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私の原動力

こんにちは、山田航生(やまだこうき)です。

世の中に私がどのような人間なのかを知ってもらうために note を書いております。

自己紹介に続いて、第二回の記事では私がなぜ努力を続けられるようになったのかという話をしたいと思います。

人生を振り返るので多少長くなると思いますが、よければ最後まで読んでいただけると嬉しいです。


育った環境

私は周りの友人と比べるとあまり裕福ではない家庭に育ちました。
父は精神病を患っていたため、家にいることも多かったです。

両親は私が高校生のときに別居、その後離婚したため、母と妹の3人で暮らしています。父とはもうずっと会っていません。

暗い感じで書いてしまいましたが、一方で自分を不幸だと思ったことは一度ありません。ちゃんと両親から愛されて育っているので安心してください!

母のおかげで、小学生くらいまでは家庭がそれなりに大変なんだということもあまりよくわかっていませんでした。

私をここまで育ててくれた母親にはとても感謝しています。

〜中学時代

私は小さな頃から「お前には無限の可能性がある」と言われて育てられました。特に父は勉強をしてこなかったことを後悔しており、長男の私には同じようになってほしくないようでした。

小さな頃から勉強の大切さを教えられていたため、「勉強を頑張ると確実にいいことがある」ということを理解していました。

中学に入る頃には「勉強頑張るか〜」と漠然と考えていました。

経済的に学習塾に通うことも難しかったので、ほとんど独学でやっていました。母に歴史の勉強を手伝ってもらったのをよく覚えています。

中学2年生までは部活のバスケや友達と遊ぶことが楽しかったので、期末テスト前に勉強する程度でした。成績は普通より良いくらいだったと思います。

高校入学

高校は担任の先生に勧められた理数系の市立高校に入りました。最上位校に入る実力は当時なかったので、そこそこに落ち着きました。

入学した高校のバスケ部の先輩達との出会いが、私の勉強に対する考え方を大きく変えることになります。

高校の同期は中途半端に勉強ができる人が多かったのですが、先輩方は違いました。バスケ部の先輩方は筋トレ中や大会の待ち時間にも勉強をしていたのです。

先輩はバスケの練習はもちろん本気やっていましたが(私もしこたま怒られながら練習してました笑)、勉強も同じくらい本気で頑張っていました。

それまで私は地元で最も入るのが難しい北海道大学を目指そうなんて思ったことはありませんでしたが、自分でも頑張ったら入れるかもしれないと思うようになりました。

この先輩方との出会いによって、勉強を頑張るとはどういうことなのかを理解させられました。

大学受験

バスケ部はいろいろあって辞めてしまったのですが、先輩方に影響されて勉強を頑張ることにしました。

先輩方は道外の有名大学に進学される方も多かったのですが、私の家では道外に出るのは経済的に厳しかったため、家から通える国立大の北海道大学を目指すことになりました。

しかし、結果的に現役で合格することは叶わず、一年だけ浪人することにしました。

同じく浪人した周りの友人は高いお金をかけて予備校に通っていましたが、うちにはそんな余裕はありません。家で参考書を使って全て独学で勉強していました。

この辺から性格や考え方が少しおかしくなっていきました。

浪人という暗黒時代

自宅浪人というのは生半可な覚悟でやるべきものではありません。
今までの人生で最も頑張り、そして二度と戻りたくない一年間です。

まず浪人生というのは何者でもありません。

先に大学に合格した友人はキラキラしたキャンパスライフを楽しんでいるにもかかわらず、自分はひたすら勉強するしかないのです。

大学に落ち、彼女もいなかった自分は、この世の全てに敗北している気分でした。友人には負のオーラを放っていると言われていました笑

全ての人間が憎かった私は、そいつらを必ず見返してやると誓い、本気で勉強しました。北大に合格することでしか救われる道はないので、背水の陣で努力しました。

幸い高校の頃から続けてきた努力がやっと実り、良い成績を取れるようになります。そして一年の浪人を経て無事北大に合格しました。

合格発表の習慣は嬉しさのあまり、家族に泣いて抱きついたのをよく覚えています。

大学入学以降

大学合格という成功体験を得た私は自分に自信が持てるようになりました。
憧れのキャンパスライフを自分の力で手に入れたのです。

ここまで読んでいただいたらわかると思いますが、私は天才タイプではありません。凡人でも正しい努力を続けることによって他を凌駕できることを知っているのです。

育つ環境の重要性

ここからの文章は私が親には感謝しているという前提で読んでいただきたいです。自分が育った環境から私が今考えていることを述べます。

私は小さな頃からお金がないことでいろいろ苦労してきました。

親の経済力というのは子どもの成長に大きな影響を与えると思います。
経済力の高い家庭は子どもに与えられる選択肢の多さが違うのです。

周りの友人は当たり前に予備校に通わせてもらい、私立大学や道外の大学への進学の選択肢を当然のように与えられています。(もちろん全員ではありません)

小さな頃からたくさん旅行に行き、いろいろな習い事をして、大学では海外留学をさせてもらい、日本では得られないような経験をする人もいるでしょう。

そういった選択肢を与えるには莫大なお金がかかるのです。

私は将来、子どもが生まれたときに、最高の環境を与えてあげたいと考えています。

ただし、子どもが望むものは何でも与えるという意味ではありません。
強く育つために多くの情報を与え、できるだけ多くの選択肢を与えてあげたいという意味です。

また、環境というのは習い事や留学といった具体的な選択肢だけを指しているわけではありません。

親は自分が持つ能力以上のことを子どもに与えることはできないという言葉を聞いたことがありますが、私もある程度その意見に同意します。

例えば、資産を築くためには、金融リテラシーが非常に重要です。
稼ぐ力を伸ばし、情報弱者を狙ったビジネスを回避し、堅実に投資を行うことで経済的な自由を手に入れることができます。

社会で優位に立つにはどのようなことを勉強しないといけないのかを親が知らなければ、子どもはそれに気づくのが遅れてしまうか、ずっと知ることはないでしょう。

これは一例に過ぎませんが、私はこういった社会で優位に勝ち抜くための情報を子どもに与えてあげられるような人間になりたいのです。

まとめ

今回は私の生い立ちと、努力を続けられるようになったきっかけについてお話ししました。

裕福とは言えない家庭環境で育ち、両親の離婚、浪人など決して平坦な道のりではありませんでした。

高校時代のバスケ部の先輩との出会い、大学合格という成功体験から、正しい努力をすれば道は開けることを学びました。

そして今では「子どもに最高の環境を与えたい」という強い思いを抱いています。それは、物質的な豊かさだけでなく、様々な情報や選択肢を与え、社会で強く生き抜くための力を育むという意味です。

私自身の経験を通して、環境が人の成長に大きな影響を与えることを実感しています。だからこそ、将来は子どもに自分が得られなかったものを与え、可能性を広げてあげたいと考えています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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