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自己矛盾と就活
会社の人事が新入社員や就活中の学生の裏アカウントを特定すと言う記事を見た。以下の記事を参照のこと。
https://nordot.app/901741994541629440
技術の発展と、アルゴリズムの最適は恐ろしいものだ。よもや僕がこんな恥ずかしい文章を書いていることを、人事のおじさんに見られる時代が来たか。
裏アカウントの発現は表で言えないことの発露である。しかしそれは裏で言いたいことではない。
例えば、毎日お弁当を作っていたとして、それは私の本籍を明らかにしてまで人にひけらかすものではない。
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パチンコで大当たりしたことを人に言いたいがそれを特定ではない誰かに言えればそれでいい。
裏アカウントは一つに限らない、私たちが社会の中で持つ顔は複数ある。
同時に言いたいのは、これら複数の顔は全てどこかしらの社会の中での表の顔であるということである。
SNSにもゲームにも人間はいるし、社会はある。その社会のルールに収まって、生活をこなしている。
大学に通う裏の顔はここでお気持ち表明をすることだが、大学では大学のルールにちゃんと従う。
例え人事が別の社会での私の顔をのぞいても、その世界にいるのはその世界の私であり、人事課長のいる世界の私ではない。
人間の自己同一性は幼い頃から磨かれ、同一性をなくすと多重人格だとレッテルを貼られて追いやられる。
私が私たるところがなんなのかはっきりしないまま生活している。
どの時間軸で、どのコミュニティにいても私は私であらなければならないと思うときがある。
自己矛盾を嫌うのである。
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表の顔と裏の顔は、真正面から反対でも良いと思う。自分に矛盾を抱えていいと思う。子供の前ではいい親でも、夫の前ではいい親じゃなくていいと思う。もっと楽にいろんな顔を使い分けるべきだ。
私はいつも私であり、果たして私かどうかの証拠はない。同じ視点で同じ戸籍を持つ私は寝て起きても私だ。
光苔太蔵
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