見方日記 12/16〜
雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。
12月16日
俗俗する、族族する、属属する、賊賊する。
意味をそれぞれ想像してみる。
たとえば、俗俗するってなんだろう?
と意味を考える。
、、、
なんか、
ゾクゾクする。
12月17日
夕暮れ。
逗子の海岸から富士山と江ノ島を撮る。
「今日もとってもきれいだなぁ」
写真には映らないけど、
風がとっても強かった。
写真には映らないものだけを写そうと試みた
そんな写真集を見てみたい。
*
Zoomごしに、先方がマグカップで何かを飲んだ。
その瞬間メガネが曇った。
きっとコーヒーかスープか、
湯気の出るような温度の
あったかいものを飲んでいるんだろう。
12月18日
愛も変わらず、生きてます。
(一字替え含意)
12月19日
マッキー牧元さんの写真より。
見える情報は書かず、見えない情報だけを書く。
見えない情報が書けるということは、
何が見えているかを
意識できているということだ。
でも、その“見えている”は、
本当に他の人も見えているのだろうか?
見えていない情報だけを書き、もしくは言い、
「?」が発生するかを実験することで、
お互いに実際のところ
何が見えているのかを確認できる
のかもしれない。
12月20日
すっぴんを
加工アプリで撮ったら
それは
すっぴんなんかじゃない。
ないんだ!!
と友達に主張している電車内の男子。
どした?
12月21日
淡々麺:淡々と麺を啜る様のこと。
*
Uが2個くっついて
W (ダブル・ユー = ダブリュー)
フランス語だと
WはV (ヴェ) がふたつでドゥブル・ヴェ
イタリア語だとdoppia v
スペイン語だとv doble
英語だけなぜかU
UU
なんか、かわいい。
12月22日
シノギを削る。
猟や漁など
狩場の分母が視覚化・体感化しやすいもので、
かつ、
分母自体が増えずらく限定的なものは
参入者同士のバチバチの抗争を生みやすいが、
市場定義が曖昧な
成長市場の場合は、
分母を視覚化・体感化しづらかったりするので、
なんとはなしの期待感とともに、
ある局面においては、
分母自体の境界を広げていく方向に
参入者同士が手をとりやすい。
参入する前に持ちたい
「その分母って、どんな分母?」という見方。
どっちが良い悪いじゃない。
ただどのようなシノギを削りたいかの、
生き方の好みの問題。
個人的には、
分母を増やそうぜという議論や策を練る
カルチャーに所属していたい。
*
一方での“あるある”
全体のことを嘆きながら、
各論では好き!嫌い!
わーわーわー、と、
縄張り意識が強くてまとまらない。
その縄の中って、
長い歴史や大きな地理で俯瞰してみると、
あなたの“所有領域”でしたっけ?
人はわが人生(わが族)で得た
と錯覚してしまう
have感覚をなかなか手放せない。
既得権益なんて言うけど、
つまりそいつぁ錯覚have感覚だぜよ。
*
空手の喜友名選手。
「オリンピックでは見ていただけませんでしたが、全日本選手権ではこのように見ていただけて嬉しかったです。」
いかに画面を通して多くの人に届こうとも、身体感覚としては、実際に会場で人がみているというのとは違うのだろう。そしてその違いの質感が、喜友名選手のインタビュー時に客席をチラリと見た目線と瞳の潤み、そして声から伝わってきた。
*
大阪駅の在来線ホームへの
エスカレーターでは右側にのる。
新大阪駅の新幹線ホームへの
エスカレーターでは左側にのる。
そのホームの行き先は大阪からは遠く離れるから。
でも今ここは大阪。
移動の中間地帯における
慣習の曖昧さ。
*
冬至にゆず湯に入る。
なぜゆずか?融通がきくように。
なぜ湯か?冬至と湯治をかけている。
そしてなぜこのようなオト遊びが
庶民に浸透してきたかというと、
江戸は文字(目)よりも声(耳)のほうが
リーチしやすかったからという説。
江戸市井は耳文化だったのだ。
落語や講談が流行るわけだ。
ひるがえって現代市井は何文化だろうか?
手のひら文化?
