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受け取らなかったプレゼント

矢部太郎さんの本を読んで、ほっこりした。

絵にもほっこり

本の帯に書いてあるとおり、深くてほっこりした。その中で「あげるともらう」のエピソードは、グサッと刺さった。

どんなエピソードかというと、矢部太郎さんがある女性にお土産あげる。すると、その女性から「この前のおいしかったです」とプレゼントをもらう。

そして今度は「この前はどうも」と言って矢部太郎さんが女性に飲み物をあげる。

そんな風に「あげるともらう」を繰り返すうちに、美術館に一緒に行ったりする中になっていく。

ある日、女性が「今日は私がご馳走します。私が誘ったし…」というと、

太郎さんは
「あ・・・いや・・・」
「それぞれではらいましょう」といった。

受け取らなかったプレゼント・・・

そして、気づけばその人との繋がりが途絶えていた。そういうエピソードだった。


矢部太郎さんの、その時の気持ちがすごく分かる。相手に支払ってもらうなんて申し訳なくて、これからも関係を続けていきたいからこそ、遠慮して「それぞれではらいましょう」と言ったんだということが、すんごく分かる。

そして、女性側の方の気持ちも分かる!これからも、関係を続けていきたいからこそ出てくる「今日は私がご馳走します」の言葉も、その気持ちを受け取ってもらえなかったことの淋しさも、想像できる。

そんな切ないすれ違いで、2人の繋がりが途絶えてしまった訳なんだけど、これって、結構ありがちな話な気がする。

もしかするとこれって、物や気持ちのプレゼントだけじゃなくて、褒め言葉についてもそうかもしれない。

人から褒められた時「なんとなく嘘くさいな~」と感じたり、見当違いな褒め言葉だと思ったりして、素直に受け取れない私がいた。

あるいは、褒められることが嬉しいんだけど恥ずかしい気持ちの方が上回って、ちゃんと「ありがとうございます、嬉しいです」を伝えられなかった。

「いえいえ、全然そんなことないですよ~」
「わたしなんて、全然、〇〇さんの方がすごいですって」とか言ってたね。

ある意味、それも、プレゼントを受け取らない行為だったんだと気がつく。

せっかくの言葉のプレゼント。
例え、的外れだと感じる時があっても、その言葉の裏側に隠れている優し気持ちの部分だけありがたく受け取れば、それで良かったんだよね。

言葉のプレゼントを贈っても、受け取ってもらえない時の悲しさも、今なら少しは分かる気がする。

「あげるともらう」 両方大事

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