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書きかけの人生を、ひとつづつ閉じていく
人生何事も容量が決まっている。限界がある。
生きる時間にも、愛せる人間の数も、見られる世界も科学の進歩も人間の心も。
だから、なにか新しいことをしようとするときには必ず何かを捨てなければならない。むしろ、何かを捨てられてから、何かを始められるというものだ。
人生を全うすれば、風呂敷を広げるだけの生活をするのが普通だ。夢を夢として語り、愛や人生を各々好き好きに描く。理想はいつだって中途半端で、見える景色はいつも自分の見えるものだけ。
そうやって広げた風呂敷を閉じていくのも人生として受け入れるべきだろうと思う。何が得られたか、考えてもわからないことも多いけれど、私の人生は私で閉じていかなければならない。
もし何かを始めようとするなら、何かを捨てる意味でも、区切りをつけ、綺麗にして次に向かえたらいいよね。科学的ではないけれど、なにか儀式的な感覚で、閉じられた風呂敷の数だけ、次の人生がうまくいく気がする。
愛も夢も人間関係も全部そう。
オチはいらないけれど、終末は必要。
最後にしないでいいから、一旦そこまでにしとこう。
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