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マスクが届いたよ

家族関係についてはすごく恵まれていたように思う。
サラリーマンの父と専業主婦の母、5歳上、2歳上の姉ふたり。待望の末っ子長男として爆誕した僕は、蝶よ花よマリファナよと、ずいぶんのびのび育てられた。もちろん細々とした躾のようなものはあったが、両親からひどく𠮟られた記憶はほとんどない。僕も僕で「あまり人から𠮟られたくない、というか世間から過度に甘やかされたい」という基本スタンスが三つ子のころから確立しており、あまり悪さをしない子どもだったので、親としてもそんなに𠮟る必要がなかったのだと思う。ちなみに悪さとは殺人、放火、寸借詐欺のことのみを指すが、僕はそういったことを一切やっていないので、やはり本当にいい子だったと言える。僕の幼少期について、母は「なんかあんたは勝手に育った」と述懐している。

むしろ悪事よりも積極的にかわいがられに走るタイプで、愛される嗅覚に長けた子どもだった。家事を手伝えば母は喜んでくれたし、勉強をがんばれば父は喜んでくれた。そこですかさず「欲しいゲームがあるんだけど」と交渉を決め込めば、ほぼ商談はまとまった。僕は愛をお銭々(おぜぜ)に換える優秀なネゴシエーターだった。一方、祖母なんかは僕がただそこに存在するだけでいつも親に隠れてお小遣いをくれたし、もちろん僕はゴロゴロと喉を鳴らして祖母に懐いた。祖母に貰ったお小遣いの半分で花を買って祖母を喜ばせ、さらに倍のお小遣いをリターンとして受けた。愛をFXか何かだと思っていたのかもしれない。なお、このころに培ったヒモとしてのジョブスキルは20代半ばに見事に開花するのだが、それはまた後日改めて。

前置きが長くなったが、今日書きたかったのは母の愛について、だ。

ウチの母の家事スキルは非常に高かった。小さいころには母が作ってくれた洋服を着ていたらしく、近所のおばさんに「いいお母さんね」と褒められた。毎日の手料理はとてもおいしかったし、友だちが遊びに来たときにはよく手作りのおやつをふるまってくれた。ドロドロに汚れた部活のラガーシャツを文句も言わずにキレイに洗ってくれていたし、掃除は比較的ズボラなところもあったが、それでも家はいつもキレイだった。姉はよく母親と口論をしていたが、僕はこれといって大きな反抗期もなく、ちょっとウザいけどまぁ母親ってこういうものだよね、みたいな感覚で生きてきた。当時は当たり前のように受けていたひとつひとつが無償の愛というものだったと気付いたのは、18歳になり実家を出てからだった。

就職で東京に出て以来、冠婚葬祭のときくらいしか実家には帰っていないし、とくに用事がなければ連絡もしていない放蕩息子っぷりである。そんな僕を今でも母は母なりに想ってくれているのだろう。このコロナ禍で東京に緊急事態宣言が出た際には、さすがに安否を気遣う連絡が届き、必要なものがあったら送るからと言ってくれた。「別にマスクが手に入らないぐらいで、そんなに困ってないから心配しないで大丈夫だよ」と返信したところ、昨日実家からレターパックが届いた。中にはサージカルマスクが40枚ほどと、母の手作りマスクが2枚入っており、母のメモが添えられていた。

「元気ですか? 自粛生活で疲れているでしょうが、コロナを拡げないように。ちょうど手に入ったので、使い捨てマスクを少しですが送りますね。あと、マスクガーゼがなくてガーゼハンカチで手作りしてみました。こっちは洗って使ってみてください。 母より」

このご時世に本当にありがたいなと、心が温かくなった。そうだった、母はいつだって優しく僕を見守ってくれたのだった。その気持ちが嬉しかった。



そして見て欲しい。これが母の愛の形である。




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いや、でけーわ。母の愛、マスクのサイズで示してんじゃねーよ。息子を巨人か何かだと思ってるだろ、これ。そして柄な、柄ヤベーだろ。たしかに高校時代にバーバリーのマフラーが流行ったけど、僕がほしかったのはバーバリーチェックのマフラーであって、マスクではない。思わず寝起きに自撮りしてしもーたわ。

でも、そういえば、そうだった、母の愛ってこういうやつだったわ。アベノマスクより先に届いたハハノマスク。このズレた感じこそ、まぎれもなく母の愛だわ。

ほんと、ありがてぇなぁ(白目)