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ハーゲンダッツ涙味

しんどいことがあった。

日々「弱男日記」を書いてるくらい、「弱さをほどよくさらけだす」ということを信条としてる僕が、隠すのもちがうだろうということで、「しんどいぜ…」とTwitterに垂れ流していたら、LINEがぴろん、と鳴った。

ひらいてみると、LINEギフトで(今はそんな便利な機能があるんですねぇ)ハーゲンダッツの引換券が届いていた。「つらい夜を乗り越えるには、アイスが有効」というメッセージつきで。

ハーゲンダッツはガチガチのときにスプーンを突き立てて食べるのが好きな僕も、このハーゲンダッツばかりはこぼれる涙でゆるくなってしまった。

ハーゲンダッツ涙味。
かなしいくらいに、うまい。


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ハーゲンダッツ以外にも、いろんな人が、いろんなかたちで手を差し伸べてくれた。

LINEギフトでからあげクンをくれた人、深夜の銭湯に付き合ってくれた人、「わたしもね」と自分の経験を打ち明けてくれた人、突然の電話に付き合ってくれた人、すれ違っただけだったのに状態を察して「ごはんいきましょう!」とさそってくれた人…

すげえな。みんなすげえ。

僕は傷が癒やされる以上に、なんだか感動してしまった。不思議な感覚だ。ハーゲンダッツのむこうに、電話の言葉の向こうに、うんうんとはなしをきくそのまなざしの向こうに、僕が知らないその人がいる気がした。

その人とは、たぶん、かつてどうしようもなく傷ついたときのその人だ。


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大切な人との別れとか、挫折とか、病気とか、葛藤とか。その人も、なにかしら深く傷ついた経験があるんだと思う。そんな傷つきがあるからこそ、深く傷ついているひとの痛みに思いを馳せて、手を差し伸べることができる。

たとえるなら、こういうことだ。

胸ポケットに花を持っていて、傷ついた人がいたらその花をすっと手渡すようなひとがいる。そしてその花は、その人自身の傷つきを栄養にした土壌のもと育つ。

たくさん傷ついた人は、誰かの傷を癒すきれいな花を持ってる人なんだろう。


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その花は、ハーゲンダッツかもしれないし、からあげクンかもしれないし、音楽かもしれないし、文章かもしれない。どんなかたちであれ、たくさん傷ついたことがある人が、いままさに傷ついている人に向けて差し出すものは、相手に語りかけてくる「なにか」がある。

上智大学グリーフケア研究所で講師を務める入江杏さんは、ひとには悲しみを通してつながる、“悲しみの水脈”があるといっていた。

僕が感じた「なにか」は、自分は独りではないんだという安心感、“悲しみの水脈”でつながっているという安心感なんだと思う。風呂上がりにハーゲンダッツをたべながら感じたのも、あ〜俺、ひとりじゃないな、という安心感だった。(まぁ、つらいのもんはつらいけどさ!)

僕もいつか傷ついた誰かに、花をすっと差し出すようにハーゲンダッツをおごりたい。LINEギフトで。

ハーゲンダッツ涙味。かなしいくらいにうまいんですよ。






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