新婚旅行、ついでにモン・ブラン危機一髪(後編)
残るは、まさしくケーキの名のごとく丸みを帯びた丘を登りつめるだけだ。
残念ながら、ピークはガスっており姿を望むことはできないが、本当にもう少し。
どれだけゆっくり登っても2時間あればモン・ブランのサミットだ。
モン・モディまでかなり飛ばしたので、体力は消費しているが、今ならピークまで行って帰って来れない事はない。
肩でしていた呼吸を少し整え、再び白い世界を歩き出す。
そこから大きく弧を描くように、コル(Col de la Brenva)を抜ける。
斜面の取り付きまで来たときに、確認した時間が11時半。
少し疲れたので、最後の登りに備えここでホットティーを飲むことにした。
ザックからテルモスを出す。
固く蓋を閉めすぎたか、グローブが邪魔なのか、なかなか蓋が開かない。
面倒くさくなって、グローブを脱ぎ、それを股の間に挟んで蓋を開けようとしたときだった・・・。
突風がコルを突き抜けた。
瞬間、股の間に挟んだ赤と黒のグローブは、遥か上空へ巻き上げられた。
そして、イタリアの国境線を越えて視界から消えた。
集中力が切れたぼくの、一瞬の隙を山の神様は見逃さなかった。
残されたのは、片手にインナーグローブ、そしてもう片手はメッシュの極薄手のインナーグローブのみ。
終わった・・・。
せめて、ザックの中にグローブを閉まっておけば良かったのだ。
さすがに、ほぼ素手のグローブとインナーグローブのみで、この先に進む気にはならなかった。
あと、およそ500m登り切れば踏めたサミットを、たった一瞬の判断ミスでふいにしてしまった。
でも、この判断ミスこそが、実はぼく自身の限界を告げるサインだったのかもしれない。
手に届くサミットに登れない悔しさと、脇じゃなくて股の甘い自分への腹立たしさで、胃酸がこみ上げてきて、吐きそうになった。
なんとか平静を保とうと努めた。
まず、現状グローブの予備は持ってきていない。
したがって、メッシュのグローブをカバーする何かが必要だ。
そこで、ザックの中を漁る。
すると出てきた、クラスの生徒たちが寄せ書きしてくれた日の丸の登頂旗。
さすがに日の丸は荷が重すぎたので、ザックの奥底にお守り代わりに入れていたものだ。
サミットで撮るのはさすがに恥ずかしかったけど、せっかくなので、この場所で写真を一枚撮る。
ここが、今回のぼくの限界なのか・・・。
写真を撮った後、登頂旗をメッシュのグローブの上から巻きつけてみる。
何度か試して、しっくりきて、ボクサーのような右手に仕上がった。
おかげでメッシュグローブだけの状態よりは幾分マシになった。
意外な用途だが、生徒から守られているようで、心強かった。
改めて、この後の下山の行程を想像する。
この手の状態で、モン・モディの雪壁を降りなければならない。
時間は、まだたっぷりある。
ゆっくり、確実に行こうか。
再び立ちあがる。
しかし、先ほどのショックからか足取りは重い。
急にコンディションが悪くなった気がする。
なんとか、モン・モディの肩の上までやってきた。
改めて下を覗いてみる。
ストンと切れ落ちて、壁は垂直のように見える。
覚悟が必要だった。
勇気が必要だった。
唾を飲み込み、ゆっくり深呼吸をする。
いける、いける、絶対にいける。
壁の外に身を乗り出し、クランポンを雪壁に蹴り込む。
下は見ない。
目の前の壁だけに集中する。
慎重に足を蹴りこみ、ピッケルを刺していく。
登りよりも、確実に高度感がある。
身体を支える支点は、この三点のみ。
もちろんザイルはない。
万が一、滑ったらおしまいだ。
極度の緊張で、頭がクラクラする。
集中、集中。
すべての神経をピッケルとクランポンの刃先に注ぎ、ゆっくり、ゆっくり、慎重に50mの難所を下りきった。
ふぅ。
ここまでくれば、もう大丈夫。
と、ひと呼吸置いた直後だった。
手足が、何故か雪壁から離れた。
その途端、全身にものすごい加速度が加わる。
えっ。
何、これ。
滑った?
仰向けの状態で、一気に滑落していく自分。
初期制動を試みるが、固い雪面にピッケルが弾き返される。
止まらない!
墜ちた。
やばい、やばいぞ!
