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はじめに。 Part1

【ご挨拶】

お久しぶりです。
お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。

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文を書くのは好きなのですが、なかなかやるぞ!!!っていうモチベーションまで上げていくのって難しいですよね。またもや3日坊主になるかもしれませんがご愛敬で、、、

ところで、昔はこういう執筆活動を「筆を執る」なんていいましたが、今の時代、机に向かって紙に書くなんてことはほとんどしなくなりましたね。最近筆を執ったのは、法人クレジットカードの申請くらいです。めちゃくちゃ落とされました。信用値なさ過ぎて草。どこかのラッパーが、「鉛筆を持て、鉛筆には電気伝導体が入っている。私たちには、電気が流れている。今だけをしたためろ。」なんて言っていましたが、確かに鉛筆ってなんかいいですよね。人類は何かを得るために、何かを失ってるんだな~って思いました。(この音源が気になる人はこちら ↓↓↓)

【はじめに】


さて、本日から「yakumo's memory」をテーマに記事を書いていこうかなと思います。(八雲っていうのは、昨年立ち上げた会社の名前です。)

なぜ突然?と思うかもしれません。本当は会社を立ち上げた昨年の10月からずっと書きたかったのです。尊敬するCyberAgentの藤田晋さんもブログを書いていました。その時に何を考え、どう行動したかが読み取れるのですが、これがすごく面白くてためになるんです。

就活する際に自己分析をすると思うんですが、この作業は日常でやってこそ価値があると思っています。就活でやる、今の自分を知るために過去の自分の価値観や行動基準を知ることってすごく大事なんですけど、あくまで価値観などは歳を重ねるごとに変わっていきます。だから、今ある日常を見つめ直すこともすごく大切だと思ってます。あの有名なイーロンマスクも、「経営者はほかの人よりちょこっと多めに自己分析すべきだよね~」なんて言ってたはずです。多分。

そんなこんなで僕はずっと、会社を始めてからの考えをしたためたかったのですが、ず~っとモチベが上がらず後回しにしていました。会社を始めて半年。やっと事業も定まってきました。始めるなら今しかないと思い、ようやく筆を執る決意をできたのです。

まあ、更新頻度は高くないと思いますが、ふらふら~っと書いていこうかなと思っております。

起業からの道のりをたどるために、まずなんで起業したかを書こうと思います。そして、なんで起業したかを考えるには、私の生い立ちからお話せねばなりません。

【生まれ~公務員志望編】

わたくしは宮崎の佐土原というところで生まれました。なんも変哲もない土地で、ご当地グルメといえば謎の「くじらようかん」があるくらいです。

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調べてみると佐土原の藩主の子が生まれたときに「鯨のように大きく、力強く育ってほしい」という想いがこもっているようです。当時僕はこれが好きで食べていましたが、中学入学時は142cm28kgという華奢という言葉では足りないくらいに痩せていたので、このお菓子の想いは成就していませんね。

そんな田舎の土地なもので、田舎あるあるの「公務員になることが正義」と教わり育ってきました。なので、大学も鹿児島大学法政策学科というところに進学しました。法律学んどけば公務員なんて余裕や!!!っていうマインドです。

大学1年~3年までは将来なんて何も考えずに、バイトや旅行等よくある大学生のような自堕落な生活を送ってました。公務員になるし、別に何も考えなくていいや~って。3年になって、さすがに公務員講座は受けとくかって思い、講座を受講したのですがここが最初の運命の分岐点でした。

山のような教科書を前に、ぎりぎりの崖に立つヤギのように震えていた僕

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その前に彼が現れたのです。(名前は全く覚えていませんが、頭がつるつるでふくよかなBODYをしたおじちゃんです。)

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めちゃくちゃ似てる。

そのおじちゃんは、商社で働き、世界中を回った後、東京大学院で人類学の勉強をし、公務員予備校の先生になったという異色のキャリアの持ち主です。その方が社会系の担当だったのですが、めちゃくちゃ講義がおもろいんです。「ドイツには~~ってbarがあってね、ソーセージがめちゃくちゃうまい」とか「ベルリンの壁崩壊を目の前で見た」とか。

その時にふと思ったんです。こんなやべえ量の教科書を勉強して公務員になってもこんな人生送れないのではないか??と。何となくで公務員を目指していた僕にとって、これは晴天の霹靂でした。

こうしちゃいられねえと、その休み時間に親に「おいらは公務員にはならねえ!!」とだけ言い残し、電話を切りました。親は元から公務員には向いてねえだろと思っていたらしいです。さすが親。

【就活編】

とはいえ、何がしたいなどという、もちもちもちモチベも明確ではない私に残された道は一つ。そう、就活です。

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最近似ていると言われます、不服です。

とりあえずは就活を始めねばと、インターンを探してみました。そこで、運命的な出会いから「福岡魅力発見プロジェクト」というインターンに参加することになったのですが、これが第二の分岐点です。

そのインターンには、福岡のベンチャー企業の社長数名と全国から選ばれた16人の学生が参加していました。「選ばれたって何を気取っとるねん、優秀アピールか」と思われるかもしれません。実は知り合いの補欠で参加できただけです。本当は、鹿児島から別の優秀な奴(そいつはキーエンスに行きました。)が参加する予定だったのですが、留学と重なったらしく、学科のLINEで誰か代わりに参加しませんか~と募集をかけていました。就活を知らない僕は、「福岡っておもろそうやん?」という理由で応募し、たまたまいけることになりました。これが人生を変えるなんて、運命的ですよね。

