土日記といふものを、はじめてみるなり。(1/31)
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
という、紀貫之の土佐日記の言葉にならえば、「チョコプラ長田氏もすなる陶芸といふものを、俺もしてみむとて、するなり」。土佐日記ならぬ、土日記を書き始めた。
前に日記で書いたかは忘れたけど、今年から陶芸教室に通ってる。衣食住をできるだけ自分の手でなんとかできるようになりたくて、その一歩として、器を自分でつくってみよう! と思ったのだ。自分でつくった器でご飯たべるのなんて、最高じゃん、ぜったい美味しいじゃん、と思って。
今日は2回目。手びねりで、ほんとうにシンプルなお椀をつくってるんだけど、2週間もあいだがあくと教わったことも忘れる。先生が「はい、じゃあたまづくりをしましょう」といってくれても、「たまづくり…ってなんでしたっけ…?」という具合。ポンコツ生徒なのだ。
先生は「だいじょうぶ、みんな2回目じゃわかんないですよ〜」といってくれた。やさしい。でもがんばりたい。できる生徒になりたい。1度教えられたことを2度目に聞くのは、万死に値する! と、昭和の新入社員のような気持ちになり、すみませんメモしていいですか、とメモ帳を用意した。すると「いいですね! 土日記をつけるのはいいと思いますよ」と先生。
土日記。つちにっき。はじめて聞く言葉だ。だけど、なんだかいい響きだなぁ、と思った。なんというか、言葉にてざわりがある。
きょうはこれこれこんなことをして、うまくいったorいかなかった、的なことを書くんだろう。ほんとうの陶芸家ともなれば、何月何日、天気はこうで湿度はうんぬん、と書いておけば、それが創作のデータベースになるんだ、きっと。それが土日記なんだろうな、と想像した。
僕はまだ陶芸の世界の序章も序章、マサラタウンあたりでコラッタと格闘してるくらいの段階だから、分厚い土日記は書けない。けど、とりあえず数行、こんなことをした、というメモは残しておくことにした。こうしてこつこつ、こつこつ、知恵をためていく。
実は今日は朝からバタバタしていて、昼ごはんをゆっくり食べる時間がなくて立ったままカップ焼きそばかきこんだら、案の定服をソースでよごして「あああああ、もう!」とイライラしてた。けどやっぱ、土をこねてると無心になれる自分がいた。つくるのってたのしい。こうして日記を書くときの感じも、すこしだけ土をこねてるときと似てる。つくるのが好きなんだなおれは。
チョコプラ長田さん、芸人になる前は陶芸教室の講師だったんだって。人に歴史ありですねぇ。
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