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Episode 08: ペールエール〜ホップの誘惑〜

ピルスナーは淡色のラガーとして19世紀に誕生して以降、急激に世界中へと広がっていった。今ではどこの国に行っても飲むことができるということは、既に触れたとおりだ。同じように、おそらく世界中どこに言っても飲めるであろう「エール」がある。

ペールエールだ。ペール(Pale)は言語的な意味からすると、「淡い」とか「青白い」という意味があるが、実はペールエールの色合いは決して淡くない。ピルスナーと比べるとむしろ色が濃いと思われるようなものも少なくない。

実際、ペールエールが生まれた時代、ビールの色は茶色より濃い色合いのものがほとんどだった。したがって、ペールエールの「淡い(pale)」は茶色や焦げ茶よりも色が薄い、という程度の意味だったわけである。

ピルスナーは以前述べたとおり、1842年に生まれた比較的新しいビアスタイルである。一方、ペールエールと呼ばれるビールはかなり古くから作られており、どのくらい昔から作られているか、その起源については現在でも議論が分かれている。

しかし、現代のビアスタイルとしてのペールエールがいつ確立されたかは、実ははっきりと分かっている。そのあたりから辿ってみることにしよう。

IPAから生まれた

ペールエールは英国で誕生したホップの香りと苦味を存分に味わうべきビアスタイルである。

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麦芽由来の香りはホップを下支えする程度には感じられるものの、それほど強くはない。また、上面発酵のエールであるため、発酵由来のフルーティーなエステルも十分に感じられる。

英国、ブリテン島では紀元前からビールが作られていたようである。

しかし、最初からこんなホッピーなビールではなかった。当時はホップがビールに使われていなかった。ホップが使われたビールは15世紀にベルギーはフランダースからの移民によって持ち込まれたと伝えられている。それ以前は、ホップではなく、スパイスやハーブでビールにフレーバーをつけていた。

ホップが持ち込まれてからも、英国ではすべてのビールにホップが使用されたわけではなかった。古い英国の辞書には、ホップが使われたものがビールと呼ばれ、そうでないものがエールと呼ばれていた、というような記述もあったりする。

その後、17世紀末にビール麦芽への課税が行なわれるようになると、ホップのフレーバーを強めて麦芽を節約した「ペールエール」と呼ばれるビールが作られるようになり、18世紀には英国で作られるほぼすべてのビールで、原材料としてホップが作られるようになったようである。しかし、当時の「ペールエール」は現代のものとは見た目も味わいも違ったようである。

18世紀末、英国の植民地であったインドにビールを運ぶ際、腐敗を防ぐために大量のホップを投入したビールが開発された。これがインディア・ペールエール、すなわちIPAと呼ばれるビアスタイルである。

ホップを大量に投入することで、それまでのビールと比べて、IPAはホップのアロマと苦味が非常に際立ったものとなった。また、苦味とバランスをとるために、麦芽由来の甘みも強める必要があり、アルコール度数も高めのものとなっていた。

このビールは大変話題になったのだが、人々は苦味や香りが尖りすぎたビールよりは、当時大陸で人気があったピルスナーのように、飲みやすいビールを求めていた。そこで、IPAのアルコール度数を抑え、ホップの苦みも控えめにしたビールが作られるようになった。

これが、現代のペールエール、より具体的には、クラシック・イングリッシュスタイル・ペールエールである。(下写真は代表的銘柄であるバス・ペールエール)

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バートンの水

ペールエールは、1800年代にバートン・オン・トレントの町で作られるようになってから一般に広まるようになった。バートン・オン・トレントには11世紀のはじめに修道院が設置され、修道士たちがビール醸造を始めたという記録がある。実は、この町に湧き出る水がビール作りにきわめて向いていることが後に明らかになるのである。

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イングリッシュスタイル・ペールエールは、フルーツやハーブ、花のような香り、さらには土っぽいアーシー(earthy)なホップアロマが感じられることもあるビアスタイルであるが、そこにほんのりと硫黄のような香りがアクセントとなっているのも特徴の一つである。

この独特な硫黄香は、英国のペールエールが好きな人にはたまらない個性なのであるが、その理由はバートンの水にある。バートン・オン・トレントで湧き出る水は、硫酸カルシウムが豊富に含まれた硬水であり、これが独特な硫黄香の原因となっているのだ。

