見出し画像

同期40人中39人が辞め、1日400件電話する日々でも辞めなかった理由(2/5)

株式会社WAVES代表の近藤氏は、半導体材料の輸出入・開発支援という盤石な事業がありながらビジネスコーチング事業にも乗り出している。その背景について聞いていくと「リセット」「勉強」「実践」「着想」といったキーワードが浮かび上がってきた。どんな人となりでどんな事をしてきたのか、コーチングとは具体的に何をしていくのかを掘り下げていきます。
記事一覧は、こちら

─それでギリギリになってから決断したと。

近藤:ギリギリでしたね。それでどうしようかと思って、学生課から「この会社はうちのOBも行っているから、一回受けてみたら?」と言われて「じゃあ行ってきます」くらいのノリで受けてみたら本当に受かりました。そこはゴリゴリの営業会社だったのですが、元々ホームページをチラッと見たくらいでほとんど何も調べていなかったので、そんな会社だとはまったく知りませんでした。

─本当に比較検討もなく、教えてもらって一社だけ受けてそのまま飛び込んだんですね。

近藤:すごい熱い会社だなあ、実力主義なんだなあ、って思いました。

─苦労知らずと言われていた寺の子が、実力主義のゴリゴリの会社に入られたわけですよね。

近藤:元々、年功序列はすごく嫌で、先輩後輩がどうのこうのというよりも実力主義的なほうがいいなと思っていたんです。そんなところにこの話が来たから、いいじゃんと思って入ってみたら超実力主義の会社で。

─超実力主義って、どんな感じだったんですか?

近藤:シンプルに、結果を出したら給料が増えるし出世もします。結果が出なかったらすごい怒られるし、結果が出るまでやらされます。でも怒られた記憶はあまりないんですよ。経験があろうがなかろうが、やったらやっただけ結果が出るような仕事でしたし、諦めずに数をこなせばOKっていう世界観の会社でした。実際、諦めずにやっていたら結果が出ちゃったので、新人王を取って給料が増えたり、役職もついたりしました。

─若いうちからってことですよね。

近藤:結局その会社は2年間しかいなかったのですが、入社して1年後には同期40人のうち僕しか残っていませんでした。みんな辞めていきましたね。

─「苦労知らずの寺っ子」が40人中39人が辞めるような会社に入ったら、それこそ一番に辞めそうなものじゃないですか。でも実際は真逆の結果になったんですよね。就職前までの人生ではつらいと思うような経験ってなかったと思うのですが、どうしてそんなに頑張れたというか、会社に残ったんでしょうか?

近藤:寺に帰りたくなかったんです。あれだけ啖呵切って実家を出てきているから、1年そこらで簡単に帰ってしまったら一生頭上がらないし、そんな途中で諦める自分自身も嫌だったので、死んでも結果を出さなければと思って。

─就職した理由もそこだったんですね。

近藤:はい。家に帰りたくなかった。父親と不仲というか、父親の方針とも相容れなくて。帰ったら当然従わないといけないので帰りたくなかった。それに加えて苦労をしたかったという二本立てですね。だからこんなところで諦めてないで、しっかり結果を出さないといけないと思って、当時はすべてをかけるぐらいの気持ちでやっていました。

─営業で若いうちから数字を出す人って、めちゃくちゃ負けず嫌いとか体育会系で達成が好きというような、すごい戦闘能力高そうな人のイメージがありますよね。でも近藤さんは今までそういう経験は全然ないし、人と競いたいとか天下を取りたいって感じでもない。

近藤:ないですね。数字は好きじゃないし天下取りたいとも思ってないです。ここで結果を出さないと自分の存在が終わってしまうという、自分との闘いでやっていました。

そしたら気づいたら残っていましたね、がむしゃらに走っていたので。最初はもう「ビジネスって何?」「営業って何?」っていう状態でした。普通の家庭だったらお父さんがサラリーマンをやっていて、仕事の話が少なからず出るだろうとは思いますが、うちの場合はそんな話はもちろん出てこないですから。

誰々さんちのおじいさんが亡くなられたとか、人間関係の悩み事があってとか。だからビジネスで儲かるとか儲からないとか、受注が取れたとか取れないとか、そんなことは何も知りませんでした。

─そうですよね。しかも普通の人なら、就活に向けていろんなこと考えながらちょっとずつ段階を踏んでいくけど、近藤さんは予備知識や心のイメトレがないまま社会人になって、いきなり自分と闘って。

近藤:だから丸腰もいいところですよね。「物を売るって何?」っていうレベルでしたからね。もちろんバイトでバーテンしていてお酒を売ったりはしていましたけど「BtoBって何?」「物の良さを伝えるって何?」って状態で、ビジネスなんてまったく意識していないところからのスタートでした。

─その状態で新人賞を?