その間にも、どんどんスピードが増す。
走馬灯なんて、ありゃしない。
生きるか死ぬかの二択を迫られたぼくには、はっきりとこの先に起こる出来事が見えていた。
ぼくが滑り落ちる、この超巨大な滑り台の末端には、アレがある。
アレに墜ちたら、絶対死ぬ!!
アレとは、末端に大きな口を開けて待っているクレバスだ。
このままいけば、確実に墜ちる。
勢いよく墜ちる。
どうすればいい?
どうすれば助かる?
いや、このスピードだと無理か。
ごめんよ。
新婚旅行で未亡人。
怒るだろうなぁ・・・。
やっぱ、死にたくないなぁ。
生きたい。
生きたい・・・。
そうだ!
だったら、せめて体をひっくり返そう。
墜ちる瞬間に、最後の悪あがきしてやる!
どうやって身体を反転させたかは、覚えていない。
いつの間にか、うつ伏せの状態で墜ちていた。
身体と雪面の摩擦で、雪しぶきが顔に飛ぶ。
クレバスが、足元にどんどん迫っていた。
この時ぼくは、クレバスに墜ちる瞬間、両手を雪面に思いきり突っ込み、身体を止めるチャンスにかけた。
無謀だけど、それでもこの方法しか考えられなかった。
そう最後のシミュレーションをしているうちに、不思議と墜ちる速度が弱まってきた。
そして、あれよあれよという間に身体は止まった。
クレバスまで、わずか5m足らず。
墜ちた跡が一筋の線になって、ぼくの今いる場所まで続いていた。
50m以上も滑落していた。
最初、気が動転していて、身体が止まった理由が分からなかったが、すぐに気付いた。
身体を反転させ、うつ伏せになったことが生死を分けた。
ゆっくり上半身を起こすと、ぼくのジャケットの下にぎっしり雪が溜まっていた。
ジャケットの内部まで、雪だらけだった。
その雪だらけのジャケット内部から、これまた雪だらけのカメラが出てきた。
そう、ぼくの身体を止めてくれたのは、カメラだったのだ。
そういえば、首にかけていたミラーレスの一眼レフを、雪壁を降りる際に引っかからないよう、ジャケットの中に仕舞い込んでいた。
結果、ぼくのお腹部分は、ポッコリ飛び出るような形になり、降りる時、かなりの確率で雪壁に擦りつけた。
「失敗したなぁ」、「邪魔だ」と思いながら降りていたが、墜ちた時その存在を忘れていた。
だが、うつ伏せになったことにより、このカメラが滑り落ちる雪面とぼくの身体との間に奇跡の空間を生み出し、さらに飛び出したレンズが雪面を削り、この奇跡の空間いっぱいに雪溜まりを作ってくれたのだ。
九死に一生を得た。
いつも山に連れて行っていた、この傷だらけの銀色の相棒に心から感謝した。
たとえぶっ壊れても、お前は我が家の殿堂入りだ。
本当に助かった。
膝の震えが止まり、少し気持ちが落ち着いたところで、改めて自分の現状を確認する。
ギリギリ、すれすれで、クレバスに落っこちて永久に氷漬けは免れたものの、通常のルートから大きく外れてしまった。
安全なトレースへ戻るためには、今墜ちた斜面を登り返すか、横に100mトラヴァースするか、この二択しか無い。
もちろん、トラヴァースする方が楽なのだが、誰も踏み入れていない地帯を進まなければいけない。
ほんの5m先に巨大クレバスがあるということは、もちろん、ヒドン・クレバスもある可能性は否定できない。
それでも、ぼくはトラヴァースすることに決めた。
ただし、歩いて進むのではなく、ほふく前進で進むことにした。
万が一、ヒドン・クレバスに落ちそうになった時、這って進んでいた方が、なんとかなりそうだと思ったからだ。
正直、滑落による体力の消耗も激しかった。
登り返しは非現実的だった。
そこから、長い、長い、ほふく前進が始まった。
まず、ピッケルとストックで、行く手を確かめる。
大丈夫だろうと確認して、身体を進める。
ズル、ズル、と進む。途方もない作業だ。
永久に前に進まないような気がした。
それでも、ぼくにはこの方法しかない。
絶対に、ヒドン・クレバスに落ちるのは嫌だ。
ヒドン・クレバスは、パッと見では全く分からない。
でも、虫瞰図的な視点だと、雪面のわずかな差が確認できた。
そこにストックを刺し込むと、案の定、次の瞬間、雪面がパックリ落ち込み、そこから青黒い穴が顔を出すのであった。
中には、ぼくをスッポリ落とすのに十分なサイズはあろうヒドン・クレバスもあった。
