正解や二元論で語れる事物って現実問題殆どなさそう

大学に入って、寮自治などをしていく上で、正解や二元論で語れることって殆どない(恐らくゼロ)って思った。

個人的にはこれはそれは色々な考えの人がいることに起因していると思う。逆に、皆同じ考え方だったら正解を導くことや、是とする立場と非とする立場に分かれて議論することが簡単だと思う。

ある一つの組織において、考え方の前提や共通認識が統一されていると物事がスムーズに進むのはこういう側面が強いのだと思う(TABIPPOはどちらかとういとこちらに分類される)。その反面、異なる考え方を持つ寮生約400人いて、直接民主制をとっている寮は対局の位置にあるように感じる。

「自治」は広義に解釈できると思うし、本来の寮自治がどのようなものかという話は置いておくと、

恵迪寮における自治って最大多数の妥協点を模索する作業だと今の僕は考えている。ある一つの立場からの見立てでどこかに導いていくというのではなく、現寮生のより多くの合意が取れるということを目指しているように感じる。

個々人の意見が反映されやすいというのは今の寮の自治制度のメリットでもあると思うけれど、今の自治会は長期的に運営されていく組織としてはもっとより良い形がある部分は多い。

個人的には、現在の恵迪寮自治会の在り方には限界がきている部分は多いと思う。しかし、それを変えるにしてもハードルやコストが高過ぎる。

別に少数意見を無視したい訳ではないし、可能な限り多くの人の理想に沿う形が僕もいいと思う。けれど、もし長期的な視点を以て、現状を変えていきたいのであれば、天秤にかけて必要であれば一つの立場からの方法を強行するしかないのかな、と思う。

ただそれはあくまで一つの立場から見えてる正解っぽいものであり、別の立場の人から見たら正解とはかけ離れたものだろう。

寮で色々な人と話して聞いてみると、どちらの立場も理解できて、妥協点を探ると板挟みっぽくなる。どちらか一方の立場をとって、これが正解!これは善!これは悪!なんて切り分けられたら、楽だろうなってこの半年間入銓委員長をやりながら思ってました。

まとめると正解ってないし、物事をきっぱりこれは良!これは悪!なんて切り分けて二元論で語れるようなことって殆どないなって思う最近でした!世の中難しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?