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”心象写真”が、人生で大切にしたいことを思い出させてくれる。

ネイティブアメリカンには「ビジョンクエスト(Vision Quest)」という成人の儀式があるらしい。

自分はどのように生きるべきかを見つけるために、部族から離れて一人で森に入り、飲まず食わずで幾晩か過ごす。自分との対話をとおして、人生の真の意味や目的を見つけだす。

この儀式にたいして、西村佳哲さんは『自分の仕事をつくる』のなかでこう書いていた。

この夜、子供が見つけ出すのはたぶん単なる場所ではなく、”どういう場所を自分は心地よく感じ、安心できるのか”という、価値観のゼロ地点だろう。その基準が明確にあれば、人生のあらゆる場面でそれは機能するにちがいない。(195頁)

ネイティブアメリカンの子供でなくとも、”価値観のゼロ地点”を自分で知っておくことは、地に足をつけて人生という旅路を歩むことを助けるはずだ。どこに進もうか迷ったとき、もう歩みを止めてしまおうかと思ったとき、立ち返る場所になるから。

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先日、「人生のなかで、心のシャッターが切られる瞬間があって、その情景は鮮明に思い出せる」と、先日友人が話してくれた。

たしかに僕にも人生に2.3度、そんな瞬間がある。そんな心におさめられた写真(物理的には存在しない)のことを思うと、それが10年も前のことでも心が震える。そんな心におさめられた写真、”心象写真”が、だれでもあるのではないかな。

「ビジョンクエスト」のような旅をすることは簡単じゃない。けれど、人生がそれじたい旅だとするならば、僕らはこれまで生きてきた過程において、”価値観のゼロ地点”に立っていたことがあるはずだ。その瞬間に、心の中でシャッターが切られ、その情景が記憶の奥底にしまわれるんじゃないかな。

だとしたら、”心象写真”がなにか、過去の思い出を振り返りながら探す作業は、ちいさなビジョンクエストと言ってもいい。そうして”価値観のゼロ地点”となる”心象写真”を見つけたらなら、それは人生で大切にしたいことを思い出させてくれるトークン(しるし)になる。

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ちなみに、僕にとっての”心象写真”を2,3枚頭のなかで並べて、共通点を探すと、「語りの共鳴が生まれていること」ということが見えてきた。

自分が語りだし、誰かが語りだし、また別の誰かが語りだし。そんなときだけ、あぁ自分はひとりじゃないんだな、と思えるんだよな。

みなさんにも、そんな”心象写真”はあるでしょうか。

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