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『逍遥通信』と、外岡さんからの遺言

札幌に『逍遥通信』という文芸誌がある。

元高校教諭で定年退職された澤田展人さんが発行している個人文芸誌だ。


ぼくがこの本を知るきっかけになったのは、皮肉にも親交のあったジャーナリスト・小説家の外岡秀俊さんの突然死があったからだ。


外岡秀俊さんは、札幌出身のジャーナリスト・小説家。

東大在学中に書いた処女作「北帰行」(石川啄木をテーマにした作品)で文藝賞を受賞。

朝日新聞のヨーロッパ総局長や東京本社編集局長を歴任し、朝日新聞の社長を嘱望された人だ。

しかし、両親の介護のために早期退職し札幌へ。

中原清一郎名義で書かれた小説『カノン』など、精力的に活動を続けていた。

2021年12月23日、札幌国際スキー場のゴンドラ内で急逝。



Facebookの投稿で、『逍遥通信』を紹介している知人がいて、そのときこの本に外岡さんが毎号関わっていたこと、また第六号に遺稿が掲載されていることを知った。

そして、本の表紙を見て驚いた。

外岡秀俊遺稿 ”賢治と啄木~「北方文化圏」の旅”

と書いてあるのだ。


『逍遥通信』は読者のカンパと想いで成り立っている文芸誌


胸がざわついた。

以前、朝日新聞のコラムの取材でぼくと話をしたときに、もともと石川啄木に詳しかった外岡さんはこう言っていた。

「いつか、啄木と(宮澤)賢治をつないで北海道との関係性を文章にしてみたい」

あのときの構想が文章になっている。

しかも遺稿という形で。


ぼくは澤田さんに早速連絡をして、『逍遥通信』第六号を取り寄せた。

やはり、思っていた通り、ぼくのことが書かれていた。

ぼくを最初に訪ねてくれた日のこと、ぼくが話をした研究の内容、どれもていねいに考察されていた。

外岡さんの遺稿、宮澤賢治の心象スケッチ「札幌市」についても触れている


色々ショックだった。


あの外岡さんが、ぼくの研究にここまで関心を持ってくれるとは・・・。

それが、遺稿になってしまうなんて・・・。

それを僕自身が知らなかったなんて・・・。

ご存命だったら、この内容について再び議論を深めることができたのに・・・。

複雑な想いが駆け巡る。


澤田さんから、『逍遥通信』第七号は外岡さんの追悼号にするので、追悼文を書いてくれないかとお誘いをいただいた。

なんの因果であろうか。

外岡さんが亡くなったことで『逍遥通信』を知ることとなり、外岡さんの追悼号に文章を寄稿することになるとは。


そして、7月。

『逍遥通信』第七号が刊行された。

カラー頁も含め431頁というボリューム、外岡さんへの想いが伝わる


朝日新聞時代の貴重な資料や若き日の外岡さんの姿もみることができる


記者時代に、身を明かさず書き続けた小説の生原稿も掲載


社会には厳しく、そこに暮らす人々に温かく目を向けるジャーナリストだった



拙稿だが、ぼくの文章も掲載されている。

外岡さんの遺稿を受けて、伝えたいことを振り絞って書いた。


ぼく自身にとって、外岡さんとの出会いは、短いながらも生涯忘れることのない密度の濃いものであった。

外岡さんは最期の著書『価値変容する世界』の中で、コロナ禍という社会的病を「これほど大きな犠牲を、無駄に終わらせてはならない」と憂いながらも、コロナ禍で見えた「限界」に新たな「可能性」も感じていた。

残されたぼくたちが、どんな未来をつくっていくか。

向こう側から見守ってくれているに違いない。

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