寮自治は寮生のレベルに依存する

昔から「民主主義は民度に依存する」という言葉がある。

最近この言葉を聞いたのだが、真っ先に「寮自治も一緒じゃん」と思った。  
恐らくこのように言える。 
 
「寮自治は寮生(自治会員)のレベルに依存する」

少し付け加えると、寮自治の方が、日本国家の民主主義より民度がより直接的に反映されるだろう。

恵迪寮自治会は自治会全員が話し合いをできる場を有するが、その話し合いのレベルはもっと上げられるのではないかと2年目あたりから感じる場面があった。
今の自治会の話し合いの場では良くない話し合いの癖などが見られると僕は思っている。

例えば

・些末なことで揚げ足取りをする人
→話の本質ではない

・無駄に語気の強い言葉で相手を攻撃するような意見の仕方をする人
→より良いものを作り上げるために話し合いをしている」という前提を思い出して欲しい

・議題と全く関係ないことで意見を言う人
→この自治会には大概他に適切な意見をする場がある
 
※しかし、最近恥ずかしいことに自分の議案の読み込み・意見の整理が甘く、僕のレベルが低いと感じる場面が幾度かあった。
僕も話し合いのレベルを下げているのだなと思ったので、反省している。

以前、綱領作成にかなり関わっていた時期があったのだが、その時このような話が上がった。

もし寮自治をより高度なものにするのであれば、自治会員全体のレベルを底上げしないと厳しい。
 ↓
しかし、現自治会員はあまりその問題を感じていないと想定され、いきなり話し合いのレベルを上げようとしてもこれまでの癖が染み付いてきてしまった現自治会員には難しい。
 ↓
もし話し合いのいろはなどを伝えるなら、やることが色々とあるし、きっと素直に受け取ってくれるのは、まだ癖づいていない次の新入寮生が一期生になるだろう。
 ↓
とすると、段階毎に進めていかないといけなくて、かなり時間がかかる。
 ↓
今期だけで変えることは無理だ。まずは来期以降に繋げる、地道な土台作りを今期は目指そう。
 
このような話をして、寮自治会が良くなるといいなと思いながら綱領づくりを手伝い、入銓委員長にも立ったのだが、その時にこのように思った。

必要な時間や手間が膨大過ぎる。
もしこれを自分がやると仮定したらどれだけ自分を捧げれば達成できるのだろう、と。

そして、僕はこのような結論に至った。
 
寮自治に傾倒してもコスパが悪過ぎる。
今期、入銓という自分の手の届く範囲で、話し合いのレベルを上げるために寮生のレベルを上げる土台作りをやってみて、それで終わろう。
そこが僕が寮自治をやれる限界ラインだ。
後は、自分のことをやって、伝えられるタイミングで人に考え方を伝えていくことが僕のやれることだ。


久々に入銓委員長に立候補した時の気持ちを思い出した。
色々とあって最近動けていなかったけれど頑張ろう。
重役最後だからやり切ると決めたのは自分なんだし。

書き始めた時、こういう結びになるとは思っていなかったけれど、振り返ることができて良かった。
想像以上にnoteに書き出すの、よいね。

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