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ホイスコーレの友人に言われた一言が、留学生活の後半を一変させた話。

今回はタイトルにある通り、僕の留学体験記です。
長くならないように早速本題に入ります。

僕は約10ヶ月の留学の始め、地元の3rd Dividionのクラブチームに所属していました。デンマークリーグはトップのリーグのことを「リーガエン」と呼び、その下のリーグから1部、2部と数えます。

つまり、実質的に僕らのチームは4部に属していました。
レベルに関して、あくまで僕の身の丈から感じたことなので半信半疑で受け取っていただきたいのですが、3部でもかなり動ける選手たちでした。

6試合ほど終えて、1試合平均7点くらい。サイドへの展開が少し少ないと感じていましたが、速攻で得点を重ねてなんとかプレーしている状況でした。

ある日のホームゲーム、お昼過ぎのゲームを控えホールで朝食を取っていました。
そこで、グリーンランドから来ていた「ミア」をなんとなく試合に誘いました。
「ミアー、今日ゲームがあるんだけど、もし暇なら見にきてよ!」

ミアは28歳でホイスコーレの中では年上、彼女自身ハンドボールをしていて、デンマークリーグの1部でプレーするかなり上手な選手でした。
話をよく聞いてくれて、僕の中でお姉さん的な、とても信頼している友達でした。

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(向かって右隣にいるのがミア。)

その日の試合は、惜しくも1点差で負けてしまいました。
サイドへの展開も少なく、速攻だけで得点を重ねる展開。

試合後、ミアが言ってくれた一言で僕の残り半分の留学生活が一変することになります。
ミア:「kojuが全然活きてないじゃない、もっと上のリーグでプレーしたら?」

うっすらと思っていたけど、勇気が出なかったこと。僕の心のど真ん中を突くようなその言葉に、かなりワクワクした気持ちになったことを覚えています。

僕:「そりゃ、できるならやってみたいけどー」

ミア:「ホセミジュランとかどう?知ってる?隣町にあるチーム。」

僕:「?????ほへ?なに?」

ミア:「HC Midtjylland!!!」

半年も前のことですが、学校の体育館で話したこの内容をはっきりと覚えています。

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隣にいたマックス(ホイスコーレメンバー唯一の1st div.メンバー)も、背中を押してくれ、学校のハンドボールの先生(前のnoteに出てきたソーレン先生)に言ってくれて、彼がチームのコーチに連絡を取ってくれることになりました。

僕は急いでそのことを所属していた地元チームのコーチに伝えました。
「自分の力を試したい。でも、このチームに貢献したい気持ちもある。」と。

するとコーチは、
「僕もこーじゅはもっと上のチームでもできると思っていた。やれるならチャレンジしたほうがいい。」
そう言ってくれたのです。信じられない気持ちでした。

しかし、僕がそのチームでプレーするにはいくつかの問題がありました。

1、左のウィングプレーヤーはすでに2人いる。(一人はアンダー代表)
2、1部の試合に出るにはプロライセンスが必要で、チームとの契約が必要。

1つ目は問題なく、今いる2番手は若いプレーヤーでこーじゅも可能性は十分にある。そう言ってくれました。問題は2つ目。

2部まではアマチュアライセンスでプレーすることが出来るが、そこより上のリーグでプレーするにはプロライセンスがいる。つまり、デンマークの男子では1部とリーガがプロという認識なのです。

それを取得するためのお金を協会に支払わなければならず、本来ならチームがそこを受け持つそうです。

とにかく、そのチームでの始めての練習に参加してみることに。

練習に参加して感じた自チームとの違い
・パス回しのはやさが段違い
・シュートのはやさが段違い
・フィジカル面での違い(体格ではなく機能的な面)

レベルの高さを実感しました。
しかし、持ち味のスピードとウィングシュートは通じました。

しかし、シュートを打つ、パスをする、ドリブルをつく、身体をうまく使う。
これらのハンドボール力は劣っていると感じました。
わかりづらい表現ですよね、この辺をうまく言葉にしなければいけないなと思っています。

トレーニングが終わった後に、次も参加してもいいか尋ねました。
幸い、その次からのトレーニングにも参加できることになり、とりあえず1ヶ月間はゲームは地元のチームで、トレーニングは隣町のチームで行うことに。

ゲームに出る以上、地元のチームのメンバーともトレーニングをしなければならなく、ハンドボールのオフは週に一度、かなり体力的にキツかったです。

1ヶ月半ほどそのチームでのを続けたある日、コーチからゲームには出すことができないことを告げられます。

理由は
・コミュニケーションが難しい(ハンドボール中はデンマーク語を使う)
・すでに2人いるウィングに、4ヶ月後日本に帰る選手を取ることはできない

上記の理由以上に力の差を感じていたので、妙に納得してしまいした。笑
でも、トレーニングはこれまで通り来てくれてもいいと言ってくれました。

僕からすると、トレーニングに参加できること自体めちゃくちゃありがたいことで、彼らから刺激を貰い、自分のハンドボール観の変化につながりました。

かなり高いレベルでプレーできていると思っていたので、この先ハンドボール選手として頑張ろうかと思ったのも事実です。しかし、僕には正直きついとリーグ戦をプレーしながら感じていたのです。

毎週末ゲームがあり、1週間はずっとそれを意識しながら過ごす。
そのプレッシャーにシーズンを通して耐えながら、いいパフォーマンスをし続けるイメージがどうしてもわかなかったのです。

なので実業団やプロの世界でプレーし続けることができている選手を心の底から尊敬しています。僕にはできないことだから。

同時に、僕のような思う選手を生まないようにジュニア世代から地域でしっかり試合数をこなせるようなシステムを確立させて、ゲームに慣れている選手を育成することが大事なのではないかと思うようになりました。

僕自身が1シーズンを通してゲームをプレイし続けることの重要性と、大変さを知ったことで、もしこのシステムを日本に活かすことが出来れば、アジリティの面で勝負できている日本人はかなり可能性のある選手に育つだろうと確信しました。

最後に、僕に最初の機会を与えてくれた友人ミア、背中を押してくれたマックス、僕を認めてくれた学校の先生ソーレン、送り出してくれた地元チームのコーチアンドレアス、それを許してくれたイーカストハンドボールのチームメイト、急に現れた僕を練習に参加させてくれたミッティランのコーチメッス、チームメイト。

すべての人に感謝しています。ありがとう。

At last I would like to say thank you to all of be involved me. 






2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。