ビール醸造、特に上面発酵酵母を用いるエールの醸造にはカルシウムは重要な要素の一つである。バートンの水のようにカルシウムの多い水はモルトの甘味とホップの苦味を引き出すのみならず、色が濃くなりすぎるのを防ぐ効果も持ち合わせている。ペールエールの醸造にはもってこい、というわけである。

さらに、タンパク質などの不純物の沈殿を促すため、ビールを透きとおらせる効果もある。さらに、硫酸カルシウムに含まれる硫黄分はホップからアルファ酸の抽出を促し、ドライな苦味をつくることができるのである。

では、バートン以外の土地では美味しいペールエールは作られないのだろうか?そんなことはない。現代では、世界中の至るところで、例えば、軟水が湧き出る日本でも高品質なペールエールを作ることが可能である。

なぜならば、仕込み水にミネラルを加えてバートンの水の組成に近づけることで、バートンで作られたようなペールエールを作ることができるからである。このようにして仕込み水をバートンの水に近づけるように水の硬度を調整することを、バートナイズ(burtonize)する、すなわちバートン化するということもあるのだ。

町の名前が、水の組成を変えるという意味の動詞になるなんて、なんて誇らしいことなのかと思わざるを得ない。

米国における変化

さて、ペールエールといえば、イングリッシュ・ペールエールか、そんなことはない。これを読んでいる皆さんの中にも、イングリッシュスタイルのペールエールよりも先に、アメリカンスタイルに出会ったという方が多くいるのではないだろうか?

そう、ペールエールは、米国で大きな進化を遂げるのである。

英国のペールエールと比較して、米国で生まれ変わったペールエールは、ホップの香りと苦味がさらに強調されている。さらに、英国産のホップ品種は花やハーブ、場合によっては土のような香りのものが多かったが、米国産のホップはオレンジやグレープフルーツのような柑橘系のアロマが強烈に感じられるものが多く、言葉を選ばずに表現すれば、「派手」な香りを持っている。

これにより、アメリカで作られるペールエールは、グラスに鼻を近づけただけでフルーティーなフレーバーが弾ける、ビギナーにもわかりやすく、かつ飲んだ後にも強烈なインパクトを残すビールとなったのである。

この強烈な個性は、19世紀にピルスナーが世界中に広がったのと同様に、1980年代、特に1990年代以降、全世界へと飛び火し、これにより、世界中の至るところでスーパー・フルーティーなペールエール、アメリカンスタイル・ペールエールが作られるようになったのである。(下写真はこのスタイルのテンプレートとも言えるシエラネバダ・ペールエール)

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この「派手」な香りの原因はホップに含まれるミルセンと呼ばれる成分に由来する。例えば、ドイツやチェコでピルスナーに使われるノーブルタイプホップにはミルセンはほとんど含まれない。そのため、フルーティーな香りはほとんど感じられず、花やハーブのような香りが前面に現れる。

逆に米国産のホップにはミルセン以外の成分がほとんど含まれないため、よりフルーティーさが強調されたアロマの特徴をもつようになるというわけである。

現在のビアスタイルガイドラインには、アメリカン・ペールエールのホップアロマの特徴として、次のような記述がある。

アメリカ品種特有のフローラル、フルーティ(ベリー、トロピカル・フルーツ、プラムやアンズなどのストーンフルーツ、その他)、硫黄臭ないしディーゼル・オイルに似た香り、玉葱/ニンニクの香り、シトラス(柑橘)な香り、あるいは松脂や樹脂の香りを伴う。

これを読むだけでも、アメリカン・ホップの香りがいかに強烈かつ多岐にわたっているかがわかるだろう。ちなみにホップの香りや苦味には若干の中毒性もあるので、これが原因でビールにはまり、より香りや苦味の強いものを求める人も後を絶たない。身に覚えのある方も多いのではないだろうか?

地理的特徴かスタイルか?

