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発掘された「選手」と発掘されなかった「アスリート」を想う。

「アスリート」と「選手」の違い

Q:もし子供達のハンドボールの指導にコーチとして携わるとしたら、皆さんはまず何を優先しますか?

・優秀な選手を育成し、そのあとで優秀なアスリートを育成する。

・優秀なアスリートを育成し、そのあとで優秀な選手を育成する。

まず第一に、この質問の意味が分かった方はそこまで多くないと思います。私自身、この質問の意味が初めは全くピンときていませんでした。

この質問が出てきたのは、最近ハンドボールの授業で読んでいる「年代別の指導方法」という本の中です。ざっくりと説明すると、子供達は年代や性別によって身体、またメンタルの性質が異なっていて、各年代でどんなことに気をつけてトレーニングするべきなのか、どんな内容のトレーニングをするべきなのかを留意しながら指導すべきだという内容です。

Dr. Zoltdn Marczinkaさんというハンガリーの方が書いている本です。

質問に戻ります。

この質問を理解するために必要な作業は「選手」と「アスリート」をしっかり区別することです。日本語ではこの二つの単語はほとんど同じように使われます。

国語辞典で意味を調べてみました。

「選手」

1:競技会・試合などに選ばれて出場する人。「オリンピック選手」
2:スポーツを職業にする人。「有名な野球選手」
「アスリート」

1:スポーツや、他の形式の身体運動に習熟している人
2:スポーツや、身体的強さや俊敏性やスタミナを要求されるゲームについて、トレーニングを積んだり、技に優れている人のこと

多くの解釈がありますが、大体こんな感じです。

このように「アスリート」という言葉は「選手」のように「単なるプレーヤー」としての意味を超えていることがわかります。「選手」が試合に出場する人、またスポーツを職業にしている人と書かれているのに対して、「アスリート」は「様々な形式の身体運動に習熟している」や「技に優れている」というより人のソフトウェアにフォーカスが当たっているようにも思えます。

その本の中では、”子供達が年齢に適した運動開発のステージを経ること、また必ずしも高い競争レベルではない様々なスポーツを試すことが、その後その子供が本気になって取り組もうと思ったスポーツ種目で高いレベルを目指すための基盤を作る。”と書かれていました。

この質問を理解したとき、ある情景が思い浮かびました。先日のブログにも書いたような子供の時期から試合に勝つために「選手」として育てられてきた選手達のプレーです。

発掘できなかったアスリートがどれだけいるか。

ただ、今の現状から考えると、小さい頃からスポットライトが当たっていないとその後誰からも注目されない事実があると思います。正直日本のタレント発掘のシステムが幼少期からのチャンピオンシップ制によって、成功しているのか、失敗しているのかは今の段階ではわかりません。

小学生から全国大会で優勝し、中高と強豪校へ進学、大学も一部に所属するチームへと進学。この流れがダメだというつもりは毛頭ありません。むしろ、今大会の日本代表にもそのようにして勝ち残ってきた選手は多いです。

厳しいトーナメントが試合の経験値を選手に授ける。そうした「強い」プレーヤーはどんどん卓越したプレーヤーとしての階段を駆け上っていくでしょう。

しかし、子供達の成長は様々で多様性に富んでいます。全国大会、トーナメントという「単なるモノサシ」に振り回され、本来なら有望だったはずのタレントが途中でリタイアしてしまった。という例は皆さんの身の回りにも多いはずです。

高校時代、怪我をしては復帰し、また怪我をして、結局3年間でまともにプレーできた時間は本当に僅かだった。という友人がいます。

年間を通して練習の強度がほとんど変わることがなかったため、怪我がなかなか治らずに、その後大学で利き腕でのプレーを断念しました。

そういったプレーヤーが大学で毎リーグ試合に出ていれば、日本リーグを盛り上げる素晴らしいシューター、強靭なディフェンダーになっていたのかもしれません。

この先、その可能性を潰すような環境であってはやるせない。それが今の私の意思です。

さて、改めて皆さんはこの質問に対してどちらの答えを選びますか?

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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本日もお疲れ様でした!

筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽

2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。