12月23日
疾きこと風の如ごとく、
徐かなること林の如く、
侵し掠めること火の如く、
動かざること山の如し。
風、林、火、山
動、静、動、静の構造ことば。
この動静動静の構造だけ抽出して、
風林火山とは違う“風林火山”をつくれ
という第6問。
*
ハンパないことを
パナシナイコスとつい言ってしまう。
ちなみに、
パナシナイコスとは
ギリシアのサッカークラブ。
12月24日
今日はクリスマス・イブ。
隙間があるマットに水がこぼれた。
なんてこったパンナコッタ。
隙間からマットの下にまで水が浸潤しただろうことが予測できたので、マットを剥がして下まで拭いた。
拭きながら考えた。
静止している物体に対する水のふるまいの予測能力は、わが人生の中で相当に培われている。逆に予測と違うふるまいを水が行うと、あれなんだろうという違和感フラグがたつだろう。その違和感を利用した表現がありうるかもしれない。
たとえば、撥水素材を利用したり、管に微細な穴をあけたり、重力方向に対して水があたる面に通常のプロダクトではつけない微妙な角度をつけたり。
そういえば、子どものころ、ホースの先をグニっと潰したり離したりして水の挙動の変化を楽しんだり、はたまた校庭のスプリンクラーの水を縄跳びのごとく避ける、そんな遊び、好きだったなぁ。
水は、繊細な表現も、大胆な遊びも、どちらも抱きかかえてくれるおおらかさがある。
そんなことを拭きながら考えた。
ミズー・クリスマス
*
みんなが知っているものの、見方をずらす。
たとえば、
見返り美人の「見返り方」を
さまざまにずらす
福田美蘭さんの方法。
みんなが知っている
あるものを特徴づけている
「なになに方(かた)」をずらすという方法論。
これを肩すかしならぬ、
”方ずらし”と命名してみる。
12月25日
クリスマスに、
ある街のカフェに同時刻
居合わせた幾人かが
「もしも人生のあのときこうしていたら」
という妄想を巡らし、会話する
ショートムービー集の構想。
『クリスマス・イフ』
12月26日
*
*
*
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雪
*
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Aさん「これは円だ!」
Bさん「いや、これは三角だ!」
わーわーわー
Cさん「ん、円錐っしょ?」
AさんBさん「ほんまや!」
*
奄美大島での常田さんのお話
「河原を歩くと、小さな黒いかたまりが落ちています。アマミノクロウサギの糞です。隠れる場所じゃない、いわゆるオープンスペースで糞をする。
なぜか。島で一番怖い生き物ってなんですか?そう、ハブね。襲われたら、死ぬ。だから見晴らしの良い場所を選ぶ。おじちゃんはこの間、ハブと遊んできた。威嚇してくるから、「いいねえ」って撮影してね。それができたのは路上で、こっちが先に発見できたから。足元がみえないような茂みは本当に怖い。どこに潜んでいるか、分からないからね。」
見晴らしがいい、は
攻められの危険に対しては意外に安全。
これは古来からの地上戦争も同様。
*
来年1月に南野はどのような決断を下すか、
という記事を見た。
来年1月といっても、もうすぐそこのこと。
「来年」からイメージする「時の距離感」と、
実際にはすぐそこという距離感とのあいだで、
脳がちょいバグった。
12時27日
バグりを入れてみる
*
養老の語源の説。
ひざの裏のくぼんだ部分、膕(よほろ)。
よほろ→ようろう
養老渓谷の一部が、よほろのように、
くぼんでいた様から名付けられた。
身近なかたちに喩える名付けの方法。
12月28日
東ヶ﨑さんのコメント。
「クラシック離れではなくそもそも近寄ってなんかいないかと…
産業側の思考がユーザーとは寄り添っていないのでシステムに関しても色々なトライアルがないんだと思います。
そう思うとピティナさんは試行錯誤繰り返して新しい物事を生み出している印象があります。
売り手のプロではなく作り手のプロとして育てられた方々が多い産業だからどのようにユーザーに寄り添えるのかというのは本来なら別の方に任せたいというのが本音ではないかと思います。
そして決して儲かる商売ではないので他産業出身者が新たなシステムデザインを提案せず新陳代謝が悪いのかもしれません。
個人的にはですが売れないのではなくホールの運営時間の関係含めて行ける時間帯に演奏してないとか、急に聴きたい時に気軽に視聴出来る環境がないから行くのは単純に出来ないだけではないでしょうか?
予約なしでは入れない最近の美術館の予約なんかも似たような印象を覚えましたが…
Live配信等で新たなファンが生まれた事を思えば環境提供さえあれば必ずクラシックユーザーは増えるかと思っています。」
〇〇離れを、相対的に考えてみる。
12月29日
釜に直火をあてるのではなく、
釜に蒸気をあてることで温度管理がしやすくなった
という海苔の佃煮の製造工程改良。
*
いつも何かを忘れてしまう。
いつも時間がすごくかかってしまう。
そんなときは、何かに取り掛かる時に、必要なアイテムを「一枚の写真」の中におさめる。それがイメージできると、準備忘れや時間のロスが改善され、作業性が良くなる。
12月30日
「私の場合夢中を作る上でとても大事にしていることがありました。それは目的が達成された時に、誰にどんな影響を与えることができるかです。金メダルを取ったらさぞかしみんなびっくりするだろう、それが私を夢中にさせていました。いたずら心でした。」
為末さんの言葉
*
「原始人が女に惚れたときの気分。
これを『愛』なんて言葉を使わずに話す。そのために色々考える。これが、話し方がうまくなるってことだと思うのです。」
タモリさんの言葉
12月31日
グーグルのストリートビューで、
たんぽぽを見つけた。
そんな大晦日。
*
ドイツ人と日本語で話してて、自由について語る文脈でフライハイト(自由)と急にドイツ語を話してきた。
フライハイ(高く飛べ)だと勘違いした。
でも、あながち勘違いでもないかもと思い直した。
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