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一張羅とスウェット

 ようやく、腰をあげる。
腰も気もこんなに重たいのに、その下にずっとあった座椅子が軋みもしなかったのが不思議だ。手にとるだけでろくに捲られもしなかった本を、代わりに座らせてやりながら立ち上がる。
 休日に、うっかりしてしまった約束が時針の上から私を絶えず急き立てるせいで、何をするにも気もそぞろのまま、半日が時計の盤面に吸い込まれていった。そんな時計を横目に部屋を出る。

 部屋着のスウェットのまま、洗面台の鏡の前に立ち、ひとまず顔を洗って、どんな服装にしようか考え始める。
 似合っているよと褒められた服を、鏡の中の自分に合わせてみる。それは私にとってはかなり背伸びをした服装で、それを着せられた向こう側の私はどこか気後れをした表情でこちらを見つめる。私も、彼女と同じ気持ちだった。普段、職場の制服姿でしか顔を合わせない彼にすすめられるままに買ったその一張羅は、いつもクローゼットの奥にしまわれたままだった。クローゼットの中で、他の愛着のある普段着たちと並べられたそれは、まさに住む世界が違うようだった。


 物思いから我にかえると、スウェットに着替えた私がこちらをうかがっている。それは、とても彼女に似合っているように見えた。その、手入れの行き届かない眉毛や、自信なさげな表情が一番のアクセサリーだった。フード付きのパーカーの袖が私の細い親指の付け根までを覆い、鳩尾あたりまであげたジッパーの上から覗く鎖骨は、紺色の生地の海に現れた白波のようだ。肩に届く程の長さの襟足が、フードに達して緩く弧を描く。それはある種の、一つのデザインとして完成されているように思えた。

 それでも彼女を約束に連れ出すわけにはいかなかった。彼女は美容院のカタログには決して載らないし、ショーウィンドウのマネキンにも真似されることはない。電車の中でも、道を歩くにも端っこにいるべき人だ。卒業写真に目もくれないし、同窓会にも行かない。そういう彼女を、彼に会わせるわけにもいかなかった。

 制服というものはすごい。それに身を包んだ私は、私ではなくなる。地味で冴えない彼女は、そのあらゆるしがらみから脱して、店員という、大樹の伸ばした枝葉と化す。虫食いのあるものも、教室で休み時間の使い道に困ったことがあるものも、文化祭で髪にメッシュを入れたことがある人も、枝葉であることに違いはない。あらゆる個性もただの枝葉と化し、その幹に養分を送るだけの装置になる。繁った葉を演じていれば、たちまち美しく映えてくれるのだ。

 それだけなら良かった。その中の一枚でいられたなら良かった。そこから切り離された私にルーペをあてられることがあるとは思わなかった。嬉しかった。最初だけは。新緑に輝いてみたり、紅葉に染まってみたり、それに対して感動する人があることがただ、幸福だったりもしたのだ。

 でも、と鏡を見る。それは私ではなかった。鮮烈な緑も、綺羅のような紅も、鏡中の人には似合わなかった。枝を離れた落葉に、巡る四季を演出するような栄養は残っていなかった。あの人は大樹の成す紅葉に染まった私を美しいと言ったのだ。色を失っていく虫食いだらけの一片には、どうだろう。

 ルーペによって集められた光が私を焼く。頭上にかざされたレンズはきっといつまでも新緑を望む。鏡の前の私は、実はこの変わった虫の食み跡が好きなのに。家を出る時の私は、きっと紅葉をまとっている。

 隣の部屋のどこかでアラームが鳴っている。壁越しに、時針の上からの視線をはっきりと感じる。知らぬまに伏されていた視線を持ち上げ、鏡の中の自分に一張羅を着せる。鏡を挟んで向かい合う一張羅とスウェット。やがてこちら側も一張羅に変わる。もう行かなければ。スウェットにくるんだ想いを、鏡の間に閉じ込めた。

本、映画、音楽など、数々の先達への授業料とし、芸の肥やしといたします。