜〜す!!!」て喜んで着てってくれたんだけど発想の転換がポジティブ過ぎる」

Twitterより。

プロカメラマンに「この写真みたいなステキな桜を撮りたいんです」と言ったら「じゃあいいカメラを買うより、いい場所を見つけないとね。ロケハンなんて年中できるんだから、冬の桜の木をみて、春満開になった桜の木を想像しなきゃだめだよ、場所を見つける技術ってすごく大切」と言われ目から鱗。

Twitterより。

11月28日

「あの人の株めっちゃ下がったよね」って話の時に「買っとくか〜」と言うと丸く収まります

Twitterより。

出川さんがデヴィ夫人のVTRを見て。

「夫人は本当にスルメが好きなのよ。海外ロケでもスルメを持ってくる。世界でもバーキンのバッグの中にスルメが入っているのは夫人だけ。」

ベン図的理解
バーキンのバッグを普段使いで持ち歩いている人
かつ
スルメが常にバッグに入っている人

世界で1人

「世界でひとりの面白い”かつ”を、自分の属性でつくれ」
という問いかけをしたら面白いかも。

マッキー牧元さんのことば。

「食いしん坊とは、どういう人だろうか。
それはラウンジで、ハーゲンダッツのバニラと抹茶を見た瞬間にバニラを選択し、そのまま食べずに、エスプレッソをかけちゃう人のことである。
食べながら、味はわかっているのに「うまいなあ」と、ひとりごとを言っちゃう人である。
さらにそれだけでは飽き足らずに、横に置いてあるハッピーターンを細かくして振りかけてみる人のことである。
そして食べながら、ああここにグラッパがあったらなあと、思う人のことである。
しかしふとウィスキーが用意されていることに気づき、数滴かけちゃう人のことである。」

11月29日

伊藤亜紗さんの言葉。

「問いは生まれたら変化したり、次にまた生まれたり、生き物みたい。」

「もともとヨーロッパでは、庭園というものは創造主の言葉を理想的に配置した一冊の書物であって、時代の理想をあらわすアート&デザインだとみなされてきた。生きた書物であり、造られた立体書物なのである。」

松岡正剛さん 千夜千冊より。

「幸せを遠くに置かなきゃ走れなかった。」

ザ・マミィ酒井さん

11月30日

藤幡正樹さんの言葉。

「対象の違いに気付くためには、対象を比較する方法が必要だ。それは要するに記憶力なのだが、学校で丸暗記させられた歴史の年号のような記憶力のことではない。視覚や聴覚や嗅覚やはたまた触覚までも動員して、行われる記憶力があってこそ、私たちは異変に気付くことができる。それは数字や言葉によって、行われる比較ではないのだ。こうした身体的な記憶力を鍛えるためには、それらの感覚器官を刺激する必要がある。それも人の発達の臨界期に合わせた刺激が本来は必要だ。視覚刺激を強化するためにも、母親からの言語的なナビゲーションは有効だろう。「ほら、あそこにセミがいるよ。」「えー、どこどこ?」というやり取りがない限り子どもはおとなになってもセミを見つけることはできないだろう。これをセミの生態についての科学的知識とは考えない。これは環境に対する感覚を開くことであって、知識の吸収ではない。こうした気付きへのナビゲーションが新しい発見をもたらし、次世代の科学者やアーティストを作り出すのだ。」

さらば青春の光、森田さんの言葉。

「この世界、本当に一周したら終わっていきますからね。いかに一個一個の仕事を地道に頑張って、デカい一周にするかなんですよ、結局。狭い一周だったらすぐに終わってくんです。だから、ブレイクする気はありません。」

――フリーで良かったと感じることはありますか。

「自由にできるところですね。先日、Aマッソの結婚報道があった時に、YouTubeのカメラを回しながら、加納と村上がラジオの生放送をしているところに突撃しました。事務所に所属していたとしたら、まずは事務所通して…となりますけど、個人事務所だから思い切って仕掛けられたという部分はあります。全部自己判断で、全部自分に返ってくるので、身軽で動きやすいというか。大人をあまり介在させないことのメリットは、僕らにとって大きいんじゃないかなと思います。」

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