ペールエールの古典的なスタイルは、イングリッシュスタイルとアメリカンスタイルであるが、実はそれら以外のペールエールも存在する。

例えば、ベルギーで使われるビール酵母を用いたベルジャン・ペールエール。発酵による複雑な香りが感じられ、ベルギー本国のみならず、米国をはじめ、世界各国で作られている。

また、米国産ホップとは少し異なり、マンゴーやパッションフルーツなどのトロピカルフルーツのような香り、桃のような香り、あるいはソーヴィニヨン・ブランなど白ワインに似たような香りをもつホップが南半球のオーストラリアニュージーランドで数多く開発されている。

ギャラクシーやエニグマ、ヴィック・シークレットという名のオーストラリア原産のホップ、ネルソン・ソーヴィンやモトゥエカ、リワカなどといったニュージーランド原産のホップの名前を聞いたことがある方もいるのではないだろうか?

これらを用いたビールは現在では、オーストラリアンスタイル・ペールエールや、ニュージーランドスタイル・ペールエールという名でカテゴリー分けされるようにまでなってきた。基本的には、イングリッシュスタイルやアメリカンスタイルとの違いは、ホップキャラクターの違いでしかない。

ところが、オーストラリアやニュージーランドで開発された新種のホップの中には、アメリカンスタイルに非常によく似たキャラクターを持つものも現れるようになってきた。一方、アメリカンスタイル・ペールエールのガイドラインには「こうした香りを持つホップであれば、アメリカ品種以外のものを用いてもよい」と書かれている。

したがって、特に南半球で作られるスタイルのペールエールと、アメリカンスタイルとの境界は年を経るごとにあいまいになっていると感じずにはいられない。本来はホップ品種の特徴によりカテゴリー分けされてきたはずだが、原産地でしか区別できなくなるとすると、それをスタイルと呼ぶべきかどうかは、慎重な議論が必要なのではないかと個人的には感じているところである。

代表的銘柄

《クラシック・イングリッシュスタイル・ペールエール》
  Bass Pale Ale(英国)
  Samuel Smiths Organic Pale Ale(英国)
  ナギサビール・ペールエール(和歌山県/IBC2021金賞*)
  Tsukioka Brewery・月岡湯上がりペールエール(新潟県/IBC2021銀賞*)
  ハーヴェスト・ムーン・ペールエール(千葉県/IBC2021銅賞* JGBA2021銅賞**)
  常陸野ネストビール・ペールエール(茨城県/JGBA2021銅賞**)
  那須高原ビール・イングリッシュエール(栃木県)

《アメリカンスタイル・ペールエール》
  Sierra Nevada Pale Ale(米国/IBC2021銀賞*)
  伊勢角屋麦酒・ペールエール(米国/IBC2021金賞*)
  軽井沢ビール・クラフトザウルス・ペールエール(長野県/JGBA2021金賞**)
  Y.Y.G. Brewery・新宿ペールエール(東京都/IBC2021銀賞*)
  吉乃川・摂田屋クラフト・ペールエール(新潟県/JGBA2021銀賞**)
  KIRISHIMA BEER・PALE ALE(宮崎県/JGBA2021銀賞**)
  宮崎ひでじビール・森閑のペールエール(宮崎県/JGBA2021銀賞**)
  KOBO Brewery Pale Ale(富山県/JGBA2021銀賞**)
  飛騨高山麦酒・ペールエール(岐阜県/JGBA2021銅賞**)
  郡上八幡麦酒こぼこぼ・ペールエール(岐阜県/JGBA2021銅賞**)
  南横浜ビール研究所・看板ペールエール(神奈川県/JGBA2021銅賞**)
  のぼりべつ地ビール・鬼伝説・金鬼ペールエール(北海道)
  忽布古丹醸造・Hop Kotan Originals -nonno-(北海道)
  横浜ビール・ペールエール(長野県)

* IBC: International Beer Cup
** JGBA: Japan Great Beer Awards

多くのクラフトビールファンが飲み慣れたスタイルではあると思うが、同じ英国産ホップ、米国産ホップであっても、品種によって香りのキャラクターは大きく違う。最近では、単一品種のみを使ったシングルホップの銘柄も見られるようになった。その奥深さを探求してみてはいかがだろうか?

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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また、ビールのテイスティング法やビアスタイルについてしっかりと学んでみたいという方には、私も講師を務める日本地ビール協会「ビアテイスター®セミナー」をお薦めしたい。たった1日の講習でビールの専門家としての基礎を学ぶことができ、最後に行なわれる認定試験に合格すれば晴れて「ビアテイスター®」の称号も手に入る。ぜひ挑戦してみてほしい。東京や横浜の会場ならば、私が講師を担当する回に当たるかもしれない。会場で会いましょう。

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