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インターン参加時のワイ。人生で一番さわやかだったと思っています。

さすが選ばれた15人。起業してるやつから学生団体の代表をしている奴まで幅広い優秀な奴が集まっていました。一方の僕は、ボランティアしかしたことがありません。圧倒的な戦闘力の差に、ベジータになっていました。

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そのメンバーやベンチャーの社長さんと10日間過ごして僕はあることに気づいたのです。

「ワイは空っぽや、、、」

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周りの学生は「~をしたいから、~に就職したい。」、周りの社長は「~な人が困っているから、~をするために起業した。」と明確なモチベーションをもとにいろんな活動をしていました。周りの人たちが眩しくて、かっこよくて。それに比べて僕は何もないな、と思ったのです。

どうやったらこの人たちみたいに輝けるだろう??と考え、僕には価値観を形成する経験がなさすぎるんだと気づきました。輝いている人を目指し、とにかく行動を始めることにしたのです。

【学生団体編】

行動を始めようと考えたのはいいものの、何をすればいいかわからない僕。まずは行動している人に会おうと考えました。

「福岡魅力発見プロジェクト」で仲良くなった福岡の友達に、鹿児島で面白い人知らない?と聞いてみたところ、ある人物を紹介されました。この人たちとの出会いが次の分岐点になりました。

紹介されたのは次の二人。「一戸悠里」と「田所さん」です。

当時、一戸悠里は、学生団体YOUTH SENSEを立ち上げていました。「夢追い人で溢れる鹿児島を創る」というVISIONを掲げ、クラウドファンディングを実施し、リアカーを作って、coffeeの移動販売をしていました。

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初めて会った時に何を話したのかまでは覚えていませんが、「一緒にYOUTHやろうよ。」と声をかけられ、YOUTH SENSEに入ることになりました。

時を同じくして、田所さんに会いました。田所さんは、エンカレッジという学生団体でマネージャーをしたり、なんか色々してました。そこらへんはよく覚えてません。いろいろ話して、なんやかんや一緒に学生団体を作ることになりました。これが僕が最初に作った学生団体「かごCan」です。

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めちゃくちゃ懐かしい。

この2足のわらじで僕の学生団体編がスタートしました。

【YOUTH SENSE編】

YOUTH SENSEでは、最初企画班に所属しいろいろ企画して、HR所属になった後は、メンバーの採用や各チームの支援などをしていました。今思えば、全くValueを発揮できていない口だけ達者な奴だったな~と思います。とは言え、YOUTH SENSE全体としては、いろんなお祭りに出店したり、実際にcafeをopenしたり、ゲストハウスを作ったり、メディア「+YOUTH」を作ったり、進撃を続けていました。

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cafeです。もうありませんが…泣

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ゲストハウスです。僕も住んでました。

メディアです。おすすめ記事は、竜ヶ水駅、マジで降りる人0人説です。

【かごCan編】

かごCanでは、「鹿児島の大学生に活気を」というVISIONを掲げ、鹿児島の学生団体を紹介する「学生団体パラダイス」や活気ある大学生を紹介する「かごしま学生カンファレンス」、学生カンファレンスの中高生版「中高生カンファレンス」など様々なイベントを実施していました。価値観の形成機会が少ないのが課題だと思っていたので、いかにその人の価値観をゆすぶる機会を作れるかを考えていました。メンバーの田所さんとかほさんに、イベントの企画について徹底的に叩き込まれたおかげで今の僕があります。ありがとうございます。

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学生カンファレンスです、いい笑顔。

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中高生カンファレンスです、めっちゃ集まった!!

【学生団体を通した気づき編】

そんなこんなで鹿児島の学生や社会人の方々と触れ合う中で、「鹿児島の就活って遅れてるんじゃね?」と考えるようになりました。

鹿児島の活性化を考えたときに、鹿児島の収入を増やさねばなりません。鹿児島の収入を増やすには、働く人たちの生産性を上げる必要があります。しかし、鹿児島の就活システムでは、生産性を最大化できるのか?と疑問が湧いてきました。

福岡や東京などで就活をしてきた私は、就活を通して、自らの働く意義やモチベーションを見つけ、キラキラした未来を思い描く学生をたくさん見てきました。しかし、鹿児島では「とりあえず就職できればいいや」ってなっている学生が多いな~という印象です。モチベーションが最大でない学生が入社したとしても、それでは生産性が最大化できないと思います。

これは学生が悪いのではなく、あくまで就活システムの問題です。いまだに鹿児島の大学の就活講座では、「第一印象が決め手です、スーツの着方はこうです、面接はこう受けましょう」など、受かるための手段ばかりが語られます。

就活において大切なのは、あくまで自分が何を成し遂げたいのかです。「そこを中心にした就活価値観を形成する機会が、鹿児島にはめちゃくちゃ少ないぞ!?」とコナン君のような名推理をしたわけです。

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そんな名推理をした僕は、YOUTH SENSEでYOUTH LIVEというチームを立ち上げました。ここがまた僕の分岐点です。

と、ここまで書いてきたのですがめちゃくちゃ長くなっていることに気づいたので、はじめにを分けることにしました!こういうパターンの時は大体②が出るのがめちゃくちゃ遅くなるのですが、、、

とりあえず自分が動き始めたきっかけはかけたかなと思います。ここからなんで起業という道のりを選んだのか。ぜひPart2をお楽しみに!!じゃ~の~!!


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