死にたくなかった。
この真っ白な地雷を踏み抜いたら最期、今度こそ二度と妻に会うことができなくなる。
だから、どれだけ時間がかかっても、やはり這いつくばって行くしかなかった。
植村直己氏は、アラスカのデナリに登った際、ヒドン・クレバスへの落下防止に旗竿を用いた。
万が一、ヒドン・クレバスを踏み抜いても、両脇に束ねた旗竿が落下を止めてくれる。
植村氏も、ここモン・ブランでヒドン・クレバスに落ちた経験を生かし、旗竿を持って行った。
旗竿が欲しかった。
でも、旗竿がない僕は、自分自身が旗竿になるしかなかった。
進みはじめてからどれぐらい時間が経過しただろう。
永遠に辿り着かないように思えたが、無事に通常ルートまで戻ることができた。
ようやく立ち上がり、這いつくばって進んだ跡を見る。
ナメクジが這ったような雪跡が残っていた。
恐ろしく長いトラヴァースであった。
ここでようやく時計を確認する。
すでに、14時近くになっていた。
安堵したことで、どっと疲れが出た。
吐き気もする。
頭痛もある。
もしかすると、高度障害の兆候かもしれない。
予想以上に身体は消耗していた。
もう一度気持ちを入れ直し、先を急いだ。
モンブラン・デュ・タキュルの下降は、セラックが今にも崩壊しそうで怖かった。
午後の日差しを受け、気温が上がり、雪が融けてゆく。
どこかで、雪の軋む音がする。
早くこの危険地帯を抜けだしたかった。
でも急ぎたくても、急げない。
どんどん身体は硬化していく。
この時ぼくは、激しい胸のムカつきと、頭痛にも襲われていた。
確実に高山病の症状が出ていた。
それでも、なんとか気力でモンブラン・デュ・タキュルを下りきった。
広大な雪原の先に、ミディ針峰の尖端が見える。
でも、動けない。
ぼくは、大の字で雪の上に倒れていた。
呼吸が荒い。
17時半発のロープウェイに間に合うだろうか。
再び、身体を起こす。
胃酸が逆流してくる。
頭が割れるように痛い。
ここまで下りてきてロープウェイに間に合わなかったら、今までの努力が無意味だ。
妻のためにも、なんとかたどり着かねば。
みぞれに顔を叩かれ、我に返る。
気がつくと、空は鉛のような雲に覆われ、みぞれが降り始めていた。
なんとか立ち上がり、ストックに上半身を預ける。
一歩、そしてまた一歩。
ミディ針峰の最後の登り返しが、特にきつかった。
フラフラの状態でロープウェイ駅に辿り着く。
16時過ぎだった。
そこからは、断片的な記憶しかない。
とにかくロープウェイの揺れで、何度も吐きそうになった。
降り立った下界は、生ぬるい夏の陽気だった。
半袖の観光客が行交うシャモニーのメインストリートを、ストックに身を預けながら、引きずるように歩いた。
ホテル・リシュモンの白壁が見えた。
約束通り、帰ってきたぞ。
ホテルの部屋のドアが開く。
ワンピース姿のラフな出で立ちの妻が驚いた顔で一言。
「お、おかえり、ど、どうしたの」
それもそのはず。
モン・ブランから満身創痍で帰ってきた僕は、ナンガパルバットから生還を遂げたヘルマン・ブールのように、別人のような顔になっていた。
嫁さん曰く亡霊のようだった、と。
翌日、良く晴れた空の下、ブラン湖(lac blanc)に行くため妻とトレッキングをした。
シャモニーからバスで10分程度、プラからロープウェイに乗り、フレジュールへ。
フレジュールからペアリフトでアンデックス。
アンデックスから岩稜帯を二時間程度歩くとブラン湖に着いた。
道中は終始、ゼェゼェ、ハァハァ。
前日からの体調不良で、元気な妻に何度も置いてけぼりを食らった。
絵葉書のような景色に、見惚れる妻。
そこには、アルプスの大パノラマが広がっていた。
ここにいる誰もがその美しさに深いため息をつく中、ぼくだけは違うある一点を見ていた。
モン・ブランの山頂部を覆う、厚い雲。
やっぱり、今日は予報通り崩れている。
昨日登っていて正解だった。
ピークに立ちたかった。
ブラン湖の青い湖面に映る自分に、己の限界を改めて告げられた気がした。
お前は、しょせんモン・ブランにも登れない程度なのだと。
悔しかった。
ただ、悔しかった。
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