ことばは化粧水、からだは乳液

コロナ禍でリモートワークがすすんで、オンラインではしょっちゅう話してるんだけど、実は会ったことない、って人が増えた。

僕も、かれこれ1年以上一緒に仕事をしていて、週に2.3回は話してるけど、ぜんぜん会えてない人(あかねちゃん)がいて。先日の写真展でやっとはじめて会えて、「あれ、もしかしてこれはじめましてじゃない!?」って、お互いびっくりして。そんなあかねちゃんと今日、あらためてランチをした。

いやぁ、やっぱり会うとちがう。普段からめちゃくちゃ、それこそ親よりも話してるんだけど、オンラインで話すのと会って話すのでは、そのあとの感覚がぜんぜんちがうなぁ、と、帰り道に余韻に浸っていた。

なんというか、会うことで、その人がひとりの人として、きちんとおもみを持って自分のなかに位置を占める感じがするのだ。こんなときこう感じるんだろうなぁとか、こう考えるんだろうなぁとか、想像できるようになるというか。

逆に、オンラインで話しても、その人がおもみを持った存在として、自分のなかで位置を占めない感覚がする。

たとえるなら、言葉によるコミュニケーションは化粧水で、同じ時間と場所をともにすることは、乳液っぽい感じだろうか。化粧水でうるおいは得られるけれど、乳液がないとすぐ蒸発してしまう。対面で会うと、気づいたこと、感じたことがしっかりと自分のなかで定着するような。

ことばは化粧水、からだは乳液だな。
そんな歌をくるりも歌っていたような気がする。



サポートがきましたって通知、ドキドキします。