近藤:そうです。

─新人賞を取れたのは、自分のどういう能力や行動のおかげだったと思いますか?

近藤:喋るのは得意だけど、喋るのが得意でも売れない人は売れないですからね。だからテクニックとかじゃなくて、数をやるしかないですよね。

─なるほど。他の人よりもセンスやテクニックがあるというよりは、命を懸けてとにかく行動すると。

近藤:営業研修で理論の説明をされても、量をこなさないと真の意味はわからないと思います。ロジックとしての意味は分かっても腹落ちしてないから、「売るって何?」の状態なんです。だから数をこなして「これが売れるってことか!」という体験を積み上げていく。

さらに先輩や上司からアドバイスをもらったりすることで、理論と実践がどんどん血肉化されていくわけです。数をこなしていく分、失敗のデータベースはいっぱいあるから、何がダメでどこが良かったかというのも見えてくるようになりました。それこそテレアポなんて1日400件かけていましたし。

─1日400件ってあり得ないですね。

近藤:かけていましたよ。

─どういう時間配分でやるのか想像もつかないですけど、とりあえずかけていたんですね。

近藤:電話番号を押すときなんか、指1本で押さないですから。同時に2~3本使います。あとは家に帰ってからも、テレアポトークのロープレを死ぬほどやりました。シャワーしながらとか。

─ひとりロープレを。

近藤:口がトークを覚えてないと、詰まってしまって変な間ができたりして、それで電話を切られちゃうので。まずはトークをちゃんと頭に入れておかないといけないし、覚えているだけじゃなくて口から流暢に出るようにしたほうがいいなと思って、めっちゃ練習しました。努力家でしょ?

─ストイックすぎますね。その原動力は改めて何だったのでしょうか。やっぱり家に帰りたくないからですか?

近藤:帰りたくない。

─それが本当に大きな要素だったんですね。

近藤:帰りたくないですよ。だって、それで結果出さずに帰ったら負け犬だと思われてしまうし、「そら見たことか、お前みたいなモン社会に出てもアカンやんけ!」ってなるのも癪だったので。

それで帰ったとて、自分自身が負け犬の状態であることが嫌だし、周りの人にとっても嫌じゃないかと考えたら、やり切るしかないですよね。

─この場所で生きると?

近藤:そうです。突発性難聴になりながらやっていましたよ。とにかく結果が出るまでやりたいなと。そうして新人王を取って以降、だんだんと勘どころのようなポイントが見えるようになって、新しく入った後輩にもアドバイスができるまでになりました。

─それだけやれば経験値も上がるし、教えられることも山のようにあるでしょうね。

近藤:結局その会社には2年間しかいませんでしたが、色々やりました。最初の1年では営業、次の1年は人事で採用・教育・労務など、いわば会社説明会から退社手続きまでやっていましたね。

─2年目でだいぶ手広くやっていますよね。

近藤:人事関連のことは全部やりました。人事になって、労働基準法はほぼ全部覚えました。従業員からのクレームがとにかく多いわけですよ。そんなときに、労基法で言えばどうとか、ハローワークさんとの対応はこうでとか。あとは、こういう勤務体系を作りたいって相談するためには覚えておかないといけないから、逐一頑張りましたね。

─それって子供の頃からそういう性格だったんですか?

近藤:いや全然。

─社会人になってから突然スイッチが入った?

近藤:そうかもしれません。だって、私に対する実家の家族のオフィシャルイメージは今でも「昼になって起きてくるぐうたらな奴」ですよ。

高校受験のときはそこそこ頑張っていたけど、ストイックというほどやっていたわけでもなく、やっぱり社会人になってからですね。特に命がけで頑張るというのは大人になってからですね。部活も体育会系ではない上に、中学校のときはよくサボっていたくらいです。

─そこから入った会社がめちゃくちゃ体育会系だった。本当に未知の世界に飛び込んだ感じですね。

近藤:そうですね。だから自己啓発のような自分を変えるということではまったくなくて、とにかく家に帰りたくない、とにかく人生を切り開いていかなければいけないという気持ちでした。あとは現実問題、食べていかないといけない。

そうなると、当時は転職という考えはありませんでした。そうこうしていたら結婚して、ある程度仕事についても考える余裕ができてきたので「既製品を売るんじゃなくてものづくりに携わりたい」と思うようになりました。

それでご縁があって2社目へ行くことになり、半導体材料や電子部品材料関連の仕事がスタートしました。既製品を売るのが3~4割、カスタム対応が5~6割という開発営業担当みたいな仕事から始まったんですが、その会社には12年弱いることになりましたね。

つづく

(聞き手:Shovell インタビュアー 加美雪絵)
https://twitter.com/proud_career

つづきは下記を(3/5)!!


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?